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狂乱の時代の日本人 FOUJITA展

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
この印象的なポートレイトから展覧会が始まる(以下、写真はすべて著者撮影)

「北斎の波がパリを飲み込む」

これは、本日の新聞『FIGARO』の文化欄、社説の見出し。

毎週水曜に発行される『FIGARO SCOPE』では、およそ10ページを割いて、目下パリで開催中の展覧会をはじめ、日本人シェフによるレストランやお役立ちアドレスなどを大々的に紹介している。

日仏修好通商条約締結、つまり国交開始からちょうど160年になる今年は、「ジャポニスム2018」として、フランスで様々な日本イベントが企画されているが、いよいよそれが本格化している印象だ。

それらのイベントの一つ、『FOUJITA』展がすでにかなりの好評を博している。

日本人画家・藤田嗣治(ふじたつぐはる 1886-1968)の展覧会で、場所はパリ7区のマイヨール美術館。「ボンマルシェ」デパートから歩いてすぐのところにあるヒューマンサイズのなかなか良い美術館だ。

藤田嗣治といえば、やはり外国人のモディリアーニ、シャガール、スーティンらと同じ時代、パリで活躍したエコール・ド・パリ(パリ派)の画家として知られる。今から50年前に82歳で亡くなるまで、数多くの作品を残しているが、今回の展覧会では、1913年(大正2年)にパリにやってきてから1931年(昭和6年)にいったんパリを離れるまでの時代に焦点が当てられている。

展覧会場の様子
展覧会場の様子
1928年の自画像
1928年の自画像

副題のPEINDRE DANS LES ANNEES FOLLES(狂乱の時代の画業)というのが、時代の空気を表している。

まったく無名だった一人の日本人青年が紆余曲折ありながらも実力を認められ、時代の寵児として人気者になってゆく過程。それは第一次世界大戦から世界恐慌までの時期で、パリに才能もお金も自由もあふれていた、いわゆる「狂乱の時代」と重なる。「世界の交差点」と呼ばれるほどの賑わいを見せたモンパルナス界隈のカフェ、夜毎の饗宴の舞台は最新流行のアールデコで飾られ、褐色の肌のダンサー、ジョゼフィン・ベーカーが放埓な肢体を惜しげもなく披露して踊る。熟れた果実がぽとりと地に落ちる寸前のような爛熟した空気の中にフジタは生き、時の人になっていった。

写真入りの年表。藤田は軍医の家に生まれた。
写真入りの年表。藤田は軍医の家に生まれた。
1927年、有名画家としての時代
1927年、有名画家としての時代
避暑地の海辺、獅子頭。フランスのライフスタイルの最先端と日本的な面との振幅が興味深い
避暑地の海辺、獅子頭。フランスのライフスタイルの最先端と日本的な面との振幅が興味深い

展覧会の入り口のポートレイトがすでに、彼のスター性をよく表している。独特のヘアスタイル、丸メガネ、ちょび髭、きものに蝶ネクタイ。遥か彼方の東洋からやってきた若いアーティスト。異質であることを逆手に取り、最大限に生かしたルックスは、一目見たら忘れない完璧な自己プロデュースだ。

作品展示は、子供の頃のスケッチブックに始まり、自画像、独特の乳白色の裸婦像、猫の絵、パリの歴史的建造物を飾ったものなど、小品、大作、あらゆるジャンルの作品が展開してゆく。

秀逸なのは、会場で複数の動画が流れていること。当時としては珍しいビデオカメラを藤田は持っていて、彼を取り巻くパリ、高級避暑地の風景、友人や恋人たち、そして彼自身が被写体になっている。

4歳頃のスケッチブックと10歳頃の油絵
4歳頃のスケッチブックと10歳頃の油絵
裸婦と猫の絵の展示
裸婦と猫の絵の展示
パリ国際大学都市日本館壁画の制作風景
パリ国際大学都市日本館壁画の制作風景
「狂乱の時代」の資料映像には、時の人フジタも映し出されている
「狂乱の時代」の資料映像には、時の人フジタも映し出されている

学芸員のアンヌ・ル・ディベルデールさんは、展覧会のコンセプトをこう語る。

「どのようにして彼の作品が、そしてフジタという人物像が形成されていったのか。それがテーマになっています。日本から来てパリのアイコンになったフジタ。絵画、版画、デッサン、映像、装飾、それにお裁縫まで、彼の表現方法は多彩です。

妻のユキを撮影した映像などは、まるでシュールレアリストの先駆けのようですし、彼独特のスタイルを見ていると、ジャン=ポール・ゴルティエは何も新しいことをしていないと思ってしまうほどにモダンです」

そして彼の存在を「PASSEUR DE CULTURE(文化の渡し守)」と形容する。

「彼の時代、裸婦像を描くことは日本人にとっては革命的なことだったと思いますが、フジタはそれを一つのテーマに据え、とても柔和で繊細な作品を数多く残しました。そして、私たち鑑賞者としてはそこにまぎれもなく日本を感じる。テーマも技法も西洋のものなのですが、日本のパッション、文化を再発見するような思いがするのです」

展覧会企画者の一人、アンヌ・ル・ディベルデール(Anne Le Diberder)さん
展覧会企画者の一人、アンヌ・ル・ディベルデール(Anne Le Diberder)さん

またこの日、展覧会を案内してくれた広報のソレーヌさんが話してくれたことも興味ぶかい。メディアの展覧会評は概ね好意的なのだが、時に全く好きでないという専門家もいるのだとか。

想像するに、それは異質なものへの嫌悪感からくる反応なのではないだろうか。アンヌさんが藤田の画風の特徴として独特の描線を挙げていたが、細く黒い線で輪郭を描くのは、日本画や浮世絵を思わせるようで、それを彼の個性として評価するのか、西洋絵画としては馴染まないものと捉えるのかは好みの分かれるところかもしれない。また、テーマに犬や猫が多すぎるという理由でのマイナス評もあったらしいが、それこそまさに好き好きで、猫がたくさん描かれているからとても良かったという友人知人が私の周りには多い。

いずれにしても、広報のソレーヌさんのように大学で美術史を学んだという人でも、藤田はこれまで意外なほど知られていないのだという。

「私自身、フジタを今回初めて知りました。作品を見ていると、彼にはどんな文化的背景があるからこのような絵が生まれたのか、日本の伝統美術をもっと知りたいと思います。彼の作品に実際に触れたことが日本への興味の出発点になるような気がします」

「文化の渡し守」

没後50年、藤田の残した作品と足跡が、パリで今また新鮮に受け止められ、求められている。

FOUJITA展 開催は2018年7月15日まで。

広報のソレーヌさん。背景は「若冲」を思わせる作品
広報のソレーヌさん。背景は「若冲」を思わせる作品
藤田のサイン。欧文の綴りはFUJITAではなく、フランスの発音に即したFOUJITAを使っていた
藤田のサイン。欧文の綴りはFUJITAではなく、フランスの発音に即したFOUJITAを使っていた
制作に使っていた画材も展示されている
制作に使っていた画材も展示されている
藤田がデザインした寄木細工のテーブル
藤田がデザインした寄木細工のテーブル
パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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