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一枚の写真から読む金正恩氏の「プライド」

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
9月に平壌で行われた南北首脳会談での金正恩夫妻。写真は平壌写真共同取材団。

故盧武鉉大統領の「遺産」

10月4日から6日まで、韓国の代表団160人が「10.4宣言11周年民族統一大会」に参加するため、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の平壌を訪問した。

代表団には趙明均(チョ・ミョンギュン)統一部長官をはじめ、与党「共に民主党」の李海チャン(イ・ヘチャン)代表、さらに故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の長男である盧建昊(ノ・ゴノ)氏などが含まれた。国会や市民団体からも多くが参加している。

「10.4宣言」とは正式名を「南北関係の発展と平和繁栄のための宣言(10.4南北首脳宣言)」という。2007年10月4日、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が南北首脳会談で合意したものだ。

10.4南北首脳宣言に署名する韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(左)と、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長(右)。盧武鉉財団HPより引用。
10.4南北首脳宣言に署名する韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(左)と、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長(右)。盧武鉉財団HPより引用。

内容は南北間の「相互尊重と信頼関係」や「軍事的な敵対関係終息」、「恒久的な平和体制の構築、終戦宣言」、「経済協力と南北交流の発展」などが主となっている。

[全訳] 10.4南北首脳宣言(2007年10月4日)

https://www.thekoreanpolitics.com/news/articleView.html?idxno=216

実際には、宣言からわずか4か月後に韓国で発足した保守派の李明博(イ・ミョンバク)新政権がこの内容を継承せず、その後も相次ぐ核実験や軍事衝突などで南北関係の悪化が続いたことから、長く実現しないまま放置されていた。

それが今年4月27日、板門店で文在寅大統領と金正恩国務委員長が合意した「板門店宣言」で言及された。「これまでに採択された南北宣言と、あらゆる合意を徹底的に履行することにより、関係改善と発展の転換的な局面を開いていく」と明記されたことにより復活する。

[全訳] 朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言(2018年4月27日)

https://www.thekoreanpolitics.com/news/articleView.html?idxno=993

今回の行事は07年の会談以降、11年の年月を経てはじめて行われる記念行事となった。

何かが足りない一枚の写真

だが、平壌から送られてくるニュースの中に、一枚の気になる写真があった。

10月5日に平壌市内の人民文化宮殿で行われた「10.4宣言11周年記念民族統一大会」の一コマだ。

筆者が違和感を覚えた「10.4宣言11周年記念民族統一大会」の写真。写真は平壌写真共同取材団。
筆者が違和感を覚えた「10.4宣言11周年記念民族統一大会」の写真。写真は平壌写真共同取材団。

北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長や、李善権(リ・ソングォン)祖国平和統一委員会委員長をはじめ、韓国側の主要人士がずらりと並んだ壇上の背景に過去の南北合意が順番に並んでいる。

左から「7.4共同声明」、「6.15南北共同宣言/10.4宣言」、「4.27宣言」、「9月平壌共同宣言」とあるが、ここに「南北基本合意書」が抜けていたのだ。

[全訳] 9月平壌共同宣言(2018年9月19日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20180919-00097442/

過去の南北合意をまとめた表。作成は筆者およびイミダス編集部。
過去の南北合意をまとめた表。作成は筆者およびイミダス編集部。

「南北基本合意書」とは

南北基本合意書とは1991年に合意され、1992年に発効したものだ。南北の関係を「国と国の間の関係ではなく統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊関係」と定め、その上で「南北和解」、「南北不可侵」を定め「南北交流・協力」について合意した。

[全訳] 南北基本合意書(1992年2月19日発効)

https://www.thekoreanpolitics.com/news/articleView.html?idxno=210

南北基本合意書が交わされた当時、北朝鮮は外交上の危機を迎えていた。

89年12月に冷戦が終結する中、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領は「北方政策」を推進する。90年6月にはソ連と国交正常化を行い、中国との国交正常化も進めるなど(92年8月に国交樹立)、北朝鮮の「後ろ盾」と急速に近づく。

孤立する危険を感じた北朝鮮にとって、体制保障と経済交流を含む南北合意は「渡りに船」だった。当時の南北関係に詳しい金千植(キム・チョンシク)元統一部次官は9月、筆者とのインタビューで「あの時、韓国が入れたい内容が全部入った」と、当時の韓国の優位さを明かしている。

改革開放の主導権を握らせない狙いか

北朝鮮はこの「負の歴史」を無かったことにしたいのではないかと筆者は見る。理由は北朝鮮にとって負担となる内容が多く含まれているからだ。

「南北基本合意書」には本文の他に、92年9月17日に発効した3つの付属合意書がある。

「南北和解」、「南北不可侵」、「南北交流・協力」それぞれの内容で具体的な内容を定めたものだが、「南北交流・協力」の部分はかなり踏み込んだ内容となっている。

特に目に付くのは、「南北の文化交流」、「南北の自由な往来」、「鉄道、道路、海路、航路の連結」など、強引に北朝鮮を改革開放に向けさせようとする韓国側の強い意志を感じる点だ。

9月20日、白頭山の登る南北首脳夫妻。写真は平壌写真共同取材団。
9月20日、白頭山の登る南北首脳夫妻。写真は平壌写真共同取材団。

しかし「改革開放」は今後、北朝鮮が非核化を成し遂げ経済発展へと進む場合に、非常に難しい舵取りを迫られる部分だ。なし崩しに行い、韓国をはじめとする海外文化や資金が無秩序になだれ込む場合、金正恩氏の独裁体制が揺らぐ可能性があるからだ。

つまり、今後の経済発展プロセスを北朝鮮主導で行う意志を示すため、敢えて今回「南北基本合意書」の表記を外したものと筆者は推測する。

誤解無きよう願いたいが、「南北基本合意書」の精神を北朝鮮が無視しているのと言いたいのではない。「軍事的緊張緩和」や「平和体制への移行」などは今もきちんと受け継がれ、発展している点を見逃してはならない。

ただ、金正恩氏にもプライドがあるということだ。こうした小さな「ズレ」が今後、南北関係にどんな影響を及ぼすのか見守る必要がある。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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