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大谷翔平選手の結婚相手をめぐる情報・報道の混乱にあの一件を思い出して心配になった

篠田博之月刊『創』編集長
大谷選手の結婚会見(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

和田アキ子さんの「失言」騒動!?

 TBS番組「アッコにおまかせ」で和田アキ子さんの失言騒動があったとネットで話題になっていたので何かと思ってみたら、番組で大谷翔平選手の結婚相手について触れた時に、和田さんが「奥様って180センチくらいあるんでしょ?」と言ったらしい。慌ててスタジオにいたアナウンサーが「奥様の情報、何もわかってないので」と訂正し、和田さんも「あっ…」と絶句したという。つまりテレビなどで大谷選手の妻についての情報に触れるのはタブーになっているのにうっかり口を滑らせてしまったというわけだ。

 でも週刊誌などでは身長180センチは記事の見出しにもなっているし、その和田さんの話を「失言」と何か事件のように騒ぐのもどうなのだろうか。むしろテレビ局などの気の使いようのほうに違和感を覚えてしまう。

 これは要するに、結婚についての囲み会見などで大谷選手本人も言っているように、妻のプライバシーにはあまり触れないでほしいという意向が当事者の側にあるからだろう。大谷選手はいま、メディアにとってはとても大事な報道のアイテムで、機嫌を損ねて報道に支障が出ては大変だというわけだ。

 ここで気になってしまうのは、昨年、電撃結婚から電撃離婚へと驚きの展開をたどったアイススケートの羽生結弦さんのケースだ。この時も、妻についての情報をいっさい伏せていたのだが、それがネットに出て週刊誌に出てと、当事者たちの意向に反する形で情報が出回るようになり、羽生さんが反発するコメントを出すという不幸な展開に至ってしまった。ネットなどでは、妻の個人情報が隠されているからこそ、それを暴けば話題になると、真偽不明の情報を含めてさらそうとする。今回の大谷選手の場合も、妻の情報はネットでは既に実名や顔写真も含めてさらされ、それをネタにした動画も幾つも出回っている。

 真偽不明な情報を含めて、こういう形でプライバシーをさらされることが当事者にとってとても不快なことであるのは容易に想像がつく。何かこの流れは、羽生さんの時の流れを連想させることを含めて、とても不幸なことであるように思えてならない。

女性週刊誌の表紙はいずれも結婚発表した大谷選手(筆者撮影)
女性週刊誌の表紙はいずれも結婚発表した大谷選手(筆者撮影)

一方で週刊誌、さらにネットの踏み込み

 結婚相手がパパラッチのようなものに追い回されるのは許しがたいから、公にすべき情報とプライバシーとの間に線を引こうという大谷選手側の考えは間違っていないのだが、今の状況を見ていると、このままで大丈夫なのかと思わざるをえない。

 恐らく週刊誌も、そのへんは手探りしながら、結婚相手の情報を記事にしているのだろうが、A子さんなどと匿名にしながらも、例えば『女性セブン』3月21日号の「花嫁は180センチ超バスケ才媛 完璧すぎる結婚」という記事などかなり詳細だ。見出しからして妻の個人情報に触れているし、見出し脇にはボカシを入れた妻らしき女性の写真まで掲載されている。新聞やテレビがそうした個人情報に全く触れられないからこそ、ニュースバリューがあるという判断なのだろう。

 ネットの場合はさらにプライバシーへの配慮などほとんど見られず、真偽不明の情報や顔写真・実名が公開されている。こういう報道のあり方でよいのだろうかと強く思わざるをえない。羽生さんの時の経緯があるだけになおさらだ。

『週刊新潮』で披露された興味深いコメント

 そんなことを感じている時に面白い記事だと思ったのが『週刊新潮』3月14日号「『大谷翔平』結婚への10の”祝辞“」だ。結婚をめぐる10人のコメントを掲載するという、企画としては全くありがちなものなのだが、その中で何人もが、この妻の情報の出し方、報道のあり方をめぐってコメントしており、それがとても考えさせられるのだ。

 例えば在米ジャーナリスト志村朋哉さんは「結婚報道の過熱ぶりは日米で大差」と題して「アメリカの記者の多くは、大谷選手の結婚相手について興味を示しません」と指摘している。いったいどういう相手なのかと細かく詮索しているのは日本特有だというのだ。そのうえでこうも指摘している。「一方、大谷選手は囲み取材に応じたにもかかわらず、結婚相手の氏名すら公表しなかった。それを不可解に思うアメリカ人は少なくないでしょう」

『週刊新潮』3月14日号(筆者撮影)
『週刊新潮』3月14日号(筆者撮影)

 デーブ・スペクターさんも同様の指摘を「“夫人非公表”は全米でも異例」という見出しのもとに行っている。「日本の芸能界では結婚相手を『一般人』だからと非公表にする傾向がありますが、アメリカでは著名人が結婚したら、どんな相手でも名前をハッキリ明かします。そもそもアメリカでは『一般人』に当てはまる訳語はなく、それが非公表の理由にはなりません」

 さらにこうも言っている。「メジャーでは応援のため選手の妻が球場に来るのが日常茶飯事で、メディアがコメントを求めることもあります。奥さんを伏せたままでは、せっかく彼女が応援に来ても、迎える側に気を遣わせてしまう」

 10人のコメントの中で元メジャーリーガー田口壮選手の妻・恵美子さんもこう語っている。「日本との大きな違いでいえば、選手の奥さんになればキャンプに帯同、ゲームの度に球場に足を運ぶのがあたり前という風潮があるところでしょうか」

 10人のひとり江川紹子さんのコメントは「“羽生結弦騒動”でも問われた『無許可取材』の是非」と見出しがついている。今回の大谷選手の結婚発表のコメントで「両親族を含め無許可での取材等はお控えいただきますよう宜しくお願い申し上げます」という一節があったことを問題にしているのだが、確かに私もそれを読んだ時に気になった。

気になる「無許可取材」という表現

「無許可取材」を控えてほしいというのは、前述した羽生結弦さんの時にも使われたフレーズで、江川さんはその時にも疑問を呈していたと思う。取材は全て許可を得なければ認められないとなると、自由な取材が制限されてしまう。大谷選手も決して取材を完璧に制限するという趣旨でそう言っているのではないだろうが、特に大手メディアに属さず取材報道を行っているジャーナリストにとっては「無許可取材」というこの言い方にはひっかかりを感じざるをえないだろう。

 この表現だと、記者クラブのような形での取材以外は認めないと言っているように聞こえてしまう。時には取材対象者に不利益なことでも必要とあれば報道するのが本来のジャーナリズムで、それゆえこの「無許可取材」という表現は何かもう少し考えてほしいと思う。

 本来なら大谷選手とその家族のプライバシーはどこまで踏み込むのが許されるかというのは報道する側の理性で判断されるべきものだ。それの正常な判断がなされず、特にネット社会だとプライバシー侵害が当たり前になっている現実があるからこそ、大谷選手側も警戒をあらわにするのだろう。そういう現状はまさに不幸なことで、不自然な形で情報が伏せられたり、新聞・テレビが腫れ物に触るように気を遣いながら報道するというのも、もう少し何とかならないものかと思う。

プライバシー報道について考えるべき機会では…

 一部報道によると、前述したようなメジャーリーグの慣習によって、遠くない時期に大谷選手の妻が球場に姿を見せる機会があるのではないかという。その折に可能なら、もう少し自然な形で妻がメディアで顔を見せ、隠された秘密を暴く式の過剰なネットでの扱いがなされないような状況を望みたい。この間の新聞・テレビの異様な気の使いようも、それゆえにこそ隠されたプライバシーを暴こうとするような情報流出も、いびつな感じは否めない。

 そのあたりはプライバシー報道のあり方について、日本でこれまできちんとした議論が行われていない結果なのだろう。もちろんプライバシーをめぐって裁判になったりしたケースはこれまでいくらでもあり、その都度議論は行われてはきたのだが、社会的なルールがある程度確立した状況とは言えないのが現実だろう。それゆえネットでのプライバシー侵害や誹謗中傷が放置されている現実も存在する。

 今回の大谷選手の結婚問題は良い機会でもあるから、もう少し成熟した報道・情報のあり方がどうしたら実現するのか、ぜひ考えてほしいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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