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沖縄で生まれ、今はアメリカ在住 22歳の榎本新作がBリーグ入りを決意した理由

杉浦大介スポーツライター
写真提供:FIBA

榎本新作(米国名 アイザイア・マーフィー)

1998年4月10日生まれ 22歳 

身長194cm、体重86kg SG/SF

 沖縄県でアメリカ人の父、日本人の母の元に生まれる。アラスカ州アンカレッジ、青森県三沢と移住し、高校2年からはアリゾナ州ツーソン在住。大学はピマ・コミュニティ・カレッジで2年を過ごした後、NCAAディビジョン2のイースタン・ニューメキシコ大に編入した。2017年にはアンダー19日本代表に初選出され、同年7月にエジプトで開催されたFIBA U-19ワールドカップに出場。今夏、再び日本に移住し、Bリーグ選手としてプロデビューを予定している。

 *インタビューは電話で行われた

学生時代は青森県三沢で過ごす

――新型コロナウイルスのおかげで全米の多くの人々がほとんど外出もできない状況ですが、最近はどのように過ごしていますか?

榎本新作(以下、SE): 残念なことになってしまっていますね。僕は両親の元で過ごしています。今は我慢強く待つことしかできない状況。早くまたバスケットボールがプレーできるようにと心から願っています。

――アリゾナ州ツーソンの実家に滞在しているとのことですが、身体を動かすことはできていますか?

SE : 自宅にはワークアウトができる部屋があって、トレッドミル、ダンベル、ストレッチポールなどが揃っています。それらを利用して、コンディションを保つようにはしています。

――来季は日本のBリーグでプレーすることを表明し、今では日本の多くのバスケットボールファンが榎本新作という選手に興味を持っています。日本でプレーしようと決意した理由を話していただけますか?

SE : アメリカの短大(ピマ・コミュニティ・カレッジ)でプレーしていた頃、何人かの代理人からBリーグでプレーしないかと声をかけられたことがあったんです。2017年にはアンダー19の日本代表に加わり、そこで多くのコネクションを作ることもできました。実はピマ・コミュニティ・カレッジでの2年生のシーズンを終えた後、すぐにBリーグに行くことも考えたんです。ただ、結局はイースタン・ニューメキシコ大でプレーすることに決めました。NCAAディビジョン2で2年間を過ごし、ここでついに日本行きが決まったという流れです。

――短大後に日本に行かなかったのは、もっとアメリカで経験を積みたいと考えたからですか?

SE : それもありますが、両親は僕がカレッジを卒業することを望んだというのも大きかったですね。彼らの助言も聞き入れ、大学であと2年間を過ごしました。

――自身のバックグラウンドについて、少し詳しく話してもらえますか。

SE : 沖縄にある米国空軍の嘉手納基地でアメリカ人の父、日本人の母の下に生まれ、そこで3歳まで過ごしました。その後、アラスカのアンカレジに移住して6、7年滞在したあと、日本に戻り、今度は三沢基地に住んだんです。そこでまた6年暮らし、高校2年生のときにアリゾナ州ツーソンに移り住んだというわけです。

――学生時代を青森県の三沢基地で過ごしたということですが、三沢での思い出というと何が真っ先に思い浮かびますか?

SE : 三沢では多くのフェスティバルが行われていて、それが最も印象に残っています。いろいろなものが食べれるので、お祭りは楽しかったですね。

八村塁は“元ルームメイト”

――バスケットボールはいつ始めたんでしょうか?

SE : 4歳の時です。母親が小さなバスケットボールのゴールを持っていて、それでいつも遊んでいました。子供の頃から両親は積極的にスポーツをするように勧めてくれて、サッカー、アメリカンフットボール、野球もプレーしました。バスケットボールと本格的に恋に落ち、真剣に取り組むようになったのはミドルスクール(中学生)の時です。その頃から毎日、バスケットボールに打ち込むようになり、三沢で暮らしている時もバスケばかりやっていました。

――先ほどアンダー19の日本代表の一員として2017年のFIBAワールドカップでプレーした話が出ましたが、その経験をどう振り返りますか?

SE : 本当に素晴らしい経験でした。短大での1年目が終わった後の夏、母親が僕の高校でのハイライトテープを日本の知り合いに送ってくれて、すると日本のコーチから「アンダー19日本代表のトライアウトに来てみたらどうか」という返事が返ってきたんです。幸いにも日本でのトライアウトでも良いプレーができたおかげで、代表入りが実現しました。そういった経緯を経て、エジプトでのワールドカップに出場できたんです。大舞台でのプレーは最高でした。また、エジプトでピラミッドが見れたのも良かったですね(笑)

――日本代表でのプレーで最も印象に残っていることは何ですか?

SE : 日本のバスケットボールについて多くを学べたと思います。アンダー19のチームでプレーしたとき、アメリカと日本のバスケには違いがあると感じました。日本の選手たちはゲームへのアプローチが違います。アメリカ人は派手なプレーを好み、ハイライトを作ろうとしますが、日本の選手たちは基本やスキル、スペーシングなどを重視し、細かいところにも注意を払います。そういったことを知れたという意味で、価値のある経験だったと思います。

――そのチームでは八村塁選手ともチームメイトになったんですよね?

SE : はい、その通りです。実はワールドカップの際、トレーニングセンターで僕と塁はルームメイトになったんです。だから彼と多くの時間を一緒に過ごしました。塁と仲良くなれて良かったですよ。本当にすごい才能を持った選手でした。あれほどの選手にはそれまで出会ったこともなかったので、彼のプレーを見るのが大好きでした。

――ワシントン・ウィザーズでプレーした八村選手のNBAでの1年目をどう見ましたか?

SE : いきなり良いシーズンを過ごしましたね。実はウィザーズからドラフト指名された際には、フィットするかを疑問に感じたんです。それがすぐに実力を発揮したので、見ていても嬉しかったです。

――ルームメイトだった当時、コート外での八村選手はどんな様子でした?

SE : どちらかといえば物静かな方ですが、ユーモアのセンスがありました。面白いやつですよ。当時の彼はほとんど英語は喋れなかったのですが、それでもおかしなことを言ってきたのをよく覚えています(笑)

 後編へ続く

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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