ノーベル賞雑感…OISTのスバンテ・ペーボ兼任教授の受賞で考えたこと
沖縄科学技術大学院大学(OIST)のスバンテ・ペーボ兼任教授が、2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞することが発表された(注1)(注2)。
日本のOIST所属の教授が受賞したことで、日本国内でも注目が集まり、多くのメディアでも取り上げられた。その際のポイントは、日本の大学から、今年もノーベル賞がでたということであったと思う。
ノーベル賞の歴史は、1901年に始まる。そして日本は、同歴史において2021年までに、非欧米諸国の中では最多の29名の受賞者を輩出しており、21世紀に入ってからでは、自然科学部門の国別のノーベル賞受賞者数で米国に次いで世界第2位となっている。
日本では、これまでは日本人をルーツとした方のノーベル受賞にフォーカスされることが多かった。その意味では、今回のOISTのペーボ教授の受賞に注目が集まったことは、日本人の受賞者がなかったこともあるが、非常に興味深かった。
日本人のこれまでの受賞者のうち、4名は受賞時点で外国籍を取得していた。また、日本国籍でも、受賞時に海外の大学などの組織に在籍していた方もいる。たとえば、利根川進氏はマサチューセッツ工科大学教授、根岸英一氏はパデュー大学特別教授などだ。
このことが何を意味するかといえば、日本の大学などよりも、米国をはじめとした海外の大学などの研究環境や待遇等がいいことが挙げられるであろう。
また拙記事「棄国(キコク)…若い世代に日本を捨てる選択を迫る現状」(Yahoo!ニュース、2021年11月23日)でも、同様な問題や課題について述べた。
このような中、今回のOISTのペーボ教授の受賞や昨年のベンジャミン・リスト北海道大学特任教授のノーベル化学賞受賞の意味は、実は大きな別の意味をもっているのではないかと思う。
日本人がノーベル賞受賞されることは誇らしき、うれしいことである。しかし、グローバル時代において、研究者は、自分の能力や経験を最も発揮できる場所を選択し、移動していくことを考えると、外国人研究者が、日本の大学などを選択し、そこで研究してくれるということは実は重要な意味を持つ。そのことは、日本の組織・機関が、他の国のカウンターパートと比較して、優れた研究環境を提供して、魅力的だということを意味するからだ(注3)。
そのような状況に対して、単に外国国籍の方に、日本や税金がいいように使われているという意見もあるだろうが、このグローバル時代には研究活動等もグローバルに行われるのは当然だ。日本はむしろ、そのような活動やそれによって構築される知見やネットワーク等をできるだけ活用して、日本や日本人だけではできない研究やイノベーションを生み出して、国益を拡大していくような賢さを身に付けていくべきだろう(注3)。
また海外の優れた研究者などが研究活動で日本に滞在したりすることは、日本の知見の向上やその蓄積の拡大に貢献するばかりでなく、さらに安全保障上も日本にプラスに働くのではないだろうか。もちろん知財の海外流失防止などの対策・対応も同時になされる必要があるが。
その意味からも、日本の大学等が、優秀な外国人がそれらの大学等にかかわりあるいは滞在して研究したいというような魅力あり高水準の環境を作り出していくことが、日本人研究者や社会等にも刺激を与え、日本の研究水準を向上させ、社会を刺激し、安全保障を含めた日本の国益のための必要だといえるだろう。日本の国や社会も、そのような視点を持つべき時代にあるといえるだろう。
今回のOISTの外国人研究者の受賞は、そんなことを考えさせてくれた。
(注1)筆者は現在、沖縄科学技術大学院大学(OIST)にあるレジデンスに滞在しながら、研究活動をしているが、今回このような機会を提供していただいた、ピーター・グルース学長をはじめとしてOISTおよびその教職員の皆さん方には感謝申し上げたい。
(注2)OISTのHPによれば、ペーボ教授は、ゲノムデータを用いて現代人と古代のネアンデルタール人やデニソワ人を比較する研究する、ヒト進化ゲノミクス研究ユニットを率いている。それを通じて、現生人類のみに存在する遺伝子の機能の探求や現生人類たらしめているものに関する探求を行い、人類にとって最も根本的な疑問の一つに答える研究を行っている。つまり、同教授は、OISTで実際に研究活動を行っていることを意味している。
(注3)このような視点(特に「多様性」の重要性)については、次の著書が参考になる。
・『多様性の科学…画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する視点』(マシュー・サイド、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2022年)