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フェルメール作品のゆりかご マウリッツハウス王立美術館200周年

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
デン・ハーグのマウリッツハウス王立美術館(提供記載のない写真は全て筆者撮影)

フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」があることで知られる「マウリッツハウス王立美術館」

開館200周年にあたる今年2022年は年間を通じて様々なイベントが繰り広げられ、祝祭ムードに溢れています。

オランダの行政の中心地デン・ハーグ、国会議事堂の並びにあるこの建物は、今からおよそ400年前、ヨハン・マウリッツの館として建てられた小さな宮殿です。

オランダの行政の中心であるデン・ハーグのビネンホフ。ホフ池の対岸に国会議事堂などの政府機関の建物が立ち並んでいる
オランダの行政の中心であるデン・ハーグのビネンホフ。ホフ池の対岸に国会議事堂などの政府機関の建物が立ち並んでいる

国会議事堂の並びにあるマウリッツハウス美術館(黄色い建物)を池の対岸から見たところ
国会議事堂の並びにあるマウリッツハウス美術館(黄色い建物)を池の対岸から見たところ

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」の展示室
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」の展示室

それが1822年に王立の美術館となり、現在に至っています。冒頭にあげたフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は、「オランダのモナリザ」と言われるほど世界的に有名ですし、オランダの黄金期17世紀に活躍した巨匠たちの名作を美しい空間の中で心ゆくまで鑑賞できる、まさに珠玉のような美術館です。

※館内の様子はこちらの動画からもご覧になれます。

アニバーサリーイヤーの今年。春には「花の絵画展 イン・フル・ブルーム(In Full Bloom)」と題して、花がテーマになった静物画の名作を集めた特別展が開催されました。

美術館所蔵の花の静物画。ヤン・ダーヴィッツ・デヘイムの作品
美術館所蔵の花の静物画。ヤン・ダーヴィッツ・デヘイムの作品

同時に、美術館そのものを花で飾るという企画がスタート。現在、この建物の外壁、中庭は花飾りで覆われ、まさに童話の世界のような雰囲気で訪れる人を迎えてくれます。

毎週新しい飾りが付け加えられてゆく予定だそうですから、しばらくすると美術館自体が巨大な花束のようになっているかもしれません。

花飾りで覆われ200周年記念の美術館
花飾りで覆われ200周年記念の美術館

そして現在開催中のイベントが「フラッシュバック(Flash /Back)」。美術館所蔵の巨匠たちの絵と現代写真家がコラボレーションするという特別展です。

オランダ、ベルギーの16人の写真家が、美術館の16の展示室から1点ずつ作品を選び、その絵からのインスピレーションを自身の写真作品として表現するというもの。この歴史的な美術館に新鮮な視点を添えています。

16のコラボレーションの中で、実際に私が訪れてみてもっとも印象的だったのがこちら。

左がレンブラントの絵、右がステファン・ヴァンフレーテレンの写真作品(写真/マウリッツハウス王立美術館)
左がレンブラントの絵、右がステファン・ヴァンフレーテレンの写真作品(写真/マウリッツハウス王立美術館)

レンブラント作「テュルプ博士の解剖学講義」(1632年)と、それにインスパイヤされたベルギー人写真家ステファン・ヴァンフレーテレン作品との対比です。

「テュルプ博士の解剖学講義」は、レンブラントの群像作品の中でも重要な作品の一つ。20代半ばでアムステルダムに上京してきたばかりのレンブラントが外科医たちの求めに応じて描いたこの絵が彼の出世作になりました。

当時のアムステルダムでは、解剖のデモンストレーションは一般市民もお金を払って見られるイベントのようなものだったようです。この絵の死体は実在の人物で、罪を犯して絞首刑になった後、解剖学の台に載せられました。

レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」
レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」

ステファン・ヴァンフレーテレンの写真作品
ステファン・ヴァンフレーテレンの写真作品

いっぽう、ステファン・ヴァンフレーテレンの、一瞬絵画かと思える写真作品は、レンブラント作品とほぼ同じサイズの画面に、切られた右手だけがあるというものです。

実は、レンブラントのモデルになった死体の人物には前科があり、その時に右の手を切り落とされていたので、死体には右手がありませんでした。けれどもそのまま描くと注文主の人物たちよりその部分に目がいってしまうのを嫌ってのことでしょう。レンブラントは右手を付け足した状態で死体を描いたのだそうです。

つまり、ステファン・ヴァンフレーテレンは、レンブラントの目には実際には見えていなかったものを補完するかのような作品を写真で表現したわけで、400年の時を超えて2人のアーティストが対話をしているような見事なコラボレーションだと感じました。

「テュルプ博士の解剖学講義」そのものがすでにこの美術館のスター作品であり、訪問者はこれを観ることで得られる満足感があります。けれども、今回のようなコラボレーションで現代アーティストならではの視線が加わることで、歴史的名画の鑑賞にさらなる奥行きが生まれ、より豊かな体験として忘れえぬ絵の一つになるような気がします。

この特別展「フラッシュバック」は、10月16日までの開催。また、アニバーサリーイヤーを締めくくる特別展として、9月29日から来年1月15日まで「ザ・フリック・コレクション(The Frick Collection)」が予定されています。この展覧会では、レンブラントの自画像の最高傑作とも言われる絵をはじめとする名作がニューヨークから100年ぶりに里帰りすることになっています。

こちらは美術館に常設されているレンブラントの自画像。画家最晩年のもの
こちらは美術館に常設されているレンブラントの自画像。画家最晩年のもの

その時期には、美術館の建物がより華やかな花束になっていることでしょうから、デン・ハーグの街歩きをかねて再訪してみたい気がします。パリから現地までは地続き。国際高速列車「タリス」を利用すれば、4時間弱で行かれる距離です。

とはいえ、海外旅行をまだまだ躊躇している方も少なくないでしょう。そんな方々には、美術館のサイトを是非のぞいてみてください。インターネット画面に名画の細部がとても鮮やかに、手で触れられそうな存在感を持って映し出されるだけでなく、日本語の解説も充実しています。

ちなみに、1822年は日本でいえば文化文政時代。イギリス船が浦賀に来航したり、前年には伊能忠敬が地図を完成させたという時期にあたります。

そしてまさにマウリッツハウス王立美術館が始まったこの年のデン・ハーグにドイツ人のシーボルトがいました。彼はここでオランダ領東インド陸軍の軍医となり、ロッテルダムの港から出港。翌年には長崎出島のオランダ商館医として着任しています。

オランダと日本。こんな歴史の機微からも二つの国の浅からぬ関わりに想いが及ぶのは、きっと私だけではないでしょう。

特別企画「フラッシュバック」の作品。左は美術館所蔵の肖像画で、モデルは当時6歳。右の写真のモデルは11歳。いつまでも子供でいたい現代人と、まるで小さな大人のような17世紀の子供。人生の尺度の差が象徴的
特別企画「フラッシュバック」の作品。左は美術館所蔵の肖像画で、モデルは当時6歳。右の写真のモデルは11歳。いつまでも子供でいたい現代人と、まるで小さな大人のような17世紀の子供。人生の尺度の差が象徴的

美術館の代表作品の一つPaulus Potte作「牡牛」(1647年)。ありきたりのテーマがこれほど大きな画面で描かれた画期的な絵
美術館の代表作品の一つPaulus Potte作「牡牛」(1647年)。ありきたりのテーマがこれほど大きな画面で描かれた画期的な絵

上の絵画に呼応するKadir van Lohuizenの写真。400年後の現在の酪農家の姿
上の絵画に呼応するKadir van Lohuizenの写真。400年後の現在の酪農家の姿

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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