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【パリ】安藤忠雄設計の新美術館「ブルス・ドゥ・コメルス」大富豪の夢の実現

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
安藤忠雄氏の設計で変貌をとげた「ブルス・ドゥ・コメルス」(写真はすべて筆者撮影)

世界のANDO、パリの最新作

もう何年も前から話題になっていたパリの新しいアートスポットが、2021年5月22日にいよいよ幕を開けました。名前は「ブルス・ドゥ・コメルス/コレクション・ピノー」。今世紀初めまで商品取引所として機能していた歴史的建造物が、フランスきっての大富豪、フランソワ・ピノー氏の現代アートコレクションを展示する美術館として生まれ変わったのです。

「ブルス・ドゥ・コメルス」正面外観。
「ブルス・ドゥ・コメルス」正面外観。

「ブルス・ドゥ・コメルス」館内中央部分。
「ブルス・ドゥ・コメルス」館内中央部分。

世紀の転生ともいえるその設計にあたったのが日本人建築家の安藤忠雄氏。これまで長年にわたってピノー氏が信頼を寄せ、数々のプロジェクトを形にしてきました。

今回のオープニングに先立ちプレス発表が行われましたが、プレス資料のなかでピノー氏は安藤氏のことをこのように評しています。

「私の目から見ると、安藤忠雄は形と時間の対話を繊細さをもって樹立することのできる稀な建築家のひとりです」

いっぽう安藤氏は今回の仕事についてこのように語っています。

「南西にルーブル美術館、東にポンピドゥーセンター。『ブルス・ドゥ・コメルス』は、大改造されたレアール地区に隣接している文字通りパリの中心と言える場所にあります。私のミッションはこの素晴らしい歴史を持つ建物を現代美術館に変貌させること。しかも歴史的建造物に指定されている建物そのものにはいっさい介入せずに」

この難解なミッションに対しての安藤氏の答えは、円形の歴史的建造物のなかに巨大なコンクリートの円筒をすっぽりと収めるというものでした。

1889年のパリ万博以来、商品取引所として使われていた歴史的建造物をそこなわず、コンクリートの円筒を設置することで、過去と現在を融合させている。
1889年のパリ万博以来、商品取引所として使われていた歴史的建造物をそこなわず、コンクリートの円筒を設置することで、過去と現在を融合させている。

コンクリートの円筒の直径は29メートル、高さ9メートル。
コンクリートの円筒の直径は29メートル、高さ9メートル。

建築史が凝縮した「ブルス・ドゥ・コメルス」

そもそもこの「ブルス・ドゥ・コメルス」には、数世紀にわたっての建築の歴史が積み重なっています。16世紀、ここにはフランス王妃、カトリーヌ・ドゥ・メディシスの邸宅がありました。館そのものはのちに解体されましたが、当時の富と権力を象徴する巨大な柱「メディシスの柱」が今でも残っています。

建物の南側に残る「メディシスの柱」。16世紀に建造されたもので、高さ31メートル。
建物の南側に残る「メディシスの柱」。16世紀に建造されたもので、高さ31メートル。

18世紀、この場所は小麦市場となったのですが、当時としては画期的な円形の建物が都市計画の一環として創られました。そして1802年の火災で損傷したあとには、やはり時代の最先端をゆく鉄の骨組みを使ってクーポール(ドーム型の屋根)が再建されています。

さらに19世紀後半になると、弱体化していた小麦市場にかわって、この建物を「ブルス・ドゥ・コメルス」、つまり商品取引所にするというプロジェクトが発表されて大改装が行われました。完成は1889年。フランス革命から100年の記念の年、つまりエッフェル塔ができたのと同じ年で、この年に行われたパリ万博の会場にもなりました。

天井画は1889年のパリ万博の時代に5人の画家によって制作されたもの。世界各地から文物が集まり交易が行われる商品取引所という空間を象徴したテーマになっている。
天井画は1889年のパリ万博の時代に5人の画家によって制作されたもの。世界各地から文物が集まり交易が行われる商品取引所という空間を象徴したテーマになっている。

大富豪の見果てぬ夢

フランソワ・ピノー氏の美術館といえば、パリの西にあるセーヌの中洲スガン島でルノーの歴史的工場跡に建てるというプロジェクトがありました。ところが、この計画は結局頓挫してしまい、その代わり母国フランスではなく、イタリアはヴェニスに美術館を創ったという苦い過去があります。

けれども、いつかパリに自身のコレクションを展示する美術館をという夢を、ピノー氏はずっと温め続けていました。そして2015年、パリ市長アンヌ・イダルゴ氏から商品取引所の建物に興味はないか、と提案されたときには一瞬の迷いもなかったと回想しています。

「始まりはただの夢でした。やがてその夢は願望になり、願望は今日こうして現実のものになりました」

「それは首都の中央に位置していて、コレクションを発表するのに素晴らしい場所であるだけでなく、パリの数世紀にわたる建築を象徴するこの建物に新しい方向性を与えることができるのです」

ピノー氏が50年以上にわたって収集してきた現代アートは1万点超。そのうちの一部がこの美術館に展示される。
ピノー氏が50年以上にわたって収集してきた現代アートは1万点超。そのうちの一部がこの美術館に展示される。

時と形が響き合う場所

ガラスの天井から降り注ぐ光に満ちた聖堂のような空間。革命100年記念の万博のときに制作された壮大な天井画、そして、その内懐に築かれた未来、あるいは宇宙をも想起させるコンクリートの円筒形の構造の内側に身を置くと、だれもが「時」というものに思いがおよぶことでしょう。

メインスペースで、オープニングを飾る特別展として行われるウルス・フィッシャー氏のインスタレーションがまたユニークです。

中央にそびえる彫像、そしてポツンポツンと置かれた椅子のすべてがロウでできていて、ひとたびそこに火が灯されれば、時間とともに溶けてゆき、やがては消えてあとかたもなくなるという趣向。いかにも、「時」がキーワードになったようなこの美術館を象徴しているようで、そういった演出にも、パリというアートの都の底力を見るような思いがします。

オープニングを飾るアーティスト、ウルス・フィッシャーによるインスタレーション。椅子も中央の彫像も、右の人物像もロウでできている。
オープニングを飾るアーティスト、ウルス・フィッシャーによるインスタレーション。椅子も中央の彫像も、右の人物像もロウでできている。

近づいてみると、ロウソクの芯がわかる。会期中はここに火が灯され、刻々と溶けてゆくという演出。
近づいてみると、ロウソクの芯がわかる。会期中はここに火が灯され、刻々と溶けてゆくという演出。

※美術館の様子はこちらの動画からもご覧いただけます。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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