歴代元号の逸話と意外と難しい制定過程

わずかなタイミングのずれでこちらが「明治大学」になっていたかも(写真:ロイター/アフロ)

 天皇陛下の退位と皇太子さまの即位を控えて「平成」に代わる新元号がもうすぐ決まります。元号は1979年に定められた元号法に基づいて定められるのです。その条文は、

1 元号は、政令で定める。

2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

と短いもの。政令とは内閣の命令で、今回は「皇位の継承があ」るので「改める」のです。

幻の「慶應4年」で命名された慶應義塾

 日本の元号は「大化の改新」で著名な「大化」(645年)からスタート。江戸時代最後の「慶應」までは天皇即位以外にもさまざまな理由で改められ、即位しても改元されないケースもありました。1967年に即位した明治天皇が翌年、詔(天皇の命令)を発して明治と改めるとともに「一世一元」(天皇一世で一元号)を「永式と為す」(ずっとそうする)と決めて以来、今日まで至っています。

 この「一世一元の詔」は慶應4年9月8日に発せられ、同年1月1日までさかのぼって明治元年の始まりと定めます。いわば慶應4年は「なかった年」と化すわけです。そうなるなどと予想もしなかった福沢諭吉は同年4月、自ら設立した私塾を「慶應義塾」と命名しました。ほんの少しタイミングがずれたら明治義塾になっていたかもしれません。

法的根拠を失った「昭和」の扱い

 一世一元は皇位の継承や天皇の即位式などを定める皇室典範(旧典範)12条にも明記されました(1889年)。ただ1945年の敗戦後、旧典範は廃止され、同名の皇室典範(新典範)に12条の規定は書かれていません(47年)。すなわち新典範施行以後、元号の法的根拠は失われたのです。

 時の元号は「昭和」。しかし昭和天皇は新憲法下の「象徴」として天皇であり続けました。法的根拠がなくとも多くの国民は昭和を当たり前のように使い続けます。西暦よりも親しまれ、優先されていたほど。そのありさまに鑑みて上記の元号法が制定され、再び法的根拠を得たのです。

 そもそも元号は中国が起源で漢(前漢)の武帝が即位時に建てた「建元」が最初といわれています。その本質は「君主が定める」なので、前提として君主が存在しなければなりません。したがって本家の中国はもとより、かつて元号を使用した朝鮮半島やベトナムも君主制が消滅したため止めてしまいました。今や日本だけです。

 ここから「象徴天皇は君主なのか」とか「面倒だからそろそろ止めてはどうか」「いや、日本の伝統だ」などなど左右から議論が巻き起こるのですが、本稿はこの話はしません。改めて論じたく思っています。

 一世一元の詔は明治天皇が発したけれど、御年15歳の帝ご自身の発案とは考えにくく、倒幕の立役者である岩倉具視らの進言とみられています。そうしたのは当時の中国王朝にならった、天皇以外の勢力(公家や武家など)が天皇の意向などお構いなしに好き勝手に変えてきた過去を正して天皇の権威を高めようとした、などが考えられています。

制定の6つのルールでググる大会か

 元号制定には元号法制定と同時にルールが作られています。よい意味▽漢字2字▽書きやすい=平易な漢字▽読みやすい▽過去に使用しておらず天皇のおくり名にもなっていない▽俗用されていない、の6つ。当たり前のようで案外高いハードルです。

 まず「よい意味」で「書きやすい」漢字というところ。過去約250の元号のうち使われた漢字はわずか72文字。最多が「永」の29回、以下「元」「天」「治」「応」「正」「文」「和」「安」「延」「暦」と続きます。表意文字なのでプラスイメージか、せいぜい価値中立でないと使えないのがつらいところ。明治以降でも「治」「正」「和」が用いられています。

 「俗用されていない」も大変。人名(苗字や名前)、地名はもちろん商標や屋号、企業名すべてを排除するというのですから。おそらく専門家がすでに出しているであろう案を事務方が片端からググったのでは?例えば使用頻度ワンツーを組み合わせた「永元」「元永」。「元永」は使用済みで「永元」も少しググっただけで中国元号、人名、企業名に使用されているとわかります。

不吉な過去の元号

 元号が君主制を前提としている以上、天皇家や日本国に災いをもたらしそうな不吉な過去の元号も避けたいところ。以下のようなものはためらわれそうです。

【天皇家にとって不吉】

1)承平・天慶

平将門の乱と藤原純友の乱が起きた時期。朝廷は大いに動揺しました。

2)保元・平治

保元の乱と平治の乱が起きた時期。特に保元の乱は天皇と上皇が争う形となりました。

3)治承・養和・寿永

源平合戦。結果として武家政権が誕生し朝廷は覇権を失います。養和は大飢饉でも著名

4)承久

承久の乱で後鳥羽上皇が武家勢力に敗北して配流されています。

5)建武

後醍醐天皇が親政を執ったという点で瑞祥である半面、新政は長持ちせず武家に滅ぼされてもいます。

6)応仁・文明

応仁の乱発生。京都は焼け野原と化す。以後の戦国時代の元号(~天正)は朝廷の権威が地に落ちたという意味ですべて不吉です。

7)慶長

徳川家康に禁中並公家諸法度を押しつけられて宮中はがんじがらめにされてしまいました。

【国難】

1)文永・弘安

元寇の遭った年号です。

2)明暦

明暦の大火が発生。近代の関東大震災や東京大空襲に匹敵する死者を数えたという推計もあって、当時も災異改元されています。

3)宝永

大地震の頻発と富士山大噴火。

4)明和

明暦の大火ほどの被害ではないにせよ江戸が大火に見舞われた明和9年が「迷惑年」と忌み嫌われて災異改元。

5)嘉永

黒船来航。幕府滅亡のきっかけととらえれば瑞祥かもしれませんが孝明天皇の宸襟を大いに悩ませたのも事実です。

……と並べてみましたけど、一世一元後も結構使われていますね。「明治」の「明」は文明、明暦、明和で、「治」は平治と治承で。「昭和」の「和」も明和で。平成改元の際も一部から「平」は「平和」のイメージがあってよさげだけど「承平」「平治」の過去があって案外不吉という指摘がなされたものです。

「大正」も戦国時代の後柏原天皇期の「永正」と「大永」が該当します。この帝と子の後奈良天皇期の朝廷財政は窮迫を極めていて即位式さえままならぬほどでした。

 つまり「よい意味」で「書きやすい」漢字となると過去に多少の因縁があっても使ってしまうしかないようです。

 他にも条件が。役所は今でも元号使用が当然で、近年ではアルファベット表記も併用しています。明治のM、大正のT、昭和のS、平成のHです。「平成」決定過程では既に考慮されていました。したがって過去の使用頻度が高い漢字のうち「天」(T)を冒頭に使用する元号はないでしょう。

「安」は新元号に入るか

 最近、国会で「私は国家だ」と発言したとかしないとかで話題の安倍晋三首相が頻出漢字「安」を選ぶかどうかも注目です。政令で決まるとはとどのつまり首相に最終決定権があると解せます。内閣を構成する他の国務大臣を首相が自由に任免できるからです。

 歴史を振り返っても安倍首相のキャラとかぶる元号が散見されるのも興味深い。例えば、

1)安和……安和の変発生。北家藤原氏の他氏排斥が完了した出来事。石破茂氏を退けた総裁選が思い出されます。

2)弘安……第1回元寇。そういえば首相は「国難突破」なんてネーミングで衆議院を解散しましたよね。

3)安政……安政の大獄を主導した井伊直弼と似ていませんか?反対派を皆退けて「1強」確立。ただし末路まで同じとまでは申しません。

あたりです。

英チャールズ皇太子は「チャールズ3世」を名乗らない?

 縁起担ぎは元号のない他国でもあります。例えばイギリス史上最低の国王とされている欠地王ジョンに続く「ジョン2世」はいまだ現れていません。現チャールズ皇太子がそのまま即位するとチャールズ3世ですが、おそらく別名を名乗るとみられています(構わないそうです)。何しろチャールズ1世は清教徒革命で処刑され、子の2世は王政復古こそ果たすも内外に混乱を生じさせ、死去後3年で名誉革命勃発と縁起が悪いので。