Yahoo!ニュース

<イラク・モスル>ISから解放4年 再建遠く 恐怖支配耐えた教師たちの嘆き(写真10枚)

玉本英子アジアプレス・映像ジャーナリスト
イラク軍のIS掃討作戦が続いていたモスル。(2017年2月・玉本英子撮影)

◆IS思想で教育機関を支配

イラク第二の都市モスル。アッシリア帝国が首都ニネヴェを置いた地だ。この町が過激派組織「イスラム国」(IS)に制圧されたのは、2014年のことだった。この時、私は住民たちに密かに連絡を取ろうと試みた。

「なんとか今日を生きていますが、私と家族が、この先どうなるか不安でたまりません」

ようやくつながった携帯電話で話してくれたのが、モスル大学工学部の教員、サアド・アル・ハヤート氏(当時44歳)だった。

<イラク>「イスラム国」IS支配下の2年半とは~モスル大学教員に聞く

サアド氏は親族7人とともにモスル東部地区に居住。モスル大学で指導教員だった。写真右が大学校舎。(2015年・IS写真)
サアド氏は親族7人とともにモスル東部地区に居住。モスル大学で指導教員だった。写真右が大学校舎。(2015年・IS写真)

ISは町を支配すると、独自に解釈したイスラム法を布告した。戦闘員らが「神の代理人」のごとく振る舞い、子どももいる路上で斬首や銃殺を繰り返した。教育現場にはISの指導に沿ったカリキュラムが強制され、女子教育は大幅に制限された。

「工学部では女子学生が排除され、教え子が肩を落として泣いていた」。サアド氏は無念の思いを打ち明けた。のちに工学部全体が閉鎖され、失職。ISの恐怖におびえ、家から出るのを控えた。

サアド氏が教鞭をとっていたモスル大学は、イラク有数の名門校。のちにISは、サアド氏が勤めるの工学部を閉鎖。写真はイラク軍奪還後のモスル大学正門前。(2017年2月・玉本英子撮影)
サアド氏が教鞭をとっていたモスル大学は、イラク有数の名門校。のちにISは、サアド氏が勤めるの工学部を閉鎖。写真はイラク軍奪還後のモスル大学正門前。(2017年2月・玉本英子撮影)

◆戦火の子どもたち

16年秋、イラク軍は米軍・有志連合の支援を受け、モスル奪還作戦を開始。戦況が悪化するとISは中学生ほどの少年まで動員し、自爆車両でイラク軍の拠点に突撃させることもあった。さらに、その様子をプロパガンダ映像で「ジハード」などとして宣伝した。

子どもを含む住民らが戦闘と空爆に巻き込まれ、たくさんの命が失われた。作戦が続くなか、私はISから解放された地区に治安部隊と入った。瓦礫(がれき)が広がり、焼け焦げた戦車が残る住宅地を進んだ。

<イラク>戦闘の狭間で苦しむモスル市民~兄はISに殺害、父は空爆で死亡(写真2枚)

モスルの道路脇で鉄くずや空き缶を拾う少年たち。朝から夕方まで拾い集め、業者に売って、当時500~1000ディナール(日本円で50~100円)。家計を支えるため、学業をあきらめ働く子も。(2017年2月・玉本英子撮影)
モスルの道路脇で鉄くずや空き缶を拾う少年たち。朝から夕方まで拾い集め、業者に売って、当時500~1000ディナール(日本円で50~100円)。家計を支えるため、学業をあきらめ働く子も。(2017年2月・玉本英子撮影)

空き地では、中学生ほどの少年たちが鉄くず拾いをしていた。家計の足しに鉄を集めて売るという。「戦争が終わったら、こんな仕事しなくて済むかな」。ひとりがつぶやいた。

<イラク・モスル>子どもたちが見た公開処刑(写真6枚)

<シリア・ラッカ>ISの過激教育恐れ、学校行けず(写真8枚)

◆学校再開するも 心に深い傷

ISがモスルを制圧する前のスマア先生と生徒たち。のちに彼女の女子中学校にISが通達を出し、教師らは解職された。生徒らは他の町に避難するか、家にこもったという。(写真:スマア先生提供)
ISがモスルを制圧する前のスマア先生と生徒たち。のちに彼女の女子中学校にISが通達を出し、教師らは解職された。生徒らは他の町に避難するか、家にこもったという。(写真:スマア先生提供)

18年、再びモスルを取材すると、多くの学校が再開されていた。子どもたちの登校風景を目にした私は、明るい未来を期待した。

しかし、女子中学校で英語を教えるスマア・アルハマダニ先生(当時47歳)は言った。

「破壊されたままの校舎がいくつもある。心の傷は深く、急に泣き出す生徒がいる。その上、生活困窮で学校に行けない子も少なくない」

2017年7月、イラク軍との激戦ののち、モスルはISから解放された。戦闘下のモスルでは、学校の壁にはISが女性にヒジャブ着用を促した絵が残っていた。その上のX印はこの地区の解放後にペイントされたもの。(モスル・2017年2月・リナ・イサ撮影)
2017年7月、イラク軍との激戦ののち、モスルはISから解放された。戦闘下のモスルでは、学校の壁にはISが女性にヒジャブ着用を促した絵が残っていた。その上のX印はこの地区の解放後にペイントされたもの。(モスル・2017年2月・リナ・イサ撮影)

◆遅れるモスル再建

政府はモスル再建委員会を設置し、さまざまなプロジェクトの検討を始めている。先日、私は先生たちに改めて連絡を取った。

モスル大学の教員に復帰したサアド氏は、「行政機関の怠慢と腐敗で復興は遅れている」と嘆く。彼は現在、学生に数学を教える。IS支配前と比べ、全体の学力が下がったと感じている。

モスルの小学校についてISが伝えた写真。ISは小学校での女子教育そのものは否定しなかったものの、女子高等教育は大幅に改変し、制限。実質的には、ISの過激思想教育を恐れた親の多くが、子どもを学校へ通わせなかった。(2015年・モスル・IS写真)
モスルの小学校についてISが伝えた写真。ISは小学校での女子教育そのものは否定しなかったものの、女子高等教育は大幅に改変し、制限。実質的には、ISの過激思想教育を恐れた親の多くが、子どもを学校へ通わせなかった。(2015年・モスル・IS写真)

ISが学校で配布した教科書。IS思想が色濃く反映されている。写真はアンバルで配布されたもの。IS支配下の地域地で統一した教科書となっていた。(2015年・アンバル・IS写真)
ISが学校で配布した教科書。IS思想が色濃く反映されている。写真はアンバルで配布されたもの。IS支配下の地域地で統一した教科書となっていた。(2015年・アンバル・IS写真)

◆過激組織 阻むために教育が大切

フセイン政権崩壊後、イラクではシーア派のマリキ政権が宗派色を強めた。スンニ派のモスル市民は、シーア派の影響力が強い警察や治安機関から不当逮捕などの扱いを受けてきた。政府に憤るスンニ派住民に加え、貧しい階層、教育を受ける機会のなかった若者を取り込む形でISは勢力を拡大した。

多大な犠牲を払ってようやくISが去り、イラク人が結束して復興を進めなければいけない時に、怠慢や腐敗で、学校に行けない子どもたちが置き去りにされている。イラクでは今も潜伏するISが爆弾攻撃や暗殺を続ける。

「教育が途絶えると、過激組織に利用される土壌を生んでしまう。心配でならない」

スマア先生はそう伝えてきた。

【写真特集・モスル】イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る

ISが中学・高校の学校教員向けに作成した子どもの身体教練に関する指導要領。腕立て伏せなど体力育成の詳細な指導のほかに、銃器についての説明も出てくる。教員もIS式イスラム法解釈の研修が課せられた。(IS出版物より)
ISが中学・高校の学校教員向けに作成した子どもの身体教練に関する指導要領。腕立て伏せなど体力育成の詳細な指導のほかに、銃器についての説明も出てくる。教員もIS式イスラム法解釈の研修が課せられた。(IS出版物より)

2014年にISが制圧すると、独自に解釈したイスラム法を布告し、「統治」を開始した。(2016年・IS映像)
2014年にISが制圧すると、独自に解釈したイスラム法を布告し、「統治」を開始した。(2016年・IS映像)

イラク北部のモスルはバグダッドに次ぎ、バスラと並ぶ大都市。IS支配下ではキリスト教会や遺跡の破壊もあいついだ。(地図作成:アジアプレス)
イラク北部のモスルはバグダッドに次ぎ、バスラと並ぶ大都市。IS支配下ではキリスト教会や遺跡の破壊もあいついだ。(地図作成:アジアプレス)

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年8月17日付記事に加筆修正したものです)

アジアプレス・映像ジャーナリスト

東京生まれ。デザイン事務所勤務をへて94年よりアジアプレス所属。中東地域を中心に取材。アフガニスタンではタリバン政権下で公開銃殺刑を受けた女性を追い、04年ドキュメンタリー映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガニスタン女性」監督。イラク・シリア取材では、NEWS23(TBS)、報道ステーション(テレビ朝日)、報道特集(TBS)、テレメンタリー(朝日放送)などで報告。「戦火に苦しむ女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢」が評価され、第54回ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞。「ヤズディ教徒をはじめとするイラク・シリア報告」で第26回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞。各地で平和を伝える講演会を続ける。

玉本英子の最近の記事