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臨時国会で追及必至の「日米物品貿易協定」と共同声明の謎を列挙

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
不安そうな安倍首相と目が笑っていないトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)

 2018年9月26日にニューヨークで行われた日米首脳会談後に出された日米共同声明の内容がいまだに話題となっています。一番の焦点は日本政府(外務省)と同日の安倍晋三首相記者会見で強調された「日米物品貿易協定(TAG)」なるものが実は存在していないのではないかという疑問であるのはいうまでもありませんが、他にも謎めいている個所が存在します。今後の日米貿易に重大な影響を与えるポイントで24日召集の臨時国会でも野党が追及する構えなので改めて分析してみました。

日米物品貿易協定(TAG)なんて存在するのか

 外務省の日本語では「日米両国は、所要の国内調整を経た後に、日米物品貿易協定(TAG)について、また、他の重要な分野(サービスを含む)で早期に結果を生じ得るものについても、交渉を開始する」と示されています。TAGとは“Trade Agreement on Goods"の略。ところが英文の該当個所は“Trade Agreement on goods, as well as on other key areas including services, that can produce early achievements."となっているのです。

 ここでお断りしておきたいのは筆者はニュース解説などという生業上、英語を読まねばならない場面に立ち至る時が多いため泣く泣く取り組む「英語がやっと読める」レベルです。今回はむしろそうした程度で訳を試みたらどうなるかというのが参考になりそうなので恥をしのんで取り組んでみます。

 Trade Agreementは「貿易協定」としか訳しようがありません。ただ続くgoodsとother key areas including services(サービスを含むその他の重要分野)の前にはonが置かれている上にas well as(同じく)を挟んでいるのでgoodsを「物品」と訳したとしても「物品やサービスを含むその他の重要分野における貿易協定」となりはしないでしょうか。

 心配になって在日本アメリカ大使館のwebサイトを拝見したら「仮翻訳」の但し書き付きながら「物品、またサービスを含むその他重要分野における日米貿易協定」と書かれていました。受験英語程度しかできない筆者の方に近い。少なくとも中高の英語の試験でTrade Agreement on goodsだけを切り抜いて「物品貿易協定」とし、外務省訳のようにそこを分割して(=「また」)「他の重要な分野(サービスを含む)」としたらバツを食らいそうです。

 では「仮翻訳」の「物品、またサービスを含むその他重要分野における日米貿易協定」が正しいとしたらどうなるでしょうか。記者会見で安倍首相は「日米間の物品貿易を促進するための協定、TAG交渉を開始することで合意しました」「今回の、日米の物品貿易に関するTAG交渉は、これまで日本が結んできた包括的なFTAとは、全く異なるものであります」「TAG、これはFTAとは違いますが、しかし、正に物品貿易に関する交渉であります」(最後は米CBS記者の質問への回答)と答えています。要するに日米FTA(自由貿易協定)ではないと。

 そこで外務省によるFTAの定義を探ると「特定の国や地域の間で、物品の関税やサービス貿易の障壁等を削減・撤廃することを目的とする協定」と出ていました。

 次に主要紙の解説を列挙します。

・EPAは特定の国・地域同士が経済成長のため、関税分野や人の移動、投資のルールを決めたりする協定。その中心がFTAで、工業製品や農産物の輸入時にかける関税を撤廃したり引き下げたりする(読売新聞2011年5月29日<経済連携協定=EPAと自由貿易協定=FTA>の解説)

・FTA(自由貿易協定)があるけど、モノやサービスの貿易ルールだけを扱う協定だ(朝日新聞2007年1月17日<ニュースがわからん!>より抜粋)

・FTA(自由貿易協定)は、特定の国や地域との間で農産品や工業製品などの関税を撤廃し、貿易を活性化する枠組み(毎日新聞2015年6月8日)

どうやら「サービスを含むその他の重要分野」が「貿易協定」に含まれてしまうと政府やマスコミによるFTAの定義に当てはまってしまうので切り分けたようです。

正文は英語だけの2国間協定

 ただ日米共同声明は日本政府訳でも「TAG」の「議論の完了の後に、他の貿易・投資の事項についても交渉を行うこととする」と明記されています。仮に「TAG」が「包括的なFTAとは、全く異なるもの」だとしても完了後に交渉しなければならない内容を含めれば「要するに日米FTAだ」と考えない方がおかしいでしょう。

 さて声明の英文と和文のどちらを信じればいいでしょうか。先に紹介した在日本アメリカ大使館のwebサイトには「正文は英文です」とハッキリ。外務省もそうと認めています。正文とは「正式な条約文」。条約法に関するウィーン条約では「条約について二以上の言語により確定がされた場合には、それぞれの言語による条約文がひとしく権威を有する」と決めているので日米間の取り決めで和文も正文であれば「TAG」なる英文にない解釈も「ひとしく権威を有する」のに、そうでないから「TAG」など一言も書かれていない英文のみが正しいとなります。

 何で2国間協定なのにわが国の言語を正文としなかったのか。例えば日米安全保障条約は「ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した」と明記。これが当たり前ではないでしょうか。アメリカに屈したのか、日本語の正文を作らない方が都合がよかったのか。憶測してしまいます。

「尊重」されれば大丈夫なのか

 不可解な点は他にもあります。記者会見で首相はTAG交渉を開始する「前提として、農産品については、過去の経済連携協定で約束した内容が最大限である。この日本の立場を、今後の交渉に当たって、米国が尊重することを、しっかりと確認いたしました」と述べました。CBS記者の質問へも「日本の農産物については、今までの経済連携交渉において我々が認めたもの以上のものは認められないという日本の立場は理解していただいています」「農産品については、我々の考え方、今までの協定において認められたものについては、これは最大限尊重してもらうという私たちの考え方についても認識していただいている」と答えています。

 そもそも「TAG」自体が怪しげなので、それを前提とする発言そのものが大丈夫かという疑問もわくのですけど、まあそれは置いておいて農産品の扱いがどうなるかを考察してみます。

 首相発言の「過去の経済連携協定で約束した内容」とは2016年2月に署名までこぎ着けた環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を指すと思われます。その後にアメリカがトランプ政権になってから離脱してしまいますが「あの時の相場観」で納得してもらったと。

 確かに共同声明には「日本としては農林水産物について、過去の経済連携協定で約束した市場アクセスの譲許内容が最大限であること」とあります。とはいえこの「最大限であること」は「交渉を行うに当たっては」「他方の政府の立場を尊重する」の範囲内です。その意味で安倍首相の発言は間違っていません。問題は「尊重」(respect)に過ぎないことでしょう。「あなたの立場を最大限尊重したつもりだが、やはりダメだ」など世間にはよくある話。まして相手はTPPをほごにしたトランプ大統領です。

 「アメリカ第一」を唱えるトランプ氏がTPPを離脱したのは「アメリカ第一」にそぐわないと判断したから。TPPのような多国間EPAだと日本が農産品市場を開放したらただちにアメリカ優位とは限りません。例えば牛肉はオーストラリアの方が競争力に勝る可能性が出てきます。そこを嫌った張本人がTPPの「譲許内容が最大限」を飲むのは論理的に矛盾します。なるほどトランプ氏の言動に論理矛盾がしばしば見られるのは確かですが、こと取引(ディール)に関しては一貫しているので到底安心できません。

 アメリカ離脱前のTPPの条件でさえ農業者は強い不満を抱いていました。離脱の報を聞いて表立って叫びはしなかったけれど農家を取材すると口々に「ホッとした」との声が聞かれたものです。そんな状態をトランプ大統領が見逃すでしょうか。

「話し合い中は話し合う」というだけでは?

 記者会見で首相は「この協議が行われている間は、本合意の精神に反する行動をとらないこと、すなわち日本の自動車に対して、232条に基づく追加関税が課されることはないことを確認しました」とも述べています。これも間違いではありません。共同声明に「協議が行われている間、本共同声明の精神に反する行動を取らない」とあるから。でも、だから何だというのでしょうか。

 232条とはアメリカ通商拡大法232条を指します。著しい輸入増などでアメリカを脅かすと政府が判断したらトップの大統領が関税引き上げなどで対抗できるという内容です。これから交渉すると決めたのに232条を発動するぞと言う訳がありません。「話し合いを始めましょう。その間は互いの立場を尊重しようではないですか」というだけでは?

 言い換えるとそうでない話し合いなど存在しません。至極険悪な間柄でさえ協議するのに同意すれば、その間にいきなり殴りかかったり蹴飛ばしたりはしないと明記しようがしまいが了解します。蹴飛ばした時点で話し合いは決裂するので。当たり前を文章化したのみで何かを保証するものではなさそうです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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