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松元ヒロさんの話に笑い、オウム元教祖三女の話に涙…「鈴木邦男さんを偲び語る会」で語られた内容

篠田博之月刊『創』編集長
発言する田原総一朗さん(写真は全て主催者撮影)

すずき 2023年4月2日、都内で開催された「鈴木邦男さんを偲び語る会」に200人弱が集まり、1月11日に亡くなった鈴木邦男さんについて語り合った。新右翼からリベラル派に変わったと言われる鈴木さんだが、その本質は変わっていないのではないか、そもそも鈴木さんとはどういう存在だったのかなど、いろいろな立場から発言がなされた。

多くの人たちが参加した(主催者撮影)
多くの人たちが参加した(主催者撮影)

 鈴木さんについて語ることは日本の言論界のあり方について語ることでもあるという趣旨でこういう場を設定したものだが、共同通信などが取材に訪れていたし、IWJが既にYouTubeに動画を配信している。

https://www.youtube.com/watch?v=2hI3N19D24M

 また当日参加者がSNSにたくさんの写真をアップしてくれている。

佐高信さん
佐高信さん

 ここで会を主催した者として当日の様子を簡単に報告しておこう。鈴木さんは私の編集する月刊『創』(つくる)に30年近く「言論の覚悟」という連載を続けていたのだが、その連載が2020年に鈴木さんの病気で中断したまま、本人が帰らぬ人となってしまったわけだ。『創』では4月号で大きな追悼特集を組んだ。

松元ヒロさんの話で会場が笑いに包まれた

 発言は田原総一朗さん、佐高信さん、武田砂鉄さんなどの順で行われたが、松元ヒロさんのスピーチには会場が笑いに包まれた。

かつて担当編集者だった武田砂鉄さん
かつて担当編集者だった武田砂鉄さん

松元ヒロさん
松元ヒロさん

オウム元教祖三女の話に会場が涙

 オウム元教祖の三女である松本麗華さんは、辛い状況の自分に包容力を持って接してくれた邦男さんへの感謝の手紙を切々と読み上げ、会場のあちこちで何人もの人たちがハンカチで涙をぬぐっていた。

松本麗華さんが手紙を切々と
松本麗華さんが手紙を切々と

 そのほかスペシャルゲストとして、イルカ漁を描いたアメリカ映画「ザ・コーヴ」がネトウヨなどの激しい攻撃にあった時の経緯を配給会社の代表が語ってくれた。鈴木さんが「映画を観もしないで潰せというのはおかしいじゃないか」などと妨害グループの隊列に働きかけ、時には現場が騒然とし、鈴木さんが顔から出血したこともあった。その経緯を話した配給会社代表の自宅にも当時は街宣がかけられた。

配給会社代表・加藤武史さん
配給会社代表・加藤武史さん

 次に鈴木さんと高校で同級生だった大江田賢良さんが、当時の鈴木さんについて語った。鈴木さんは早大入学後に民族派の学生運動に入っていったのだが、その前の高校時代にも、教師を殴って退学処分を受けている。プロテスタント系の規律の厳格な高校で、鈴木さんはそれに反発したのだが、高校時代から「行動派」だったわけだ。その後、翌年に鈴木さんは無事に高校を卒業した。

 その会では鈴木さんと同じ高校の後輩も発言し、同窓会には鈴木さんはいつも仙台に帰って参加していたという。

「夕刻のコペルニクス」の担当編集者だった河合健さん
「夕刻のコペルニクス」の担当編集者だった河合健さん

 さらに前述した松本麗華さんのスピーチの後には、かつて『SPA!』で鈴木さんが連載した「夕刻のコペルニクス」の担当編集者だった河合健さんが、当時のエピソードを語った。最初、編集長が連載タイトルとして考えたのは「一人街宣車」だった。しかし、鈴木さん本人が難色を示し、「夕刻のコペルニクス」になった経緯など興味深い話だった。

 月刊『創』の鈴木さんの連載「言論の覚悟」は30年近く続いたのだが、「夕刻のコペルニクス」はその前に連載が始まり、鈴木さんの本格連載の最初の機会となった。

鈴木さんのドキュメンタリー映画が4月8日から追悼上映

 その後は、鈴木さんのドキュメンタリー映画を撮った中村真夕監督とジャン・ユンカーマンさんのトーク。

鈴木さんのドキュメンタリー映画を撮った中村真夕監督(左)とジャン・ユンカーマンさん
鈴木さんのドキュメンタリー映画を撮った中村真夕監督(左)とジャン・ユンカーマンさん

 中村監督が撮った鈴木さんのドキュメンタリー映画「愛国者に気をつけろ!鈴木邦男」はポレポレ東中野で4月8日から1週間限定の追悼上映が決まっている。

https://pole2.co.jp/coming

 ジャン・ユンカーマンさんは「映画 日本国憲法」などで知られるドキュメンタリー映画監督だが、ここではニューヨークで鈴木さんを招いて日本国憲法についてシンポジウムを行った時の話をしてくれた。このシンポジウムで鈴木さんは、日本国憲法の起草に関わったベアテさんらと対話したのだが、この経験は鈴木さんの憲法観にとても大きな影響を与えている。

 会場にはそのシンポを企画した渡辺さんも来ていて後で話をしたが、シンポへの鈴木さんの参加をめぐっては、日本の右翼が討論に参加するということでいろいろ大変だったらしい。それについては、興味深い話なので改めてどこかで報告しよう。

山口4区めぐる選挙活動中の有田さんも駆け付けた

 山口4区の安倍元首相の地元で立憲民主党から立候補して、いまや話題の人になっている有田芳生さんも忙しい中を駆け付け、吉岡忍さんとトークを行った。実はその日、選挙運動に駆け付けねばならなくなったと会を欠席した人が複数いたのだが、逆に多忙な中を駆け付けてくれた有田さんに対して、吉岡さんは開口一番「ここに来れたということは、もう勝ち目がないということ?」と語りかけて会場の笑いを誘った。

有田芳生さん(左)と吉岡忍さん
有田芳生さん(左)と吉岡忍さん

 有田さんは発言の中で、鈴木さんをめぐる最大の謎とされる赤報隊事件について触れた。警察は長らく犯人は鈴木さんの周辺にいるものではないかと疑い、鈴木さんの自宅などは何度も家宅捜索を受けている。というのも鈴木さん自身、赤報隊の犯人に会ったが詳細は言えないと言ったり書いたりしていた時期があった。それが真実だとしても鈴木さんはその真相を墓場まで持っていくタイプだからなすすべはないのだが、そうだとしたら何かヒントになるようなことはないかと、いまだに鈴木さんと関連させてその事件に言及する人がいる。

 有田さんは今回の話で一つの仮説を提示したのだが、真相は不明だ。これについても、鈴木さんが今回亡くなってしまったのは残念だ。

 会の方は、そのあとで森達也さんと雨宮処凛さんのトークで第1部は終了。

森達也さん(左)と雨宮処凛さん
森達也さん(左)と雨宮処凛さん

第2部でも多数の論客が発言

 続いて会食席に場を移して第2部が行われた。

 第2部は残念ながらYouTube配信には収録されていないのだが、ロフトプラスワンの平野悠さんと鈴木さんの著書を編集した椎野礼仁さん、そのほか金平茂紀さん、高野孟さん、白井聡さんら論客が次々と登壇した。

雨宮処凛さん(左)と金平茂紀さん
雨宮処凛さん(左)と金平茂紀さん

平野悠さん(左)と石坂啓さん
平野悠さん(左)と石坂啓さん

 さらに飛松五男さんと寺脇研さんのトーク、辛淑玉さんの気合のこもったスピーチに松元ヒロさんのパントマイム披露、マンガ家の石坂啓さんの話などで盛り上がった。

辛淑玉さん(左)と松元ヒロさん
辛淑玉さん(左)と松元ヒロさん

 主な発言は5月7日発売の月刊『創』(つくる)6月号に掲載予定だ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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