Yahoo!ニュース

「スペンスとクロフォードが戦わないのは馬鹿げている」 殿堂入りプロモーターが糾弾

杉浦大介スポーツライター
写真・本人提供

 1970年代、ジェイ・ラッセル・ペルツは気鋭のプロモーターとしてアメリカ東海岸の古都フィラデルフィアをミドル級の聖地にまで育て上げた。若き日のマーベラス・マービン・ハグラー(アメリカ)がペルツの主催した興行でウィリー・モンロー、ボビー・ワッツ、ベニー・ブリスコ(すべてアメリカ)といった強豪と戦って腕を磨き、ミドル級を代表するボクサーに成長していったのは有名な話である。

 ペルツがハグラーのキャリアを語ったインタビュー前編は、ボクシングマガジン5月号のハグラー追悼企画「マーベラスな時代」に掲載されている。ここでは73歳になった老雄が自身のキャリアを振り返り、今のボクシングに厳しい言葉を述べた後編を一挙に掲載したい。2004年には名誉の殿堂入りを果たした大ベテラン・プロモーターは、現代のボクシング界をどう見ているのか。

22歳でボクシング・プロモーターに

――少年時代から、熱心なボクシングファンだったと聞いていますが、なぜ、このスポーツに惹かれ、アイドルは誰だったんでしょう?

RP : 12歳だった1959年にボクシングを見始め、初めてライブで試合を観たのは1960年のこと。1960年代に世界ライトヘビー級王者になったハロルド・ジョンソンが子供の頃のアイドルでした。父親と一緒にジョンソンの試合を観に行ったものです。大学ではジャーナリズムを学び、フィラデルフィアの新聞のスポーツライターになりました。しかし、1929年からその仕事を続けていた大ベテラン記者がいたために望んでいたボクシング担当にはなれず、そこでライターを辞め、プロモーターに転身したのです。

――大学を出てまもなく、23歳でボクシング・プロモーターになりました。その前後の事情を教えてください。

RP : 初めて興行をプロモートしたのは1969年9月だったので、実際にはまだ22歳でした。当時のボクシング業界ではテレビ契約なしでもお金が稼ぐことができたので、今よりも参入は容易だったと思います。私はまだ若かったことで注目を集め、“クールな存在”と目されたものでした。

――20代でスペクトラムのボクシング・ディレクターになり、フィラデルフィアのボクシングを引っ張りました。ボクサーはみんな同年代、あるいはそれ以上の年齢で、苦労はありませんでしたか?

RP : 他のプロモーターとの競争が最も難しい部分でした。当時は興行ポスターが重要なマーケティングツールだったのですが、それをどこに貼るかで競合したものです。ただ、フィラデルフィア・デイリーニューズの記者と親しくなり、宣伝という面でも助けてくれたことが私にとって幸運でした。他の年上のプロモーターたちは自分の部下を現場に送り込んでいましたが、私は常にジムで時間を過ごすことを心がけていました。自分自身で選手を評価をし、マッチメイクしないのであれば、プロモーターとしての楽しみは半減です。私はジムで多くの選手と知り合い、マッチメーカーとプロモーターの両方を務めたものです。私が業界入りした1969年は1〜8月までフィラデルフィアでは6興行ほどしかなく、選手、ファンはボクシング興行に飢えていたことがタイミング的に私に味方しました。私は適切な時期にプロモーターとしての仕事を始めたのです。

――特に関係が深かったベニー・ブリスコとはどういう間がらだったんでしょうか?

RP : 最も思い出深い選手を挙げるとすれば、やはりブリスコです。私の主催興行で10〜12人の殿堂入り選手が戦いましたが、ブリスコこそが私のフェリバリットファイターでした。彼の存在は様々な意味で助けになりましたし、私のプロモーターとしての成功は彼なしにあり得なかったでしょう。

――今でもボクシングは好きですか?

RP : 答えはノーです。今のボクシングは私が恋に落ちたボクシングとは別物です。すべて話していたらキリがありませんが、現在のボクシング界にはチャンピオンがたくさんい過ぎて、誰が本当の世界王者なのかわからなくなってしまいました。MLBやNBAに例えるなら、シーズン中に複数の地区王者だけが生まれ、その後のプレーオフでチャンピオンを決めないようなものです。

ーー王者の数が増え過ぎ、レベルが下がり、一人一人の知名度が激減する結果となってしまいました。

RP : 私が子供の頃はフロイド・パターソン(アメリカ)がヘビー級王者、ジーン・フルマー(アメリカ)がミドル級王者だと誰もが知っていました。今のボクシング界でそれだけの知名度がある選手はほとんどいません。エロール・スペンス・ジュニア(アメリカ)とテレンス・クロフォード(アメリカ)が同じ階級にいながら戦わないなんて馬鹿げているとしか言いようがない。彼らはファイターではなくビジネスマンです。

現役トップクラスの評価を勝ち得たスペンスだが、クロフォード戦はなかなか具体化せずにファンをがっかりさせている
現役トップクラスの評価を勝ち得たスペンスだが、クロフォード戦はなかなか具体化せずにファンをがっかりさせている写真:ロイター/アフロ

地元フィラデルフィアへの思い

――プロモーション活動を続け、2019年までプロモーターとしての記録が残っています。今後はどんな活動を続けるんでしょうか?

RP : 今の私はもうプロモーターとしては活動しておらず、5、6人の選手たちのアドバイザーをしているのみです。若い選手たちのキャリアを助けたいだけ。現状、テレビ契約を持つトップランク、マッチルームボクシング、ゴールデンボーイ・プロモーションズ、PBC以外、まともな形でプロモートするのはほぼ不可能です。以前と違い、良い選手がいればどうやってテレビ枠を得るかだけが勝負になってしまいました。現在のボクサーは過去にないほどの大金を稼げるとポジティブに捉えようとする人もいますが、そんな選手たちは全体の5%ほど。他の選手たちはまったく稼げなくなっています。

――今でもフィラデルフィアから有力なファイターが続々と登場しています。その割には、地元での大規模興行が少なくなってきているのは気になります。その原因になっているのは何なのでしょう?

RP : PBCのアル・ヘイモンはダニー・ガルシア、スティーブン・フルトン、ジャロン・エニス(すべてアメリカ)といったフィラデルフィア出身の好選手を抱えていますが、ブルックリンのバークレイズセンターと割の良い契約を結び、そこでの興行にしか興味はありません。ポスターを作ったり、選手に地元のコミュニティ活動に参加させたり、チケットを売るための努力はまったくしないのです。バークレイズセンターや他のカジノからお金が出ているのであれば、プロモーションは不要という考えなのでしょう。フィラデルフィアで大規模興行がないといいますが、ビッグファイトが行われている街はどれだけありますか?ラスベガス、フォックスウッズ、モヒガンサンといったコネチカットのカジノ、あとはテキサス、ロサンジェルス、ニューヨークくらいのものです。かつてはファイトタウンだったデトロイト、セントルイス、ボストン、シカゴなどでも興行はほとんどなくなるなど、冷遇されているのはフィラデルフィアだけではありません。

写真・本人提供
写真・本人提供

――フィラデルフィアのボクサーで、最も期待しているのは誰でしょう。

RP : エニスとフルトンが最も目を惹きますね。最近のボクサーたちはなかなか強豪と戦わないので、真価を測るのが難しい。無敗の選手はたくさんいますが、誰が本当に強いのかわかりません。エニス対セルゲイ・リピネッツ(ロシア)、フルトン対アンジェロ・レオ(アメリカ)のような試合がもっと必要なのです。エニスはメイウェザー家のようなボクサーファミリーの出身なので、今後、どんなふうに成長していくかが楽しみです。エニス家の中でも最高の選手になっていくかもしれません。

――最後に1つだけ日本関連の質問です。日本ミドル級王者にもなったフラッシャー石橋ことスティーブ・スミスは日本では圧倒的な力を発揮したのに、故郷のフィラデルフィアに帰ってからはトップクラスに歯が立ちませんでした。彼を覚えていますか?

RP : もちろん覚えていますよ。私の父がしばらく彼のマネージャーを務めていました。私がプロモートした興行でもスタンリー・ヘイワード、エディ・グレゴリー(後のエディ・ムスタファ・モハメド)と戦いましたね。そう、彼が日本で実績を積んだ選手だったこともよく覚えています。1981、1983年にジェフ・チャンドラー(アメリカ)が村田英次郎(金子)と対戦した際、私も日本に行きました。その興行のプロモーターだった金子繁治は素晴らしい男でした。ジョー小泉、カメラマンの林一道などとも親しくなり、日本での滞在は良い思い出ばかりです。

プロフィール

ジェイ・ラッセル・ペルツ: 1946年12月9日、アメリカ・ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。少年時代から熱心なボクシングファンだった。テンプル大学卒業後は新聞社に入社し、ボクシング記者を目指したが果たせず、22歳でプロモーターになる。1973年にはフィラデルフィア最大の室内競技場だったスペクトラムのボクシング・ディレクターに就任。ミドル級を中心に好カードを連発し、ボクシング人気爆発の立役者になった。2019年で引退。2004年には名誉の殿堂入りを果たしている。

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

杉浦大介の最近の記事