「変わる時が来た」韓国随一の専門家が語る朝鮮半島の今…日本への苦言も

丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官。10月24日、筆者撮影。

キャリア40年の大ベテラン

「10年以上も何もない時期を過ごしてきたのに、これくらいならば十分に早いと言えるんじゃないか」

朝鮮半島の非核化プロセスが停滞しているという筆者の質問に対し、73歳の老専門家はこう答え、楽しそうに笑った。

確かに、11年ぶりに行われた今年4月27日の南北首脳会談以降、史上はじめての米朝首脳会談や4度にわたるポンペオ米国務長官の訪朝を経てもなお、半年しか経っていない。

丁世鉉(チョン・セヒョン)氏。日本の敗戦と「光復(植民地支配からの解放)」、そして米ソによる朝鮮半島分断が起きた1945年に生まれた同氏は、1977年の国土統一院(現:統一部)への入省を皮切りに、過去40年のあいだ政府内外で南北関係を見つめ続けてきた。

特に2002年1月から2004年6月にかけては、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権にまたがり統一部長官を務め、北朝鮮との関係改善と非核化交渉の最前線を担った。こうしたキャリアから「韓国一の南北関係専門家」とも言われるほどだ。

現在はシンクタンクに身を起きつつ、テレビやラジオにも頻繁に出演する。豊富な知見と経験に加え、歯に衣着せない物言いで朝鮮半島情勢を解説し、人気を博している。10月には韓国代表団の一員として平壌を訪問した。

南北関係の急激な動きを受け、韓国内外で講演や講義の依頼が後を絶たないという。そうした中、筆者はようやく約束を取り付けることに成功した。24日、ソウル市内で行った丁氏とのインタビュー内容をまとめる。

――文在寅政権の北朝鮮政策は、過去の金大中政権時代(キム・デジュン、98年3月~03年2月)に確立され、盧武鉉政権(ノ・ムヒョン、03年3月~08年2月)に継承された「太陽政策」を、9年越しに受け継いでいると見てよいのか。

そうだ。正確には「太陽政策2.0」と表現できる。過去の(金、盧)政府では南北関係だけうまくいけば良いという方向だったが、(08年から17年という保守政権の)9年間で北朝鮮の核問題がとても複雑になった。

このため「もう南北関係だけではダメだ。南北に加え、米朝関係の改善を並行させなければならない」という風に、米国を説得する要件が追加され、問題が大きくなった。

今年4月27日、軍事境界線のある板門店の南側で首脳会談を行った南北両首脳。写真は合同取材団。
今年4月27日、軍事境界線のある板門店の南側で首脳会談を行った南北両首脳。写真は合同取材団。

――そもそも「太陽政策(包容政策)」とは何か。日本では「北朝鮮への譲歩、バラマキに過ぎない」といった解釈がある。

西ドイツが60年代末から70年代前半にかけて東ドイツに対し行った「東方政策」と似た側面がある。経済的な支援を通じ、社会文化的な連携を深め、少なくとも互いに憎み合う対決構造の緩和を目的としたものだ。

北朝鮮は70年代初頭までは韓国よりも経済的に優位だったが、70年代の中盤から追い抜かれ、80年代にはゼロ成長、90年代にはマイナス成長だった。

その内、95年から98年までを「苦難の行軍※」と言うが、実際には2001年にも終わっていなかった。すさまじい経済的な困難を抱えていた。

そんな北朝鮮に対し食料や衣服を支援すれば、北朝鮮住民の韓国に対する敵対心が減るのではないかという考えだ。北朝鮮住民は韓国に対する憎しみを教え込まれている。そんな状態で統一はできないからだ。

支援は北朝鮮住民の心を溶かし、気持ちを韓国へと向かわせることになる。これは50年代、米国から食料を分け与えられた韓国社会が感謝のあまり、米国に対し「51番目の州にしてくれ」と願う世論が沸き起こった経験にも通じる。

短絡的に見ると「バラマキ」や「いいようにやられている」、「北の政権を助けている」となるが、これは間違っている。太陽政策は当時の北朝鮮の金正日政権を追い出そうというのではなかったが、北朝鮮の民心を得る点で、同政権を利するものでもなかった。戦略的に見る必要がある。

※金日成主席の死が引き金となり社会システムの崩壊が起きた同時期、全土で100万人以上の餓死者が出たと言われる。

――「太陽政策2.0」になった分だけ、今の韓国の存在感は大きくなったのか。

大きくなった。金大中大統領の時は南北首脳会談を一度(00年6月)行っただけで、米朝会談はできなかった。盧武鉉政権の時代は、米国がはじめから盧大統領を(反米・北朝鮮寄りと)強く疑ってかかっていた。

さらに当時は北朝鮮を「悪の枢軸」、「ならず者国家」と見なしたブッシュ大統領の時代だった。南北首脳会談(07年10月)も米国が青信号を出すまでできなかった。

米側は文在寅大統領に対しても「盧武鉉チャイルド」として警戒していた。だが(17年5月の)就任初期からトランプ大統領に歩調を合わせ、味方につけた後で朝鮮半島の運転手としての役割を果たしている。今年5月には(2度目の)南北首脳会談を「独自に」行った。

――文在寅大統領の外交スタイルをどう評価するか。

じっと機会をうかがう徳川家康のような気質があるように思える(笑)。ホトトギスの例で考えると、盧武鉉大統領は織田信長のようだったし、金大中大統領は豊臣秀吉のようだった。

――2017年はどんな年だったか。米朝間で戦争が起きるかもしれないという危機感があったが。

私はそうは思わなかった。戦争は間違った判断から起きるが、中国がいたため、間違いが起こる可能性は無かった。米朝が口喧嘩をしていたが、戦争の一歩手前まで行けば、そこからは変化が起きると考えていた。

実際に、11月29日に北朝鮮が射程距離13000キロのICBM(大陸間弾道ミサイル)発射実験を行ったことで、米国の立場が(対話へと)変わった。

その後、(18年2月の)平昌(ピョンチャン)五輪に参加することを北朝鮮が(18年1月1日の)新年辞で明かしたが、それ以前に南北間が水面下ですり合わせていた。

今年6月12日、シンガポール・セントーサ島の「カペラホテル」で史上初の米朝首脳会談を行った金正恩委員長とトランプ大統領。写真は合同取材団。
今年6月12日、シンガポール・セントーサ島の「カペラホテル」で史上初の米朝首脳会談を行った金正恩委員長とトランプ大統領。写真は合同取材団。

――北朝鮮の非核化への意志を疑う人たちが多い一方、「金正恩氏はもう、戻れない橋を渡った」という認識もある。

金正恩氏が6月12日の米朝首脳会談で「ここまで来る道のりはとても大変だった」と発言した。これは国内的にも抵抗があったという意味だ。

「(金日成)首領様ならこうはしなかった。焦り過ぎではないか」、「(金正日)将軍様はここまで望んではいなかったはずだ。心配だ」という側近たちの指摘があったはずだ。これは「やめろ」という意味だ。反対を乗り越えて金正恩氏はシンガポールまで来た。

それなのに米国がここでUターンしてしまったら、金正恩氏のリーダーシップは大きなキズを負う。権威が落ちてしまう。さらに金正恩氏は2016年5月の党大会で2020年までの国家経済発展5か年計画を明らかにしている。

これを実現するためにも(非核化と)米朝国交正常化をすすめ、制裁緩和を引き出し、国内の経済特区などに米国や中国などの資本が入ってくるようにしなければならない。金正恩氏は人民に対し「希望の歌を唄った責任」を負う必要がある。

――北朝鮮は現在、豊渓里(プンゲリ)や東倉里(トンチャンリ)など既に行った非核化作業の検証を米国に持ちかけている。一方で米国は、北朝鮮の核開発の全体像を理解した上で廃棄プロセス自体を検証できるよう、核施設のリスト申告を求めているとされる。こうした「ズレ」は破綻した08年の非核化プロセスの際と全く同じだ。これをどう乗り越えるか。

北朝鮮の立場では、米朝相互間の信頼が無い状態でリストを申告することは難しい。一方、米国は「北朝鮮とは1対1の取引はしない」という立場だ。「3対1」もしくは「4対1」程度の取引を考えているはずだ。大国ならではの視点だ。

仮に北朝鮮がリスト申告をするとしても「虚偽申告だ」と言い争いになる可能性がある。だからこそ、例えば北朝鮮が核弾頭20~30個を先に申告し、廃棄や国外搬出した後、米国が相応の措置を取り、その上で「もっとあるなら出すように」と進めていくべきだ。

米国が北朝鮮をいったん信頼し、仕事を進めながら対策を立てていけばよいのだが、そうしないから先に進まない。北朝鮮ははじめから一度にすべてを申告し放棄することはできない、したとしても信じてもらえないと考えている。

――今年9月、トランプ大統領みずから「北朝鮮と米国を代表するチーフ・ネゴシエイター」となることを文在寅大統領に要請した。韓国にできることは何か。

検証の問題では「疑わしい部分はあるが、いったん認めて始めよう」と、米国を説得しなければならない。北朝鮮に対しても「始めるからにはクリーンに、後ろ指を差されず信頼を得られなければならない」と説得する必要がある。

米国としては、いつでも問題提起することができる。だがそれは「北朝鮮の非核化を左右するような決定的な瞬間にまで取っておこう」とすればよい。

いずれにせよ米国には「あなた達の側に立って役割を果たしている」と伝える必要がある。ただ、チーフ・ネゴシエイターであるならば、お使いだけさせるのではなく、交渉を任せる権限もくれてしかるべきだ。

南北政府樹立から52年経った2000年6月、史上初の南北首脳会談が平壌で行われた。金大中大統領(左)と金正日国防委員長。写真は青瓦台提供。
南北政府樹立から52年経った2000年6月、史上初の南北首脳会談が平壌で行われた。金大中大統領(左)と金正日国防委員長。写真は青瓦台提供。

――「進歩派政権は非核化を自分たちの問題として捉えず、まるで他人事のように、米朝の問題として見ている」という韓国内の保守派の批判が根強いが。

それは話にならない濡れ衣だ。なぜ、文在寅政権が米国やヨーロッパにでかけ「北朝鮮への経済制裁を解除してくれ」と頼むのか。それは自分たちの問題だからだ。この問題が解決される場合、韓国の国民が平和を享受できるからだ。

しかし韓国には決定権がない。だからといって何もしないのか。フランスのマクロン大統領に制裁解除を相談したところで、すぐに「OK!」との返事が返ってくる訳がないことは分かっている。しかし、道理として私達はそれをしなければならない。

先日、地下鉄に乗っていたら、ある人が私に「文大統領は何の罪で、金正恩の使い走りをさせられているのか」と質問をぶつけてきた。こういう視点は、あまりにも近くのことしか見ていないものだ。

文大統領がやたらと金正恩氏の肩を持つように思えるかもしれないが、それもすべて、私達の問題を解決するためのものだ。全体の情勢を見る必要がある。

――「全体の情勢」とは?

東北アジアの秩序が揺れ動いている。北朝鮮の核問題の解決は(朝鮮戦争の)停戦協定が平和協定に置き換わることを指すからだ。

この過程で南北間の軍備減縮や在韓米軍の縮小などがあるだろうが、これが持続可能なものになるには、周辺各国の協力体制、すなわち「東北アジアの平和体制」が構築される必要がある。

これは(米国を含めた)東北アジア6か国の秩序再編を伴うものだ。これに向け、関連国の動きが活性化している。

11月に金正恩氏はロシアを訪問するだろうし、中国の習近平主席が平壌を訪問するだろう。こうした動きもすべて米朝関係が改善されるという前提によるもので、即興的なものではない。

朝鮮半島の分断から73年が経った。春が来れば秋が来るように、サイクルというものがある。変化する時が来たと見るべきだ。

北朝鮮との交渉の際にも強い態度を崩さなかったことで知られる丁元長官は、この日も時に机を叩きながら熱弁をふるった。筆者撮影。
北朝鮮との交渉の際にも強い態度を崩さなかったことで知られる丁元長官は、この日も時に机を叩きながら熱弁をふるった。筆者撮影。

――朝鮮半島の平和プロセスの中で日本に望む点は?

1945年以降、日本の選択がここまで国際的に重要となった時期はないと見ている。ただ、日本がこれまで取ってきた北朝鮮政策の歴史があるため、日本が声を上げても北朝鮮や韓国が真実性をもって受け入れるかは疑問だ。

だが、米国に対し「せっかくの情勢を雑に扱わず、(北朝鮮に対し)もう少し柔軟に対処してはどうか」と伝える場合、トランプ大統領は「どうした!」と驚きつつも、耳を傾けるだろう。

韓国としてもそうした動きを望んでいる。しかし、日本は東北アジアの秩序再編という動きをキャッチできていないのではなく「変わって欲しくない」と思っている節がある。

米朝関係が改善される場合、日本と韓国の保守政権の基盤となってきた北朝鮮に対する敵対心は、存在できなくなる。安倍首相が日朝首脳会談を行う場合、こうした点を踏まえて議題を設定するべきだ。

――南北関係の改善は将来的に統一に向かうのか

金大中大統領は98年の就任の際に「武力を用いた統一はしない」、「吸収統一はしない」、「南北交流協力を活性化する」とした。

統一を簡単に考え、主張するのは詐欺師と言ってもよい。南北の経済格差、社会文化の異質性が大きい中で統一する場合、混乱が起きるだけだ。こうした差を縮めながら、北側の住民が望む場合に、選挙を通じた統一を問うなどする必要がある。

ドイツの「東方政策」も統一を望んだ訳でなく「内独関係」として捉えた。「一つの国土、一つの国号、一つの制度、一つの軍隊」こそが真の統一であるが、今後20年でそんな統一が起こるとは考え難い。

その前に南北連合のような、疎通し、往来し、分断の苦痛と不便を感じない「事実上の統一」を経る必要がある。これを私は一つになる「統一」ではなく、つながることを意味する「通一(トンイル。統一と同じ発音)」と呼びたい。