韓国で再び持ち上がる「核武装論」、過去とは違う’不気味さ’とは

18年4月27日、板門店で11年ぶりの南北首脳会談に臨む南北両首脳。(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

『美しい国』という歌がある。

安倍首相のテーマソングではなく、韓国で数年前から広く歌われているものだ。

歌詞は韓国の四季の情景を称えながら「この地に生きる私は幸せだ」というもの。

個人崇拝的な内容はないものの、なぜか北朝鮮の有名な『この世に羨むものはなし』を彷彿とさせ、愛国心を掻き立てるような雰囲気がある。

つまり私が最も嫌いなタイプの歌なのだが、ところがどっこいメロディが良いので頻繁に聞いてしまう。

そんな美しいはずの韓国が最近キナ臭い。

3年ぶりにくすぶり始めた核武装論のためだ。

●名だたる論客たちの主張

議論の口火を切ったのは、過去の盧武鉉政権時代の06年12月〜08年2月に外交部長官を務めた宋旻淳(ソン・ミンスン)氏だ。

昨年11月、韓国紙『中央日報』への寄稿文で米国が韓国に防衛費負担金50億ドルを要求していることに言及しながら「米国の戦略資産開発と展開による負担について韓国がお金で支払うのではなく軍事力増強で寄与するべき」と述べ、その上で「韓国オリジナルの偵察・監視体系と朝鮮半島に戦域を限定した戦術核能力を持つ必要がある」とした。

宋元長官は同12月にも『毎日経済』とのインタビューで、「北朝鮮が核を持っている事だけでも私達の行動を変えられる。核を持った北朝鮮と平和は共存できない」としながら、「核武装をする力量を備えるべき。原子力を平和的に利用しながら武器を作れる選択肢を広げていかなければ」と主張した。

また、朴槿恵政権時代の14年2月から15年10月まで外交部第一次官を務めた趙太庸(チョ・テヨン)氏は、昨年12月にやはり『中央日報』への寄稿文で「核」に言及した。

趙氏は金正恩氏が同11月25日に、韓国との軍事境界線に近い昌麟(チャンリン)島で砲撃訓練を現地視察したことを挙げ、「この挑発にしっかりと対処しなければならない」とした。なお当時、韓国国防部はこの訓練に対し「18年9月の『南北軍事同意書』に違反するもの」と抗議している。

趙氏はコラムで「北朝鮮に決然とした対応の意志を見せる必要がある」としながら「米韓軍事訓練の再開に向けた協議をすべき」と主張、さらに「最近、一角で戦術核の再配置、核武装の主張がある。北朝鮮の核保有が韓国の安全保障のニューノーマルになる最悪の場合に備え、当然すべてのオプションを検討するべき」とした。

また核武装化に先立ち「米国と2015年に新設された『米韓抑制戦略委員会(DSC)を活性化させ、NATO式の核共有についても議論できる」との提案も行った。米国が核を含むあらゆる戦力を動員し同盟国を守る「拡張抑止」を強調しようとの主張だ。

主張を引用した外交官2人の特徴は、保守・進歩派政権にかかわらず深く北朝鮮との非核化交渉や南北対話に関わってきた人物であるということだ。それだけに重みがあると言わざるを得ない。

特に筆者は宋氏の主張にショックを受けた。

これまで同氏の発言や書籍から、個人的に韓国で最もクレバーな人物の一人と考えていたからだ。何を思ってこんな主張をするのか、同氏にインタビューすることは様々な事情により叶っていないため分からないが、意外だった。

他にも、著名作家のチャン正一(チャン・ジョンイル)氏も『韓国日報』への連載コラムで核武装を二週にわたって取り上げている。

さらにこうした議論について、やはり外交官出身で少壮派の論客として売出し中のチャン・ブスン関西外語大教授がSNSで賛同の意を示すなど、活性化の兆しが見える。

●背景には核の完成と動かぬ米朝対話

ではなぜ今になって、こうした議論が首をもたげているのか。

すぐに思い浮かぶのは「北朝鮮の核兵器が完成した」という厳然たる事実に加え、「金正恩氏はこれを捨てる気がない」という認識の存在だ。

現に宋元長官は昨年12月にあるシンクタンクが主催した会議で、「金正恩が言う非核化は『すべての核を無くす』ものではなく『これまでの核は保有し追加の核開発は行わない』という意味だ」との認識を示している(朝鮮日報より)。

筆者が普段韓国で接する、識者たちの北朝鮮の非核化に対する認識は、「まるっきり無い」と見る視点と「するとしても長い時間と忍耐が要る」という二つに分かれる。2018年に盛んに言われていた「2〜3年で終わる」という楽観的な意見は消滅した。

2018年、3度の南北首脳会談と史上初の米朝首脳会談で「朝鮮半島の非核化」を大きく掲げた金正恩氏に対し、韓国では「ルビコン川を超えた」という評価が多かった。つまり、戻れない選択をしたということだ。

だが19年2月のハノイ米朝首脳会談決裂という「挫折」から、金正恩氏は考え方を変えたようにも見える。韓国には怒り、相応措置を取らない米国にしびれを切らしている。

そしてついに、昨年末の党総会で「正面突破戦」つまり「制裁を経済成長で打ち破る」をプランを掲げると共に、「国家の安全のための必須的で先決的な戦略武器開発を、中断せず弛みなく進めていくこと」を掲げた。

こうした情勢の変化に加え、元々ある金正恩氏への不信、米国の妥協という非現実性、中露の北朝鮮寄りの姿勢、無策さをさらけ出す文政権への批判などが化学変化してできた認識といえる。

実は米朝の緊張がピークに達していた2017年夏にも核武装はホットな話題だった。下記記事にもあるように、筆者をはじめ、日本メディアも取材していたことが思い出される。

韓国では核武装に対する潜在的な支持が昔も今も半数を超える。それが北朝鮮核問題のパワーアップという絶望の衣をまとって帰ってきたのだ。

[参考記事] 北の核・ミサイル開発で加速する、韓国の「自主国防」化

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20170926-00076213/

●対話は「当為」

では韓国の核武装は現実として可能なのか?というと、現段階でその可能性はゼロという他にない。

文在寅大統領や康京和外交部長官などが、核開発や戦術核の配備を重ねて否定している。米国も黙っていないだろう。

名だたる論客たちが、どこまで本気で核武装論を展開しているのかも分からない。

もしかしたらキッシンジャー元米国務長官が危惧したような「日韓核武装のドミノ」を想起させることで、米国が米朝対話を進める圧力になれば、と考えているのもしれない。

だが筆者はこれとは別に、「核武装論の台頭が続くと後が無くなる」という、絶望に近い感覚を抱き始めている。

それは核武装論は対話の断念を意味するからだ。その先に何があるのかは考えたくもない。無味無臭な南北関係が残るならばまだマシだろう。

そうでなくとも北朝鮮の頑なな態度を前に、「南北関係の仕切り直し」を説く朝鮮半島情勢の専門家たちも増えた。左右問わずだ。

だが筆者は今になってとみに、1945年から48年まで続いた「解放空間」のことを思い浮かべている。当時、国際社会に突きつけられた南北分断を前に、38度線を超えて南北対話を模索した政治家はわずか数人に過ぎなかった。他は皆、権力闘争に溺れた。

韓国の知識人たちは危機感を抱くべきだ。今やることは何か。核武装論を煽る前にできることはないか。

文大統領もじっとしている場合ではない。金委員長も同様だ。韓国に背を向けて得られるものが何かを考えた方がよいだろう。

冒頭の『美しい国』にはこんな歌詞がある。

南北関係を例えたとされる部分だ。

厳しい寒さを耐え抜いた木の根が

春を待ち焦がれる想いを胸に力強く育っていく

青々と、そして生き生きと数え切れない葉を蓄えた

幹となって天まで届け

今はただ、虚しく耳に響く。