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宇多田ヒカルはなぜ新曲「Gold」のMVで新宿西口の夜空に舞い上がったのか【月刊レコード大賞】

スージー鈴木音楽評論家、ラジオDJ、小説家
Hikaru Utada Official Website

 まずは宇多田ヒカルが、新宿西口の夜空に舞う、実に印象的なMV(ミュージック・ビデオ)を。

 7月28日にリリースされた宇多田ヒカルのデジタルシングル『Gold ~また逢う日まで~』は映画『キングダム 運命の炎』の主題歌。

 ただ宇多田自身「タイアップがあると『書き下ろし』というじゃないですか。だけどタイアップのある作品のために書くことはないんですよ」(『SPICE』2023年8月2日)と語っていて、頼もしい。

 冒頭を聴いて「風のような音楽」だと感じた。「引き算」の音。これでもかこれでもかと、激しく賑やかな「足し算」ばかりの音楽シーンの中で、この冒頭は、逆の意味でインパクトがある。

 ピアノだけのシンプルなバックに宇多田ヒカルならではの繊細な高音ボーカルとハーモニーが乗る。

 しかし、突然ビートがグルーヴし始める。まさに「風雲急を告げる」という感じで激しくなる。このあたりは、同じくA. G. Cookとの共同プロデュースだった2021年の『One Last Kiss』(こちらは映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のタイアップ)にも通じるアレンジだ。

 歌詞も、だんだん吐き捨てのように熱く、激しくなる――「♪いつか起きるかもしれない悲劇を 捕まえて言う『おととい来やがれ』」「♪外野はうるさい ちょっと黙っててください 一番いいとこが始まる」。

 そしてMVでは、宇多田ヒカルが、新宿西口の夜空に舞い上がる!

 なんとドラマティックな展開か。いつの間にか、引き算がかけ算になっている。引き算のマイナスにマイナスをかけると、新宿西口の地上から、かなりプラスの高さになるということか。

 ちょっと深読みをすると、今回の歌詞(やMV)も、例えば『花束を君に』(16年)同様、彼女のお母さんのことを描いたと解釈できなくもない(参考:『Real Sound』2016年9月28日)。しかし、もしそうだったとしても、そうでなかったとしても、とにかく読後感は爽快・痛快。強い肯定感をもたらす。

 とにかく、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるのだ。

 宇多田ヒカル、現在40歳。「え、まだ40歳?」と思ってしまう。それくらい音楽家として、1人の人間として、情報量の多い生き方をしてきた。この曲もそんな感じ。一見「風」のように見えて、途中から風雲急を告げるドラマティックな展開を見せ、最後に残るのは強い肯定感――こういう作品を生み出す音楽家、ちょっとしばらくは後続が出てきそうにないかも。

 この「Gold」は、純度が高くない。まるで新宿西口の街並のように、プラスもマイナスも含めた様々な有機物が雑多に混ざり込んでいる。でもその分、硬くて強くて、だからこそ永遠なのだ。

――いつか起きるかもしれない悲劇を捕まえて言う「おととい来やがれ」!

  • 『Gold ~また逢う日まで~』/作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • 『One Last Kiss』/作詞・作曲:宇多田ヒカル

音楽評論家、ラジオDJ、小説家

音楽評論家。ラジオDJ、小説家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12『ザ・カセットテープ・ミュージック』、bayfm『9の音粋』月曜日に出演中。主な著書に『幸福な退職』『桑田佳祐論』(新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』(ともに彩流社)、『恋するラジオ』(ブックマン社)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。東洋経済オンライン、東京スポーツなどで連載中。2023年12月12日に新刊『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)発売。

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