横浜の全Jクラブを率いた唯一の監督が語る 「J3の選手たちから学ぶべきこと」

(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

J1時代は天皇杯を制覇

「良いパスを出すと、『素晴らしい、しびれるのう!』。そう言って褒めてくれるのが、樋口さんでした」

昨年に行った「横浜サッカー協会85年史」でのインタビューで、小学生時代を振り返った“横浜の生けるレジェンド”中村俊輔は、そう言って表情を緩めた。

当時は普通だったのだろうが、所属チームの監督は優しさよりも厳格さが先に立つタイプだった。それだけに、横浜選抜で出会ったコーチの姿勢は新鮮で、子どもにとってはうれしいものだったようだ。

その中村俊輔とプロチームで再会し、力を合わせてJリーグ優勝にあと一歩と迫った。最終節に泣いたその2013年度の締めくくり、悔しさをバネに横浜F・マリノスに21年ぶりの天皇杯をもたらしたのが、樋口靖洋監督だった。

この指揮官は、もう一つの“記録”を持っている。横浜FC、Y.S.C.C.(横浜スポーツ&カルチャークラブ。以降、YSCC)という、現在横浜を本拠地とする3つのJリーグクラブすべてで指揮を執った唯一の人物なのだ。

単に横浜を“制覇”したということではない。注目すべきはJ1からJ3まで、同じ街でありながら環境もまったく違うカテゴリーすべてを体験した、ということだ。

率いた当時、F・マリノスがベースとする「マリノスタウン」は、国内最大の人口を擁する街で、立地も設備も国内最高級を誇った。一方、2016年に監督に就任したYSCCは、自前の練習施設を持っていない。別の仕事に就いている選手が大多数であるなど、J1クラブとは比べようもない差があった。

それでも。だからこそ。樋口監督には「学び」があった。

YSCCの最終成績だけ見たならば、大きな変化はないかもしれない。2016年は16チーム中で最下位、1チーム増えた2017年は14位。1ケタ順位を目指した今季は15位で終わった。

だが、少し目を凝らすと「違い」が見えてくる。勝利の数は2016年の「5」から、翌年は「8」へと微増しただけだ。だが、得点数は「15」から「41」と“激増”している。

去年と今年で、白星の数は変わらなかった。だが、失点数も負け数も、過去3年で最少に抑えた。

クラブが抱える顔ぶれが大きく変わったのではない。変わったのは、選手たちだ。

「選手たちの意識が変わってきて、より上を目指すようになってきた。プレーに対する欲、それにJリーガーとしてもっと上を目指したいという欲がしっかり出てきた。本当に顔に力を持っているな、選手たちは本当によく変わってきたな、と思います」

今季J3第31節、一度は逆転しながら2-3で落としたグルージャ盛岡戦の後、樋口監督は声を落とすことなく語った。

「変われる力」

変化しているのは、選手だけではない。樋口監督自身も、J3だからこそ見つけられたことがある。

「日々、学びがありますね。例えば仕事をしながらプレーする、あるいは練習場や時間などすごく制限が多い環境でも、意欲を持った選手は絶対に変われると思う。あらためて、J1やJ2の選手とは違う部分で、選手の可能性を感じることができる」

年齢もハンディにはならないという。その例として、樋口監督は2人の選手の名を挙げた。今季限りでの引退を決意した小澤光は、今年3月に三十路に入った。背番号10の辻正男は、1つ年上だ。J2での挑戦から戻った2016年に大きなケガを負い、今季も開幕前の左足アキレス腱断裂で長期離脱を余儀なくされた。

そんな2人は、盛岡戦でも奮闘していた。「彼らは、この3年間で随分変わった。年齢など関係なく、変われる力を持っている選手は変われるな、ということを学ばせてもらったと思います」。樋口監督は、そう“謝辞”を口にした。

この試合でPKを含む2ゴールを決めた辻もまた、樋口監督への感謝を語る。「樋口監督が率いた3年間のうち2年間は大きなケガをして、シーズンを通してプレーしたのは去年だけでした。それでも信頼して起用してくれますし、いつも期待をしてくれているという感謝の思いがあります」。ゴールを決めると、辛抱強くリハビリに付き合ってくれたトレーナーや樋口監督が待つベンチへと、逆サイドのゴール前から一目散にダッシュした。

復活のストライカーが、恩師を語る。

「良い部分をすごく見てくれますね。だから、選手の良さをうまく引き出せるのかな、と。試合中に判断するのは選手だからと、もちろん程度はあるものの、『判断』という部分では選手の良さを引き出すような伝え方をしてくれます。だから選手がのびのびプレーするというか、良いところを出せるんじゃないかなと思います」

樋口監督とともにF・マリノスで天皇杯を掲げた、背番号10の少年時代の思い出に重なる。

今季終盤、樋口監督は早めに“卒業”を宣言した。YSCCでの冒険に、3年で一区切りをつけることを決めたのだ。

コーチ時代も含めてJ1での生活が長かっただけに、もしかしたら選手以上にJ3の難しさを痛感する3年間だったかもしれない。だが、「変われる力を持っている選手は、変われる。J1やJ2の選手たちを(指導者として)見る機会があったら、そういう意識を持ってトレーニングや試合をすることで、もっと成長できるはずなのにな、と。あらためて、そう思っています」。57歳の指導者にとっても、得る物は大きかったようだ。

12月14日、来季から初めてのJ2を戦うFC琉球は、樋口靖洋新監督の就任を発表した。

J3の、サッカーの、人間の。「可能性」を実証する機会が、早くもやってくる。