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個人のための国家・日本・南北関係…「光復節」文在寅演説を読む(全訳含む)

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
8月15日「光復節」式典で演説する文在寅大統領。公営KTVよりキャプチャ。

韓国では8月15日は、日本による植民地支配が終わった解放「光復」の日だ。75周年となる今日、文在寅大統領が行った演説には、いくつもの新たな視点が存在した。その深意を読み解く。

●「愛国志士」迎え

毎年場所を変えて行われる「光復節慶祝式」は今年、ソウル市内にある東大門デザインプラザ(DPP)で開かれた。以前は競技場として様々な政治行事が行われた由緒ある場所であったが、2014年にイラク出身の建築家ザハ・ハディッドが設計した未来的な建物へと生まれ変わった。ソウルのランドマークの一つだ。

この日の式はいくつかの点で「破格」だった。まずは2人の司会のうち一人として、聴覚に障害を持つイ・ソビョル氏が大役を務めたことだ。イさんはたどたどしい声と手話を交えながら、スムーズに記念式を進行した。青瓦台(韓国大統領府)は「はじめての出来事」と説明した。

次に、先に文在寅大統領が入場し、その後に入場する「愛国志士」たちを迎えた点が挙げられる。記念式には101歳のイム・ウチョル氏をはじめ、過去の植民地時代、実際に独立運動を行った4人が参席し褒章を受けた。青瓦台は「独立を祝う日だけあって光復のために献身した人々に尊敬と感謝を表すもの」とした。

なお現在、国内に27人、海外に4人の「愛国志士」が存命中とのことだ。

光復節は韓国で最も重要な記念日のうち一つである。毎年大統領が演説を行うが、植民地からの解放つながりで日本へと、さらに南北分断の現実を前に北朝鮮へと、そして韓国内へと向けたメッセージが込められるのが通例だ。

北朝鮮の相次ぐミサイル実験により朝鮮半島での緊張が高まっていた2017年8月には文大統領が「朝鮮半島で韓国の同意なく武力を使わせない」と米朝に向けて強く主張した事もあった。この日、文大統領は約20分にわたり演説した。

司会を務めたイ・ソビョルさん(右)と俳優のソン・イルグクさん(左)。母方の曾祖父に著名な独立運動家・金佐鎮を持つソン氏は、三つ子の男児の名前を「大韓・民国・万歳」にしていることで知られる。KTVより。
司会を務めたイ・ソビョルさん(右)と俳優のソン・イルグクさん(左)。母方の曾祖父に著名な独立運動家・金佐鎮を持つソン氏は、三つ子の男児の名前を「大韓・民国・万歳」にしていることで知られる。KTVより。

●「個人のための国家」への転換

まずこの日の演説の中で最も強調されたのが、「個人が国のために存在するのではなく、個人の人間らしい生活を保障するために存在する国を思う」という点だ。

さらにこれを「すべての国民が人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追及する権利を持つ憲法10条の時代だ。私たち政府が実現しようとする目標だ」と明確にした。

憲法10条

あらゆる国民は人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追求する権利を持つ。国家は個人が持つ不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を持つ。

文大統領はさらに憲法違反の疑いがあった朴槿恵(パク・クネ)大統領を弾劾した2016年冬の「ろうそくデモ」を例に挙げ、憲法1条にも言及した。

憲法1条

大韓民国のすべての権力は国民から生まれる

つまり、国民から生まれた権力を国民のために使うという責任、そして国家ビジョンを表したものといえる。文大統領はこれを「自由と平等の実質的な基礎を固く築き、社会安全網と安全な日常を通じ個人が個性と能力を目一杯発揮し、一人の成就を共に尊重する国」と具体化させた。

さらに「国が国民にすべき役割を果たしたのか、今は果たしているのか、私たちは問うべきだ」と新鮮な問いを投げかけた。

続いて今年7月に発表した「韓国版ニューディール政策」のキモである「雇用と社会安全網(セーフティネット)の強化」を引用し、「人間に対する投資を増やし格差と不平等を減らすことが真の光復」と述べた。過去にはなかった言及だ。

「韓国版ニューディール政策」とは、「経済が成熟段階に侵入しながら成長の勢いが継続的に下落し、社会安全網の不備などで両極化が深化している」、「新型コロナウイルス感染症が、経済・社会構造に大々的な変化を招く」(政府政策資料集より)という政府の認識に基づき、これを克服するために「デジタル」「グリーン」を2大軸に今後5年間で110兆ウォン(約10兆円)以上を投資するという巨大経済革新政策だ。

他方では、1930年代に米国の民主党が「ニューディール政策」の成功により、その後60年代後半まで優勢を維持し続けた史実を参考に、文大統領が「韓国型ニューディール」をもって与党・共に民主党の長期集権を狙っているとの見方もある。

格調高い主張であるが、実現は容易ではない。その自覚を文大統領は率直に表現しつつ「わたしたちの社会がその方向に向かっているという信頼を国民の皆さんに与えたい」とした。

まずは原則から確認、ということだろう。簡単なことのようであるが、非常に強く社会民主主義的な福祉国家への方向転換を表明したものと受け止められる。

●日本については発想の転換を迫る

「個人」の強調は日本に対するメッセージにも色濃く反映された。

2018年10月の韓国大法院(最高裁判所)判決で「個人の違法行為賠償請求権は消滅していない」とされたことに言及しながら、「大法院の判決は大韓民国の領土の中では最高の法的権威と執行力を持つ」と原則に触れた。

その上で「政府は司法部の判決を尊重し、被害者が同意できる円満な解決方案を日本政府と協議してきたし、今なお協議の扉を開け放っている。私たち政府はいつでも日本政府とテーブルに着く準備ができている」と主張した。

これは韓国政府が判決の趣旨を踏まえつつ、別の解決案を提示する用意があることを明確に示すものだ。わざわざ「1965年日韓請求権協定の有効性を認めながらも」という一節を入れることにより、日本側が主張する「65年体制をひっくり返そうとする」という懸念を払拭しようとした。

なお、こうした政府の主張は原告側とも一脈通じるものがある。

筆者が8月7日、徴用工裁判における原告側の訴訟代理人を務める林宰成(イム・ジェソン)弁護士にインタビューした際、同氏は「被害者(原告)の権利と名誉が回復される前提で、日韓両国政府の協議そして提案があれば、原告と共にそれを検討できる」という趣旨の立場を明かしている。「現金化」以外の解決策はある、ということだ。

文大統領はさらに「私たちは一人の個人の尊厳を守ることが国にとって決して損害にはならないという事実を確認する」としつつ、「同時に三権分立に基づく民主主義、人類の普遍的価値と国際法の原則を守るために日本と共に努力する」とした。

これは個人の権利を国家が救済しよう、という呼びかけとも言い換えられるだろう。とはいうものの、「なんら提案を受けたことがない」(イム弁護士)という韓国政府の消極的な姿勢もまた批判の対象となっている現実がある。

周知のように2015年12月の「慰安婦合意」を文在寅政権が実質的に破棄した点、そして2018年10月の徴用工判決は日韓関係に大きな影を落としている。

18年末にはレーダー照射事件をめぐる衝突があり、19年7月の半導体素材輸出管理強化、さらにホワイト国からの除外、日韓GSOMIA(秘密軍事情報保護協定)の破棄(破棄猶予)などが続いている。

この日の呼びかけは、これをもう一度、「国と個人の関係」という点から紐解いていこうというものだ。韓国政府が先手を打って日韓首脳会談を提案すべきだろう。

また、日韓の市民みなが国際政治評論家のように考えるのではなく、身を置き換え「個人の権利」として考え直してはどうだろうか、という提案もしたい。日本社会に議論の柔軟性が失われて久しいと筆者は見る。

●南北関係には「含み」

「個人」の原則は南北関係にも反映された。以下の部分は象徴的だ。

真の光復は平和で安全な統一した韓半島で一人一人の夢と生活が保障されるものです。

私たちが平和を追求し、南と北の協力を推進するのも南と北の国民が安全に共に生きるためです。

「何のために統一するのか」という重い質問への答と言えるだろう。

実際に過去も今も、南北朝鮮では互いを脅威とすることで国が個人の自由を制限する人権侵害がまかり通っている。北朝鮮では韓国ドラマすら自由に見られず、政治犯収容所も未だ存在する。韓国でも国家保安法の存在により思想犯が存在し、社会についての自由な議論が制限されている。北朝鮮は未だ暗黒のベールに包まれたままだ。

なお、前出の部分にある「南と北の国民」という表現は注目に値する。韓国は北朝鮮を国と認めておらず、南北双方は南北関係について「国と国の関係ではなく、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊関係」と正式に規定している。

これに則り、韓国では「北朝鮮住民」という呼称を使うのが一般的だ。これを敢えて「国民」とした点は「北朝鮮を別の国として認めた後で、和解協力を一から始める」という、今後あるであろう韓国政府の大きな方向転換を予期させるものである。

現在韓国政府が持つ正式な統一方案は、1980年代後半から94年にかけ議論され制定した『民族共同体統一方案』と呼ばれるもので、自由民主主義を基調とし民族を強調するものだ。さらに統一プロセスを和解協力→南北連合→統一の三段階で行うというものだ。

しかし分断から70年以上が経つ中で、民族意識も薄れ南北の経済格差も40倍に広がった。北朝鮮側が「吸収統一」を既定路線とするかのような韓国の「包容政策」への拒否感を示す中、新たな関係設定が求められている実情がある。

演説では新型コロナ時代と気候変動による集中豪雨などを例に「個人の健康と安全が互いに緊密につながっていることを自覚し、南と北が声明と安全の共同体であることを繰り返し確認している」と「地続きの関係」であることを強調している。

さらに「国民の生命と安全のための人道主義的な協力と共に、死ぬ前に会いたい人に会い、行きたいところに行けるよう協力することが実質的な南北協力だ」と北朝鮮側に協力を呼びかけた。

南北離散家族再会行事や、新型コロナや集中豪雨被害に対する人道支援を呼びかけるものといえる。

その上で2018年の「板門店合意」に言及し、南北鉄道連結をはじめ「南北が既に合意した事項を一つ一つ点検し実践しながら『平和と共同繁栄の朝鮮半島』に向かって進んでいく」とした。だが、いずれもすぐに北朝鮮側の冷淡な態度をひっくり返すには至らないだろう。

一方で筆者にはどうしても一つ苦言を呈したい部分があった。

「個人」を強調し、南北「国民」と言うならば、韓国政府は早急に現在北朝鮮に抑留されている6人の韓国人の安否を確認してはどうか。文政権が発足した17年5月から言い続けていることだが、未だ消息はない。無責任が過ぎる。

演説の最後では「先烈たちが夢見た自主独立の国を超え、平和と繁栄の統一した韓半島」をビジョンに掲げた。これは光復節には欠かせない内容だ。ゴールはここである。

●転換点にできるか

見てきたように今回の演説は、内外に新たな基調を予感させるものだったと総括できる。とはいえ、文在寅政権は後半に差し掛かり求心力が落ちてきている現実がある。思い通りに進めるのは簡単でないだろう。

それでも数年後に今日を振り返る場合、ある転換点であったと評価する日が来るかもしれない。韓国内の反応を追っていきたい。

●[全訳]第75周年光復節慶祝式 慶祝辞

第75周年 光復節 慶祝式 慶祝辞

尊敬する国民の皆さん、

独立有功者と遺家族の皆さん、

海外同胞の皆さん、

光復75周年を迎えた今日、

自身のすべてを捧げ国の独立を成し遂げた

先烈たちの高貴な犠牲と精神を胸に刻みます。

今日の慶祝式は

生存されている愛国志士の方達を迎えることから始まりました。

イム・ウチョル志士は101歳であり、

他の三方も100歳に近い方たちです。

どんな礼遇を尽くしても

一人一人が作ってきた大韓民国の誇らしい発展と矜持に

及ぶことはないでしょう。

今わたしたちの側で生きている愛国志士の方々は

31人に過ぎません。

あまりにも尊い歩みをしてくださった

イム・ウチョル、キム・ヨングァン、イ・ヨンス、チャン・ビョンハ愛国志士の方々に

深い尊敬と感謝を表す力強い拍手をお願いいたします。

私たちの光復は一人一人が

民主共和国の主人として共に立ち上がり成し遂げたものです。

自身の人生の主人公として、

大小の成就を遂げたすべての方々が

今日を生きる私たちの根となりました。

先烈たちは

「共にすればどんな危機にも勝つことができる」という信念を

「巨大な歴史の根」として私たちに残してくれ、

私たちはコロナを克服する過程でも共に危機を勝ち抜き、

私たち自身の力量をふたたび確認することができました。

今は気候変動による巨大な自然災難が

もう一度私たちの日常を脅かしています。

しかし私たちはやはりこれに勝つでしょう。

大切な生命を無くした方々をはじめ

災難の被害を受けたすべての方々に深い慰労の言葉を捧げ、

国民の生命と財産を守るために

最後まで災難に立ち向かい復旧に最善を尽くします。

また気候変動がこれからよりひどくなることに備え

痛みが繰り替えされないよう

国民の安全にすべての力量を傾けます。

大韓民国の自負心となってくれた

独立有功者と遺家族の皆さんに敬意を表し、

今日の危機と災難を必ず国民と共に乗り切ることを約束します。

国民の皆さん、

今日わたしたちが集まった東大門デザインプラザは

朝鮮時代、訓練都監と訓練院の跡でした。

日帝強占期には京城運動場、解放後にはソウル運動場に変わり、

長い間、東大門運動場という名前で

数多くの汗の歴史を秘めた場所です。

その中でも、植民地朝鮮の少年、孫基禎(ソン・ギジョン)が流した汗こそが

最も熱くそして残念な汗として記憶されるでしょう。

1935年京城運動場で、1万メートル走で1位となった孫基禎は

翌年、ベルリン五輪のマラソン競技において世界新記録で優勝します。

日本の国家が演奏される習慣

金メダリストの孫基禎は

月桂樹の苗木で胸の日章旗を隠し、

銅メダルを獲得した南昇竜(ナム・スンリョン)は

頭を垂れたまま目を閉じました。

民族の自尊心を打ち立てた偉大な勝利でしたが

勝利の栄光を捧げる国がありませんでした。

私たちの独立運動は国を取り戻すものであり、

同時に個々人の尊厳を打ち立てる過程でした。

私たちは独立と、

主権在民の民主共和国を樹立する革命を

同時に成し遂げました。

二度と誰にも負けない堂々とした国を作ろうとする

私たち国民の努力は

光復後にも止まりませんでした。

私たちは援助を受ける最も貧しい国から

世界10位圏の経済強国になり、

独裁に立ち向かい世界の民主主義における里程票を打ち立てました。

国家の名前で個人の犠牲を要求し、

人権を抑圧した時代もありましたが、

私たちは自由と平等、尊厳と安全が

国民個々人の当然の権利となる、

「国らしい国」に向けた歩みも止めませんでした。

私たち国民は多くの危機を勝ち抜いてきました。

戦争の惨禍に勝ち、通貨危機と金融危機を克服しました。

日本の輸出規制という危機も国民たちと共に勝ちました。

逆に「誰も揺るがすことのできない国」として跳躍する

機会としました。

大企業と中小企業の共存協力により

「素材・部品・装備の独立」を成し遂げ、

一部の品目では海外投資の誘致という成果まで成し遂げました。

コロナ危機もまた、国と個人、医療陣、企業が

共に信頼し、頼りながら克服しました。

政府は防疫に必要なすべての情報を透明に公開し、

国民は政府の方針を信じ、自ら防疫の主体となりました。

企業は世界でもっとも早く

高速で正確な診断試薬を開発し、

労働者たちは隣人を先に考え、防疫物品を生産しました。

医療陣とボランティアたち、国民と企業ひとつひとつの努力が合わさり

コロナを克服する力となり、

全世界が認める模範となりました。

しかし依然としてより高い緊張が持続的に要求される状況です。

政府はワクチン確保と治療薬の早期開発をはじめ

ウイルスから国民の安全を守る時が来るまで

最後まで全力を尽くします。

国境と地域を封鎖せずに、

経済を止めずに成し遂げた防疫の成功は

経済での善戦へとつながっています。

防疫の成功があったからこそ

政府の拡大財政による迅速な景気対策が

効果を得ることができました。

全世界的な経済危機の中でも韓国経済は

今年OECD37か国の中で成長率1位を記録し、

GDPの規模でも

世界10位圏の中に入ると見られます。

多くの苦痛を受けながらも

危機を機会に変える私たちの国民たちに

もう一度、尊敬と感謝の挨拶を捧げずにいられません。

これから私たちは

「隣人」の安全が「私」の安全であることを確認し

ポストコロナ時代に備えています。

私たちは「韓国版ニューディール」を力強く実行し、

デジタル・ニューディールとグリーン・ニューディールを両の翼とし

私たちの経済の体質を革新し、格を高めていきます。

追撃型の経済から先導型の経済に、

炭素依存経済から低炭素経済へと

大韓民国を根本的に変え、もう一度跳躍するでしょう。

「韓国版ニューディール」の核心を貫く精神はやはり

人間中心の「相生」です。

「韓国版ニューディール」は

「相生」のための新たな社会契約であり、

「雇用・社会安全網(セーフティネット)」をより強化し、「人間」に対する投資を増やし

繁栄と相生を共に成し遂げるという約束です。

何よりも重要なことは

格差と不平等を減らしていくことです。

皆が共に良く暮らしてこそ、真の光復と言えます。

私たちと、未来世代の皆のために持続可能な発展の道を

国民の皆さんが共に歩んでくれると信じます。

国民の皆さん、

2016年の冬

全国あちこちの広場と道を埋めたことは

「大韓民国のすべての権力は国民から生まれる」という

憲法1条の精神でした。

世の中を変える力は常に国民にあるという事実を

ろうそくを手に、ふたたび歴史に刻みました。

その精神が私たちの政府の基盤となりました。

私は今日、75周年の光復節を迎え

いったい一人一人にも光復が成し遂げられたのかを振り返り、

個人が国のために存在するのではなく、

個人の人間らしい生活を保障するために存在する国を思います。

それは

すべての国民が人間としての尊厳と価値を持ち

光復を追及する権利を持つ憲法10条の時代です。

私たち政府が実現しようとする目標です。

政府はその間

自由と平等の実質的な基礎を固く築き、

社会安全網と安全な日常を通じ

個人が個性と能力を目一杯発揮し、

一人の成就を共に尊重する国を作ろうと努力してきました。

私たちの政権の内にすべて実現できる課題とは

決して考えません。

しかし

わたしたちの社会がその方向に向かっているという信頼を国民の皆さんに与え、

確実な土台を築くことに最善を尽くします。

私たちは大韓帝国の時にハワイ、メキシコへと労働移民に行き、

祖国を無くし戻れなくなった同胞たちを記憶します。

その涙ぐましい歴史を決して忘れてはなりません。

祖国は同胞たちを守れませんでしたが、

その方々は逆に賃金を集め、「一さじずつのコメ」を集め

大韓民国臨時政府へと資金を援助し、

海外での独立運動の根となりました。

私たちは

解放された祖国と家族の下へついに戻ってくることのできなかった同胞も

最後まで記憶しなければなりません。

国が国民にすべき役割を果たしたのか、

今は果たしているのか、私たちは問うべきです。

大韓民国は今後

たった一人の国民も放棄することはありません。

それくらい成長し、それくらい自信を持っています。

2018年4月30日、

ガーナ海域で拉致された私たちの船員3人が、

救出作戦を遂行した清海部隊の文武大王艦と共に

祖国に戻ってきました。

2018年7月にはリビアの武装集団に拉致された国民が、

2020年7月には西アフリカのベナン海域で拉致された船員5人が

無事に救出されました。

コロナの中でも軍用機をイラクに急派し

労働者293人を国内に移送しました。

コロナの拡散が深刻な7つの国では

特別輸送機と軍用機、大統領専用機まで投入し

海外居住民2000人を国内へと安全に移送し、

チャーター機を通じ119か国、4万6000人におよぶ海外居住民を

無事にお連れしました。

3.1運動と臨時政府樹立100周年であった昨年

海外の独立有功者5人の遺骸を故国にお連れしたことも意義深いものです。

自身の尊厳を証明しようとする個人の努力に対しても

国家はかならず応答し

解決方法について共に知恵を集めるべきです。

2005年に4人の強制徴用被害者たちが

日本の徴用企業を相手に

裁判所に損害賠償訴訟を提起し、

2018年大法院(最高裁判所)で勝訴確定判決を受けました。

大法院は1965年日韓請求権協定の有効性を認めながらも

個人の「違法行為賠償請求権」は消滅していないと判断しました。

大法院の判決は

大韓民国の領土の中では最高の法的権威と執行力を持ちます。

政府は司法部の判決を尊重し、

被害者が同意できる円満な解決方案を

日本政府と協議してきましたし、

今なお協議の扉を開け放っています。

私たち政府はいつでも日本政府とテーブルに着く準備ができています。

共に訴訟を起こした3人はすでに故人となり、

一人残った李春植(イ・チュンシク)さんは

昨年日本による輸出規制が始まるや、

「私のために大韓民国が損をするのではないか」とおっしゃいました。

私たちは一人の個人の尊厳を守ることが

国にとって決して損害にはならないという事実を確認するものです。

同時に三権分立に基づく民主主義、

人類の普遍的価値と国際法の原則を守るために

日本と共に努力します。

一人の人権を尊重する日本と韓国、共同の努力が

両国国民の間の友好と未来協力の橋になると信じます。

国民の皆さん、

東大門運動場は解放の歓喜と

南北分断の痛みが共に染みこんだ場所です。

1945年12月19日、

「大韓民国臨時政府凱旋全国歓迎大会」が開かれ、

その日、白凡・金九先生は

「全民族が団結し自主・平等・幸福の新韓国を建設しよう」と呼びかけました。

しかし1949年7月5日、100万の弔問客が集まる中

ふたたびこの場で

私たち国民は金九先生を涙で送らなければいけませんでした。

分断による未完の光復を

統一した韓半島(朝鮮半島)として完成させようとした金九先生の夢は

残された全ての者たちの課題となりました。

真の光復は

平和で安全な統一した韓半島で

一人一人の夢と生活が保障されるものです。

私たちが平和を追求し、南と北の協力を推進するのも

南と北の国民が安全に共に生きるためです。

私たちは家畜伝染病とコロナに対応し、

気象変動による前例のない集中豪雨を経験し

個人の健康と安全が

互いに緊密につながっていることを自覚し、

南と北が声明と安全の共同体であることを繰り返し確認しています。

韓半島で生きていくすべての人々の声明と安全を保障することが

私たちの時代の安全保障であり平和です。

防疫協力と共有河川の共同管理により

南北の軍人たちが平和の恩恵を実質的に体感することを望みます。

保健医療と山林協力、農業技術と品種開発に対する共同研究で

コロナ時代の新たな安保状況により緊密に協力し、

平和共同体、経済共同体と共に

生命共同体を実現するための

相生と平和の口火を切れるよう望みます。

国民の生命と安全のための人道主義的な協力と共に、

死ぬ前に会いたい人に会い、

行きたいところに行けるよう協力することが

実質的な南北協力です。

南北協力こそが南北すべてにおいて

核や軍事力の依存から抜け出させる

最高の安保政策です。

南北間の協力が堅固になるほど

南と北それぞれの安保が堅固になり、

それはすなわち国際社会との協力の中で

繁栄に向かう力となるでしょう。

「板門店宣言」で合意したように

戦争の脅威を恒久的に解消し

先烈たちが夢見た真の光復の土台を作ります。

南北が共同調査と着工式まで進めた鉄道の連結は

未来の南北協力を大陸まで拡張する核心的な動力です。

南北が既に合意した事項を一つ一つ点検し実践しながら

「平和と共同繁栄の朝鮮半島」に向かって進んでいきます。

尊敬する国民の皆さん、

独立有功者と遺家族の皆さん、

海外同胞の皆さん、

国家のために犠牲した時に記憶してくれるだろうという信頼、

災難災害を前に国家が安全を保障してくれるという信頼、

異国の地で苦難を受けても国家が救ってくれるという信頼、

個々人の困難を国家が助けてくれるという信頼、

失敗しても再起できる機会が保障されるという信頼

こうした信頼で

個々人は新しい挑戦をし、困難に耐えています。

国家がこうした信頼に応えるとき

国の光復を超え、個人にも光復が訪れるでしょう。

植民地時代

一人のマラソン選手の汗と恨(ハン)、

解放の喜びと分断の嘆きが共に染みこんでいる

東大門デザインプラザ、歴史の地層の上に

今日、個人の創意性と個性が満開しています。

100年前に始まった民主共和国の道を超え、

個人の自由と平等が溢れる大韓民国に向けて

国民と共に向かいます。

先烈たちが夢見た自主独立の国を超え、

平和と繁栄の統一した韓半島に向けて

国民と共に進みます。

ありがとうございます。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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