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「韓国社会は健全でダイナミック」…チョ法相任命騒動の‘成果’と文政権の今後

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
9日、任命式でのチョ・グク氏(右)と文在寅大統領。写真は青瓦台提供。

9日午前、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はチョ国(チョ・グク)氏を法務部長官に任命した。韓国社会を騒がせた一連の事態をどう捉えればよいか。専門家と読み解いた。

●李官厚研究員に聞く

李官厚(イ・グァヌ)慶南発展院研究員。筆者撮影
李官厚(イ・グァヌ)慶南発展院研究員。筆者撮影

今回、話を聞いたのは本コーナーでもおなじみの李官厚(イ・グァヌ)慶南発展院研究員。国会で6年間の議員補佐官経験を経て、英国で政治学博士号を取得。帰国後、西江大学現代政治研究所などで研究員を務め、今年7月から現職。参与連帯の諮問委員を務めるなど進歩派の学者に分類されるが、陣営論にとらわれない歯に衣着せぬ論評に定評がある。青瓦台や与党の動きに明るい。9日、電話でインタビューを行った。

――青瓦台(大統領府)はチョ氏任命でブレなかったのか?

:青瓦台は一貫して「任命する」という立場であったが、8月末前に賛成が20%程度だった時は焦りがあったようだ。多くの関係者にヒアリングも行った。その際に「撤回したらどうなるか」という話も多少あり、かなり困っていたようだ。反転のきっかけとなったのは、検察の強制捜査と記者懇談会だった。

8月25日、韓国KBSが発表した世論調査結果では、チョ候補が法務部長官に「適合(ふさわしい)」と答えたのはわずか18%。48%が「不適合」と答えていた。なお、検察がはじめてチョ氏周辺に対する強制捜査を行ったのは8月27日で、11時間に及ぶ記者懇談会があったのは9月2日だった。

記者懇談会では、それまで数十万本の記事で勇ましくチョ氏を攻め立ててきた記者がチョ氏を前にしてはロクに追及できない体たらくが問題となった。

また、人事聴聞会を控えた時点(8月27日の時点では未定だったが、その後決定)という過去に無いタイミングでの検察の強制捜査は、チョ氏による検察改革への牽制ではないかと高い注目を集めた。

これによりチョ氏への批判が意図的かつ不当なものであるという印象が社会に広まり、結果的にチョ氏への賛成意見が40%近くにまで上昇した。詳しく解説した当時の記事は、以下を参照されたい。

「チョ・グク会見」で韓国の記者に集まる批判

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190904-00141250/

韓国「最強」検察に疑念の目…チョ・グク氏騒動に潜む韓国の'宿題'

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190905-00141385/

2日の記者懇談会開始時の様子。多くのカメラがチョ氏を囲んだ。与党・共に民主党のYouTubeチャンネルよりキャプチャ。
2日の記者懇談会開始時の様子。多くのカメラがチョ氏を囲んだ。与党・共に民主党のYouTubeチャンネルよりキャプチャ。

●「強気」な検察

――検察の突然の強制捜査をどう見るか?

:青瓦台は非常に驚いたと聞いている。さらに、現在まで検察も青瓦台も検察がなぜああいった行動に出たか、分かっていないようだ。

――9日、文大統領がチョ氏を任命する際の談話の中で、2つの部分が印象的だった。まず、「検察は検察がすべきことをして、長官は長官がすべきことをするならば、それはやはり、権力機関の改革と民主主義の発展を明らかにする事となるだろう」という部分。これをどう読むか。

:この部分からは、幾人かの人たちが苦心した痕跡が見える。検察改革について多くを語らず「検察と長官がそれぞれやることをやる」という部分に思いを込めたのだろう。

――一方、「検察はすでに、厳正なる捜査の意志を、行動をもって疑心の余地がないほど明らかに見せてくれた」という部分は「当てつけ」なのか?毒があるようにも読める。

:二重の意味に取れる表現で、検察への警告も込められていると見る。どちらか一方の政治勢力だけを叩くと、いわゆる「政治検察」になる。法務部長官に対してこれほどの強さで捜査できるならば、もう一方に対してどれだけ公正に捜査できるか見守ろうという意味もある。検察もこう読み取っただろう。

特に、「国会ファストトラック捜査」が警察の手を離れ、検察に引き渡される。ここで野党の国会議員も召喚しなければならない。どうするのか、お手並み拝見といったところだろう。

「国会ファストトラック捜査」とは今年4月22日に、与野4党が▲選挙法改正案、▲高位公職者非理捜査処の設置、▲検察・警察の捜査権調整法案を一括で「迅速処理案件への指定」に合意した際、これに加わらなかった最大野党・自由韓国党が国会を占拠した事件への捜査を指す。当時の関連記事は以下の通り。

「文在寅の独裁政権と闘う」…最大野党が国会を占拠

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190425-00123689/

この時の衝突の過程で、国会法違反や特殊公務執行妨害、共同傷害などの疑いで98人の議員が告発・告訴の対象となった。なお、韓国の議員は300人である。

これまで、与党をはじめ30人あまりの議員が警察に召喚され調査を受けたが、60人以上が対象となっている自由韓国党はこれに一切応じていない。9日、国会がある汝矣島を管轄する永登浦警察署はソウル南部地方検察庁にこの事件を送致した。

国会で寝そべり、会議室を封鎖する第一野党・自由韓国党の議員たち。今年4月26日、筆者撮影。
国会で寝そべり、会議室を封鎖する第一野党・自由韓国党の議員たち。今年4月26日、筆者撮影。

●教育改革が答え?

――文大統領は談話の最後の部分で、「今回の過程を通じ、公平と公正の価値に対する国民の要求と、平凡な国民たちが感じる相対的な喪失感をもう一度、切実に感じた」とし、「大学入試の公正性など教育分野の改革を強く推進する」とした。教育改革を持ち出してきた点をどう見るか。

:私は大統領が教育の話をしない方が良いと思っている。韓国社会において教育の話は、当事者以外には大きなインパクトがない。それよりも、韓国社会における階層間の不平等をどう緩和させるか、各世代で階層移動性をどう確保するのかが大切だ。

そして、これらは「学歴によってのみ可能になる」と考えるのではなく、より広い側面からアプローチすべき問題だ。そうしてこそ様々な政策手段を投入できる。社会の不平等の問題を解決する方法として、教育だけに没入するのは惜しい。政府としてもリスクが大きくなるだろう。

チョ氏の娘の学歴問題は、前出の検察改革と並び今回の騒動の中で最も大きい注目を集めた。日本円で数億円の財産を持ち、両親ともに大学教授である娘の学歴がどのように形成されていったのかが、「生活記録簿」という最も重要な個人情報の流出と共にメディアを通じ明らかになった。

両親の勤務する大学でのインターン活動により「簡単に」経歴を作り「楽に」入学、落第したのにもかかわらず貰える奨学金、果ては大学から貰った賞状をチョ氏の妻が偽造した疑惑まで取りざたされた。こうしたチョ氏の娘の「特別扱い」や「スルーパス」はまさに「富める者、持つ者の特権」と見なされ、庶民にとって社会の公正性への挑戦として受け止められた。

チョ氏の娘が籍を置いたことのある高麗大・ソウル大では真相究明や公正な社会を求める学生の集会が起き、チョ氏は9月2日の記者懇談会や6日の人事聴聞会でも公開謝罪を繰り返した。また、9日の長官就任辞でも「若い世代が私を乗り越えて上に行けるよう、絶え間なく努力することを真っ先に明かす」と語った。

韓国では「86世代」に批判的な本が続々と出版されベストセラーとなっている。不平等を政治的・社会的に分解する試みが盛んに行われていると見てよい。筆者撮影。
韓国では「86世代」に批判的な本が続々と出版されベストセラーとなっている。不平等を政治的・社会的に分解する試みが盛んに行われていると見てよい。筆者撮影。

●政治の危機か?

――人事聴聞会が終わった後に、たくさんのコラムが発表された。特に『京郷新聞』に掲載された政治コンサルタント、パク・サンミン氏の「チョ・グクの危機、与党の誤判断、政治の没落」は多くシェアされた。特に「左派か右派かではなく、江南に住む586世代の0.1%のエリートの道徳的な瓦解が問題」とし、「いずれも無能で腐敗した」と政治の没落を語った点は注目を集めた。これをどう見るか。

:86世代への問題提起が進歩・保守という理念を超えて、階層・階級論とつながり、立体的に見えてきた契機になったというところだろう。この点、与党側がうまく状況を把握できなかったことが混乱を招いた。娘の問題がチョ氏の道徳性の問題にまで発展するとは思ってもいなかったようだ。このように、(政府周辺が)若い青年世代への理解を欠いているのが問題だ。

だが、右派も左派も無能だという点には同意できない。特に、人事聴聞会では与党の琴泰燮,(クム・テソプ)議員や朴柱民(パク・チュミン)議員などが光った。陣営論理で一方的にチョ氏を擁護するのではなく、自身の主張もしながらチョ氏への批判も行った。

市民は民主党にこうした人材がいるというのが分かったのではないか。進歩派がすべて「86世代」ではないということだ。今回の一件で、政治がすべて崩壊したかのように言うのは間違っている。

与党・共に民主党の朴柱民議員。2013年4月の「セウォル号事件」の遺族の弁護士として尽力した。6日、筆者撮影。
与党・共に民主党の朴柱民議員。2013年4月の「セウォル号事件」の遺族の弁護士として尽力した。6日、筆者撮影。

「86世代」とは、60年代生まれで80年代に大学生活を送った世代を指す。民主化運動の一大勢力でもある。今回のチョ氏任命をめぐる論争の中で、チョ氏本人をはじめ、チョ氏を強く追及する野党議員たちが82年にソウル大法学部に入学した同級生であることが注目を浴びた。

教授、判事、検事といずれも社会的に成功した人物であるため、世代間の権力争いとしての側面、そしてそれを外から見る際の「金持ちインテリ同士の争い」という「終わった感」なども論評の対象となった。

――今回のチョ氏任命が、野党側に有利にはたらくか。

政治は相対的なものだ。いくら政権側・与党側に問題があっても、もう一方が代案になるのか常に重要だ。李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権の時(08年2月〜17年3月)も政権に問題があったが、当時の野党・民主党がダメだったので政治が動かなかった。今も同じ状況だ。

人事聴聞会の後にも、与野党間の支持率は変わっていない。市民は人事聴聞会でチョ氏だけでなく、野党の自由韓国党も評価の対象としていた。チョ氏も嫌いだが、自由韓国党の姿も旧態依然で変わらないという点が赤裸々に表れた。与党議員との姿はあまりに対照的だった。

6日、人事聴聞会でチョ氏が提出した書類が「間違っている」と破り捨てる、野党・自由韓国党の金鎮台(キム・ジンテ)議員。人事聴聞会で最も問題となったシーンだ。チョ氏の大学同期で検事出身だ。国会放送よりキャプチャ。
6日、人事聴聞会でチョ氏が提出した書類が「間違っている」と破り捨てる、野党・自由韓国党の金鎮台(キム・ジンテ)議員。人事聴聞会で最も問題となったシーンだ。チョ氏の大学同期で検事出身だ。国会放送よりキャプチャ。

●「韓国の人々は今も問題を解決しようとしている」

――検察改革、社会の不平等の問題、陣営の激しい対立などいくつかの争点があったが、今回のチョ氏任命をめぐる騒ぎの中で最も重要な点は何か。

:今回の件が、政治的にも社会的にも大きな関心を集めたことで、韓国社会がどんな問題に敏感なのかが再び明らかになったことだ。

不正入学疑惑というチョ氏の娘の件がクローズアップされたのは、「キャンドルデモ」の発端と同じ構図だ。文在寅政権になっても社会的な不平等、社会の公正性を実現する社会改革が進んでいない点を思い起こさせた。

検察改革にしてもそうだ。検察権力は(1987年の)民主化以降、唯一、解決できてない問題だ。盧武鉉(03〜08年)政府の時にやろうとしてもできず、李明博・朴槿恵は検察と妥協した。それが今ふたたび、引っ張り出されてきた。

つまり(16年の)「キャンドル」以前から韓国社会に存在し、今なお解決できない問題が、チョ氏の任命をめぐる中で明確になったということだ。

政治的には非常に消耗するやり取りであったが、広い目で見ると、韓国社会の問題が何かを明らかにした点で肯定的だ。決して社会的な大混乱というものではなく、韓国社会が健全でダイナミックである証明と見る。

「検察なんて元々あんなものだ」、「上流層はいつもああだった」と放棄するのではなく、正されるものが何かについて、社会が反応した。依然として韓国の人々には、韓国社会が抱く問題を指摘し、これを解決しようとする意志がある。

今さら説明がましいが、『キャンドルデモ』は2016年10月から翌17年3月まで続き、当時の朴槿恵大統領弾劾罷免の原動力となった。デモのきっかけは朴大統領の腹心・崔順実(チェ・スンスル)氏の娘、チョン・ユラ氏の梨花女子大学への大学不正入学疑惑に大学生が立ち上がったことだった。

2017年3月10日、憲法裁判所による朴槿恵大統領(当時)罷免判決を受け、歓喜する市民たち。筆者撮影。
2017年3月10日、憲法裁判所による朴槿恵大統領(当時)罷免判決を受け、歓喜する市民たち。筆者撮影。

●「文政権は背水の陣」

――総合的には政権には大きな打撃とならないということか。うまくコントロールしないとレームダック(死に体)になり得るとの見方もあった

:現時点ではレームダックはまったく有り得ない。先にも述べたように政治は相対的なものだ。社会の不平等解消や司法改革を行える勢力が韓国社会には他に存在しない。

――文政権の政権運営にも影響はないと見るか。

:元々、文大統領は41%の得票率で誕生した大統領だ。支持率は今も40%台を維持している。過半数に満たない国会でも対立が続いているが、改革を進める以上、野党との衝突は避けられない。

ただ、国民との疎通をおろそかにしてはいけない。そして、ここまで無理して任命したのならば、検察改革や選挙法改革などを強く進めなければならない。まごまごしたり失敗すると厳しい。必ず成功させなければならない。

――文在寅政権は11月で折り返しだ。来年4月には総選挙もある。改革に向けた最後のチャンスといえるか。

:最後の機会だと思う。改革の結果を、結果がすぐに出なければその姿勢を見守って、市民は来年の総選挙に臨むだろう。総選挙で勝てない場合、その後の改革も難しくなる。短い時間の中で成果がいる。検察に押されたりしてはならない。背水の陣といえる。ここで勝つか負けるか、二つに一つだ。

9日、法務部で就任式を行うチョ長官。この日、尹錫悦(ユン・ソギョル)検察総長は参席しなかった。チョ氏の妻が起訴されているという「特殊な理由」(法務部)によるためだという。同部HPよりキャプチャ。
9日、法務部で就任式を行うチョ長官。この日、尹錫悦(ユン・ソギョル)検察総長は参席しなかった。チョ氏の妻が起訴されているという「特殊な理由」(法務部)によるためだという。同部HPよりキャプチャ。

チョ氏は9日の長官就任辞で、法務部の職員たちに対し「国民の上に立つ法務部や検察は存在しない。(中略)左でも右でもない未来の時間、真の変化と革新の時間を迎えよう。どんな困難があろうとも、国民だけを見据え、互いに励まし合いながら前に進もう」と司法、検察改革を呼びかけた。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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