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坂本龍一さんの「たかが電気」発言は切り取りによるミスリード。死去で再び批判集まる

篠原修司ITジャーナリスト/炎上解説やデマ訂正が専門
坂本龍一さん(写真:Splash/アフロ)

 作曲家の坂本龍一さんの死去にともない、坂本さんが2012年7月の脱原発デモに参加したときの「たかが電気です」という発言に対して再び批判が集まる事態が起きています。

 筆者も当時、「たかが電気です」「たかが電気のために なんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか」のキャプションが入ったキャプチャ画像を見て「電気はいるでしょ」と思ったのですが、全文を確認してみれば切り取りによるミスリードでした。

 というわけで、ここに全文を書き起こします。スピーチの映像はこちらのYouTubeの動画から確認できます。

脱原発デモでの坂本龍一さん発言 全文書き起こし

みなさん、こんにちは。

いまもこちらにたどり着くのが非常に困難で、それほどの人波です。

4会場あるそうなんですが、それもみんな人で埋まっているという。

ちょうど思い起こせば42年前に、私はまだ18歳で、ここにいました。代々木公園にいたんです。そのときは日米安保改定反対ということでここにいましたけれども、今日はそりゃ、そのときはやはり学生とか労働者の集まりだったんですが、今日はやはり毎週金曜日の首相官邸前の抗議と同じように、多くの普通の市民の方が来てらっしゃると思います。

僕も日本人、いち市民としてここに来ました。で、本当に40年以上ぶりにこうやって日本の市民が声を上げているということは、とても、私も感無量です。それほど原発に対する恐怖や、日本政府の原発政策に対する怒りというものが、日本国民に充満しているのだと思います。

毎週金曜日の首相官邸前の抗議もすばらしいことだと思いますが、残念ながら、それだけでは原発は止まらない。再稼働されてしまった。もちろん諦めずに声を上げていくことは大事ですが、どうもそれだけでは政府の耳には届かないらしい。残念ながら。

というわけで、こういう大きな集会を催したり、それからパブリックコメントをじゃんじゃん書くとかですね。あるいは地方の首長、脱原発の首長をどんどん日本にふやしていくこと。ちょうど今月末にも、山口県知事に飯田哲也さんが立候補していますが、そうやって地方にもとても見識のある市長さんがたくさんいますので、そういう声も集めていくこと。

それからですね、長期的にはなりますが、すぐ止めろと言っても止めないのでですね。我々にできることは何かといえば、電力会社への依存を少しでも減らしていくということですね。

はい、こういう声がもちろん、彼らにも少しプレッシャーとなって届きますし、本当に電力会社の料金体系の決め方の問題とかですね、発送電の分離とかですね、地域独占とか、そういうものがどんどん自由化していけば、原発に頼らない電気を我々市民が選ぶことができるわけです。

また、いち家庭や事業所などがですね、どんどん自家発電していくと、そうやって時間はかかりますが、少しでも電力会社への依存を減らせばですね。私たちのお金が電力会社にいってしまって、それが原発がいるものに、そういう施設になるわけですから、そういうところに払うお金を少しでも減らしていくと。いうことはとても大事だと思っています。

はい。それで、言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のために何で命を危険にさらさなきゃいけないんでしょうか?

はい、そうです。それで僕はですね。いつごろになるかわかりませんけども、今世紀の半分ぐらい、2050年ぐらいには電気などというものは各家庭や事業所や工場などで自家発電するのがもう当たり前と、常識と、いう社会になっているというふうに僕は希望を持っています。

そうなってほしいと思います。

たかが電気のために、この美しい日本、そして国の未来である子供の命を危険にさらすようなことはするべきではありません。

お金より命です。経済より生命。子供を守りましょう。日本の国土を守りましょう。はい最後に

「Keeping silent after Fukushima is barbaric.

福島のあとに沈黙していることは野蛮だ」

というのは私の心情です。

「自家発電に切り替えて原発を止めよう」の意味

 全文を読めばわかると思いますが、坂本龍一さんは「たかが電気だ。いますぐ原発を止めろ」と言ったわけではありません。

 「原発は止まらない。だから、家庭や事業所が自家発電にどんどん切り替えていき、2050年ぐらいには原発をやめられるくらい自家発電が当たり前の世界にしていこう。たかが電気のために日本や子供の未来を危険に晒す必要はない」と言ったわけです。

 まあこういう炎上案件について書くと「お前の受け取り方が間違ってる」といった批判がくることが予想されるので、筆者ではなくAI(ChatGPT-4)に要約して貰った文章も置いておきます。

この文章は、代々木公園で開かれた反原発集会に参加した著者が、原発に対する恐怖や日本政府の原発政策に対する怒りを表明しています。

彼は、首相官邸前の抗議が素晴らしいとしながらも、それだけでは原発は止まらないと語ります。大きな集会を開くこと、パブリックコメントを書くこと、地方の首長を増やすことが重要だと述べています。

また、電力会社への依存を減らし、家庭や事業所が自家発電を行うことで、原発に頼らない電気を選べるようになることを提案しています。

最後に、「福島のあとに沈黙していることは野蛮だ」という言葉で、原発反対の強い心情を表現しています。

 AI様は「たかが電気」の部分は完全にスルーして、「電力会社への依存を減らし、家庭や事業所が自家発電を行うことで、原発に頼らない電気を選べるようになる」提案だと解釈しています。

切り取り発言で批判は間違っているし、無意味

 全体の発言を読めば、坂本龍一さんの主張に対して賛同や反対といった意見の受け取り方の違いはあるにしても、SNSに投稿されているような「人間はエネルギーがなければ生きていけない」、「『たかが電気』と言ったくせに電気をバカ食いするNFTを使って音符を595万円で売り捌こうとした」、「たかが電気と言い張った挙句に電気自動車のCMに出るようなダブスタクソ老害」といった批判をするのは間違いだと言えます。

 坂本龍一さんは原発をすぐには止められない(政府が止めない)から、家庭や事業所が自家発電することで2050年ぐらいには止められるようになったらいいと原発をなくすための道筋を話しているだけです。

 決して「たかが電気」だから「電気は不要」とは言っていません。

 だから「電気は不要」といった受け取り方で批判をするのは間違っています。

 批判をするのであれば、自家発電を進めることで原発を止めることが可能かどうか、そもそもそうまでして止める必要があるのかといった話をしないと意味がありません。

 ちなみに2016年時点の報道では、企業が自家発電設備の新設や増設をしたことで原発7基分(約700万キロワット)に相当する設備が増えたとありました。

 そして、内閣府原子力委員会の資料によると、日本国内の原子力発電設備の総容量は5,085万キロワットにのぼるとのことです。

 単純計算で約14%を自家発電で補えるようになったわけですが(それも2016年の時点で)、家庭や事業所がさらに自家発電をすすめた場合どれくらいになるのか、その場合電気代がどうなるのか、そもそも維持できるのか、などなど、そういった方向で議論が深まれば坂本龍一さんとしても嬉しいのではないでしょうか。

ITジャーナリスト/炎上解説やデマ訂正が専門

1983年生まれ。福岡県在住。2007年よりフリーランスのライターとして活動中。スマホ、ネットの話題や炎上などが専門。ファクトチェック団体『インファクト』編集員としてデマの検証も行っています。最近はYouTubeでの活動も。執筆や取材の依頼は digimaganet@gmail.com まで

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