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尹錫悦政権の対北朝鮮『大胆な構想』の中身と期待度

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
8月15日の「光復節」記念行事で演説する尹錫悦大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は8月15日の「光復節」演説で、北朝鮮に対し先に経済支援を行うなど柔軟な姿勢を骨子とする『大胆な構想』を提案した。しかし韓国では実現可能性が低いという総評だ。難解な中身をまとめ、専門家に話を聞いた。

●『大胆な構想』への転換

尹大統領はこの日、約13分のあいだ行った演説の中盤で『大胆な構想』について以下のように述べた。

北韓(訳注:朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮)の非核化は韓半島と東北アジア、そして全世界の持続可能な平和に必須なものです。

私は北韓が核開発を中断し実質的な非核化に転換するならば、その段階に合わせて北韓の経済と民生を画期的に改善する大胆な構想を今この場で提案します。

北韓に対する大規模な食糧供給プログラム、発電と送配電インフラ支援、国際交易のための港湾と空港の現代化プロジェクト、農業生産性向上のための技術支援プログラム、病院と医療インフラの現代化支援、国際投資および金融支援プログラムを実施します。

この内容は「北朝鮮の非核化の段階に応じて、段階的に経済的なインセンティブを提供する」と受け取られ、話題を呼んだ。

なぜなら尹政権の北朝鮮政策の基調はこれまで「非核化が最優先の状況で、南北協力や経済協力などは後回し」(BBC韓国語版より引用)と理解されてきたからだ。

つまりは「非核化が行われない限り次の段階は無い」という姿勢だった。だが尹大統領の発言は非核化と経済協力を同時に進めるものと受け止められ、大きな転換となった。

しかし尹大統領の発言の中の「非核化に転換」という言葉が具体的に何を指すのか、筆者もいまいち分からなかった。

そんな中、同じ15日に金泰孝(キム・テヒョ)国家安保室第一次長が報道陣を前に説明したことで、概要が明らかになった。

●『大胆な構想』の中身

いくつかの韓国メディアで報じられている『大胆な構想』の中身を総合すると、以下のようになる。

(1)北朝鮮が真情性を持って非核化交渉に乗り出す場合、初期の交渉過程から経済支援措置「韓半島資源食糧交換プログラム」を積極的に行う。

これは、北朝鮮の地下資源と交換という形で国際社会(主に韓国)が北朝鮮に食糧供給を行うもの。さらに保健医療、飲用水、衛生、山林分野などの民生を改善するための試験事業も行う。

(2)非核化に関する包括的な合意が行われ、北朝鮮の実質的な非核化(凍結→申告→査察→廃棄)が進む過程に会わせ、『南北共同経済発展委員会』を設置し、インフラ構築・民生改善・経済発展の3分野で事業を段階的に拡大する。

この中には、▲発電と送配電インフラ支援、▲国際交易のための港湾と空港の現代化プロジェクト、▲農業生産性向上のための技術支援プログラム、▲病院と医療インフラの現代化支援、▲国際投資および金融支援プログラムといった事業が含まれる。

(3)『大胆な構想』は経済分野だけでなく、軍事・政治部門の協力ロードマップも用意している。これらは非核化交渉が始まった後で北朝鮮と議論する。軍事分野は緊張緩和措置が、政治分野では平和構築に向けた措置が取られる。

つまり、まずは地下資源と食糧支援の交換(韓半島資源食糧交換プログラム)を非核化交渉開始の「呼び水」とし交渉を始める。

次に交渉がまとまり、そこで定められた実質的な非核化措置の進み具合に合わせ、経済・政治・軍事部門での協力を進めていくというものだ。

なお現在、北朝鮮の鉱物輸出はすべて国連安保理の経済制裁の対象になっているため、第一段階の「韓半島資源食糧交換プログラム」を実行する場合には、制裁の免除や例外とするなどの措置が前提となる。

これに対し韓国政府は「米国や国際社会と協議していく」としている。

●専門家は「北側が受け入れる可能性は希薄」

この記事を書いている16日午後3時現在、北朝鮮側は韓国側の提案に対して反応を見せていない。

なお、韓国側は15日の発表に先立ち米側との協議を行ったとされるが(日本側との協議があったのかは明らかではない。筆者の取材では在韓日本大使館側への説明はなかった)、北朝鮮とは事前に議論していないと述べている。

韓国内では「北朝鮮は応じないだろう」という見方が一般的だ。この点を含め、今回の『大胆な構想』をどう見るべきかを韓国の国策シンクタンク・統一研究院の趙漢凡(チョ・ハンボム)専任研究員に聞いた。以下は一問一答。

——今回の構想発表を事前に知っていたか

具体的には知らなかったが、遠からず何かの提案があることは自明だった。南北関係で韓国政府が強硬な姿勢だけを取るわけにはいかないからだ。

——国連の経済制裁下で可能な支援を行い対話の糸口とする、というのは文在寅政権でも検討し、北朝鮮への植樹支援などでは実際に制裁免除を認めてもらっていたが北朝鮮は受け入れなかった。今回の提案が文政権と大きな差があると言えるか

大きな差はない。文政権でも制裁の免除を積極的に考慮した。一方的に支援するのではなく、「(食糧と地下資源という)必要なものを相互に交換する」という位置づけをすることはできる。

——今回の提案には北朝鮮が米朝会談などで主張してきた体制保証の話などが無かった。韓国政府は政治・軍事分野でのインセンティブを明らかにしていない

関連がないとは言えない。北朝鮮では今、経済危機が体制を脅かす水準にまでいっている。だからこそ、(19年2月の)ハノイ米朝会談で北朝鮮は体制の安定よりも制裁の解除を要求した。依然として経済危機、食糧危機に優先順位がある。

——今回の提案を北朝鮮が受け入れるか

可能性は希薄だ。食糧と地下資源を交換するプログラムは北朝鮮にとって魅力がない。すでにロシアとの間で(ウクライナの)ドンバス地域(筆者注:親露派のドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国)へと労働者を派遣する話がまとまりつつあり、その対価として北朝鮮側は必要な産業製品などを受け取るとされる。まとまる保証もない南側との交渉にこだわる必要がない。

また、金正恩は7月27日の戦勝節の演説で韓国を「主敵」と規定し、8月11日には金与正が韓国に対し強力な報復性の対応を予告した。さらに韓国では米韓連合訓練が始まる。韓国としては今回、より具体的ですぐに適用できる提案、(南北関係の)突破口となる提案が必要だった。

——今後の南北関係はどうなるか

予定されている米韓連合訓練(8月22日〜9月1日)が終わった後で、北朝鮮の報復性の対応が予想される。韓国政府が対応できないような、つまり「原点」が分からないような挑発を行う可能性がある。

●見えぬ尹大統領の考え

尹大統領は大統領候補の時代から「北朝鮮は主敵」と繰り返し、「力による平和」を訴え続けてきた。

この姿勢は大統領就任後にも変わらず、尹政権下での朝鮮半島の平和とは、武力と武力が危うい均衡を保つものになるものと思われる中、突然飛び出してきたのが今回の『大胆な構想』だ。

15日に会見した金泰孝次長は、過去の李明博政権下(イ・ミョンバク、在任08年2月〜13年2月)でも安保政策のブレーンを務めた人物でもある。

「北朝鮮が核を放棄する場合には、北朝鮮住民の一人あたりの所得が3000ドルになるまで韓国が経済支援を行う」という李政権の北朝鮮政策は当時、『非核・開放3000』と名付けられたが、成果を残せず、南北関係は緊張が続いた。

この時期は金正恩氏の権力継承の時期とも重なるため仕方なかったという見方があるものの、北朝鮮側が今も『非核・開放3000』を毛嫌いしているのは事実だ。

このためか大統領府では今回の『大胆な構想』の特徴として、「『非核・開放3000』にない、政治・軍事協力要素をロードマップに含めた総合的なプラン」であることを挙げている。

今後は北朝鮮の対応を待つことになるが、筆者は一連の動きの中で、尹大統領の朝鮮半島についての認識に疑問を抱かずにいられなかった。

金次長はこの日、「尹錫悦政権の統一政策の目標は『非核・平和・繁栄』の韓半島を具現すること」と述べたというが、就任式にあった同様の言及は15日の尹大統領の演説には無かった。

今回の提案は金次長の主導で行われたとも言われるが、きっかけがどこにあるにせよ、尹政権にとっては画期的なものとなる。

だからこそ、尹大統領が自ら「主敵とどう共存していくのか」という内容を再度、明確に語る必要があるだろう。

【関連記事】光復節77周年、韓国・尹大統領に透ける「淡泊さ」(演説全文訳付)

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20220815-00310372

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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