ここのところ相次ぐ有名人の自死。テレビをはじめとするメディアによる報道の姿勢も最近非常に問われるようになった。世界保健機関(WHO)の「自殺報道ガイドライン」が厚生労働省のホームページに掲載され、今年何度も報道機関に対して「報道ガイドラインを踏まえた報道の徹底」を厚労省は呼びかけている。最新の呼びかけは先月19日に、女性ロックバンドのメンバーの急逝に伴って行われているが、この3ヶ月間になんと4回も「お願い」はされている。

しかし、こうした報道姿勢について「自死遺族」たちの声が紹介されることは意外と少ない。「自殺という言葉を使わずに『自死』という言葉を使って欲しい。自死は『自分を殺した』のではなく、追い詰められた末に死なざるを得なかったのだから。『殺す』という字を使うことによって別の死因と区別せず、同等に扱って欲しい」という自死遺族の声はなかなか届かず、いまだにほとんどのメディアは「自殺」という言葉を使い続けている。

そこで今回、「NPO法人セレニティ」代表理事の田口まゆさんにお話をうかがった。田口さんは中学一年生の頃にお父様を自死で失っている。田口さんのお話は、自死報道についてメディア考えるべき多くのポイントを含む、示唆に富むものだと思うので、ぜひメディア関係者を含め多くの人に読んでもらいたいと思う。

学校で先生に「謝れ」と言われて感じた差別

Q:なぜ自死遺族として活動をなさろうと思われたのですか。

A:父親の自死のことは一切排除したいというか、自分の人生になかったことにしていきたかったのですが、やはりなかなか前に進めなかったからです。

 担任の教師に、父が自死で亡くなって、喪が明けて学校に行ったら、クラスメートのみんなの前にいきなり立たされて、頭を下げろと言われました。いきなり、「これからもよろしくお願いしますと言いなさい」というふうに言われました。私が住んでいた所は本当に小さな町だったので、父の自殺のことは町中に広まっていて隠すことができませんでした。ですから、恐らく迷惑を掛けてすみませんという感じで「謝れ」と。みんなの前で頭を下げろと言わされて、悔しいながらも、ここは頭を下げなくてはいけないのだなと思って、頭を下げたというのが、私にとって父を亡くした後、最初に受けた差別でした。何でこんなことしなくてはいけないのだろうと思いました。

 中1ですし、今から三十何年も前の話ですし、ただやはり、それに伴ういろいろな、父親の自死のことで自分の人生を踏みにじらされた、やはり愛された父に裏切られたという思いもありますし、家族もばらばらになりましたし、本当に全てが変わってしまったので。

大人になってから、私は先生に会いに行こうと思いました。もしかしたら、あのことは私の勘違いかもしれないと思って、きちんとあの時のことを折り合いを付けていかないと自分も前に進めないなと思って、そうだ、先生に会って直接この話をしようと思いました。

「NPO法人セレニティ」代表理事 田口まゆさん (筆者撮影)
「NPO法人セレニティ」代表理事 田口まゆさん (筆者撮影)

久しぶりに会った恩師に言われた「衝撃的な言葉」

久しぶりに会いたいのだという感じで先生に連絡を取ったら、先生は当時、地元の隣の中学校の校長先生になっていて、「実は今日来た目的としては、私の父が自殺をした時に先生にこういうことをされました。私はずっとそのことを引きずっています。なぜあの時こういうことをさせたのだということを、私は先生に聞きたくてここに来ました」という話を、校長室で話をしました。そうしたら先生に、「正直、覚えていない」と言われました。

そして「田口、おまえ、そういうことを気にしているから結婚できないんだ」と言われました。その言葉を聞いた時に、ああ、この人は…と思いました。この人は傷付けようと思ってではなく、無意識のうちに、多分、自分が良かれと思っていることが人を傷付けているのだと思いました。

Q:ちなみにお父さまがお亡くなりになったのはお幾つの時ですか。

A:私が13歳で、父が39歳でした。

母は元々、割とおとなしい人だったのですが、父も静かな人でしたが、でも、割と服装とかは明るめな服を着たり華やかな人だったのですが、父が亡くなってから一切そういう服は着なくなって、本当にひっそりというか、お金の使い方すらも「とにかくお父さんが悪いんだから」と言っていました。

 私はやはり子どもだから「何でお父さんが悪いんだ、だからといって何で私たちがそんなに肩身の狭い思いをして暮らさなくてはいけないんだ」と言っていました。そうすると母は「いや、とにかくお父さんが悪い」と理由は分からないですがそれしか言わないのです。納得がいかない、理由が分からない。自殺をしたということで、何でこんなに私たちが?ですよ。

Q:周りの自死遺族の方も、そういう意味ではいろいろ差別的なことを感じていたりされていますか?

A:あからさまに言われることもあるみたいですが、逆に触れてはいけないような…多分、相手方は差別と思って言っていないと思います。例えば、自殺でお子さん亡くされた方は、「もう一人つくればいい、もう一人いるからいいじゃない」と言われたり…。そういう問題ではないですし。あとは、やはり戒名に自殺をほのめかす「差別戒名」を付けられたり。あとは、自殺したことを隠して言っていないのに、家の前に花束を置かれているとか。

自死の「原因は何か」憶測はやめてほしい

Q:最近、有名人の自死が相次いでいるということで、テレビで自死の問題をやることが多いですよね。ご覧になっていてどうお感じになりますか。

A:やはり、私は遺族だから分かりますが、遺族自身が原因は何だろうと思うし、ずっとそのことしか考えて生きてこなかったですから。私もこの年齢になって父の年齢を超えて「ああ、これだったかな」というのは思いますが、ただ、結局本人は死んでしまっていますし、多分、本人もよく分かっていない場合も多いと思います。

もう10年以上前ですが、私も一度自殺未遂しています。26歳ぐらいか。そのときも、母親とすごくけんかをしてしまって、それでかっとなってしまったところもあると思うのですが、車で川に飛び込みました。そのときに本当にラッキーだったのが、水なし川で、当たり所が良かったのかもしれないですが、あばらのひびが入っただけで助かったので、次の日から仕事に行っていました。

けれども、何で死のうと思ったかは自分でもよく分からないですよね。衝動的にもう、かっとなってしまって。

結局メディア、特に地上波はやはりいまだにすごく影響もあると思うし、それで数字が取れるというものあると思います。全部臆測で「原因は何か」といろいろなことを報道すると、その先に残された人がいるというイメージが多分ないのだろうと思います。傷つく人がいるとか、言われた家族がどう思うんだろうとか。私もこの活動をしていて思うのは、自殺をした本人に対しては関心はすごく集まるけれども、その周辺の遺族や親しい人に対しては全く抜け落ちていると感じることがあります。そこはやはり残された人たちに配慮しての報道というか、事実のみを淡々とでいいではないのかと私は思います。

「いのちの電話」の連絡先を載せればいいのか

Q:今、ある程度昔に比べると、例えば必ず「いのちの電話」の連絡先を紹介するとか、例えば記事のタイトルなどに自殺という言葉を使わないなど、WHOのガイドラインに沿う形で若干の配慮をして報道していますが、その配慮についてはどう思われますか。

A:以前に比べたら、きっと相当メディアの方たちも配慮をしてくださっているなとすごく感じるのですが、ただ、「いのちの電話」の相談を受ける人たちは、全然足りていないですからね。ほとんどボランティアの方ですから。予算もありませんし。

「いのちの電話」も、高齢化でなり手もおらず、だからといっていきなり素人が受けるわけにもいかず、研修を受けなくてはいけないとか、それも恐らく全部自費ではないですかね。相当余裕がある人しかできないです。本当にみんな自腹で、自分の生活を削っています。それで、よくやってるね、偉いねで終わってしまうというか。

そういうことではなくて、もっと国全体として福祉とかそういうところに予算をつけてほしいというのは、個人的にはすごく思います。

「連絡先を載せておけばいいよね」という感じがします。投げるのはいいけれども、そこがもう疲弊してしまって、あまり機能していないのではないかなと思います。メディアの方はそこまではご存じないと思いますが。

「自死の先には遺族がいる」と思って配慮を

私が父を殺したという思いは、ずっとあります。私が原因ではないと今では頭では分かりますが、「あのとき冷たくしたのが原因だったかな」と思ってしまいます。それは母もそうです。遺書もなかったですし、母もずっと苦しんでいました。やはりあのときに、何か声を掛けていたら違ったかなと。

お子さんを自死で亡くされたあるお母さんが、「あの子は甘い物が好きだったけれども、甘い物をあげなかったからああいうふうになったのかな」とおっしゃっていました。絶対そうではないと思うことを全部結び付けてしまうのです。だから、何を言われても自分を責めてしまうというか、「あなたのせいではないよ」と声を掛けられたとしても、絶対にそれは受け入れられないというか、やはり自分のせいなのではないか思ってしまうのです。

やはりご家族への配慮というか、遺族の方もその先にはいらっしゃるという、遺族の方が一番傷付いていらっしゃるということで、一言、遺族もいますよという言葉や配慮があると、すごくいいと思います。

「身内の自死に気がつけない」のは仕方ないこと

Q:身近な人の自死に気づけるものなのでしょうか?

A:気づけないですね。私は全然気づかなかったです。

Q:普通は気づけないですよね。

A:むしろ逆に、私からすると父は楽しそうでした。…やはり防げなかったです。防げたら防ぎますよね。難しいですよね。防げたら、自死はこんなに増えていないと思います。

もちろん何度も未遂を繰り返して、ずっとそういう感じの人もいます。本当にみんながみんな同じではないです。

これは私のストーリーなので、これが遺族の総意だと思わないで欲しいです。

中には「ほっとした」という人もいます。何度も死にたいと自殺未遂を繰り返して、やっと解放されたという遺族もいらっしゃいます。でも、それは責められないですよね。

遺族には「死因を隠す権利」があるのではないか

面と向かってこんなことを言われたこともありました。

その方は失業中で、辛い立場にあったみたいでしたが、「うちの父親は公務員で仕事もあって、奥さんもいて、子どももいて、全部持っているのに何で死ぬんだと。俺は何も一つも持っていない」と言って、「そんなお父さんが死ぬということは、あなたのことは愛していなかったんだ」というふうに言われたことがありました。

でも、私もそれはずっと思っていましたから。あんなに愛されていたと思っていたのに。だから、私のことは考えなかったのかなと、本当に思って、それはいまだに聞きたいというか。何度も、お父さんは私のことは忘れたわけではないと思うけれども、やはり私とお母さんはどうでもよくなかったのかなとか、本当に傷付いてばかりです。本当は遺族は一番ケアされなくてはいけないのに。

Q:遺族の方には死因を隠す自由というか、権利がありそうな気がしますね。

A:あると思います。結構、隠される方もいます。心不全と言ったり。

Q:普通、病死の時は、病名はそんなに明らかにしないですよね。自殺だけ何で自殺だということが公開されてしまうのかと、考えてみれば不思議なものですよね。

A:確かに、本当にそうですね。死因は結構、センシティブ情報ですよね。言いたくなければそれでいいですものね。

「自死遺族が相談できる」連絡先も紹介を

Q:最後の質問になりますが、そういう自死に関するメディアの報道はどうあるべきか、どうなっていったらいいなと思われますか?

A:遺族への配慮というか、「いのちの電話」の番号を伝えるように「遺族の相談」の連絡先のような、そういうものも入れてくれたらいいなと思います。自死遺族の団体の連絡先を入れてくれると、少し遺族という認知も高まりますし、遺族の人もつらいのだなと思ってもらえるのではないでしょうか。

親しい人を自死で亡くしている人は実はたくさんいます。話さないだけでたくさんいると思います。身内ではなくても、やはり友人、知人、恋人、職場の人たちとかが自死すれば、やはりショックですよね。やはり自分事と捉えて欲しいです。そうすると、もっとみんな遺族への配慮というか、「私もそうだわ」と少し思ってもらえるかなと。そうすると、ネットの書き込みなども過激なことにはならないかなと思います。