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「日本は歴史を直視」「2045年に共同体完成」…文在寅大統領の3.1節演説を読み解く(全文訳付)

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
「3.1独立運動」記念行事に参加する韓国の文大統領(中央)。写真は青瓦台提供。

3月1日、「3.1独立運動」の99周年記念日を迎え、ソウルの西大門刑務所跡で記念式典が行われ、文在寅大統領が演説した。日本政府と韓国社会に投げかけたメッセージから韓国政府のビジョンが明確に読み取れる。

この日の式典は、光化門にある大型公演施設・世宗文化会館で行われていた慣例を破り、初めて屋外の西大門刑務所跡(歴史館)で行われた。

午前10時から始まった式典では、独立有功者への表彰、3.1節を記念する歌の合唱などが行われたあと、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が壇上で演説した。

約15分間の演説の内容は「3.1運動の位置付け」、「日本への願い」、「光復100年へのビジョン」の大きく3つに分けられる。順に見ていく。なお、演説全文の翻訳が本記事最後尾にある。

式典会場となった、西大門刑務所歴史館。普段は一般客に開放されている。3月1日筆者撮影。
式典会場となった、西大門刑務所歴史館。普段は一般客に開放されている。3月1日筆者撮影。

3.1運動の意義

演説ではまず、「1945年8月15日の解放のその日まで10万余名近くがここに収監され、10人のうち9人が思想犯と呼ばれた独立運動家だった」と、会場となった西大門刑務所の意味付けを行った。

そして3.1運動とそれに続く抗日独立運動いかに全国的な広がりを持って行われたのかを列挙したが、特徴的だったのが、女性にスポットライトを当てた点だ。

従来、著名な独立運動家には男性が圧倒的に多いが、女性運動家の名前を具体的に挙げ「建国の母」がいたと讃えた。

そして、3.1運動の成果として、「独立宣言書に従った大韓民国臨時政府の樹立」を挙げた。

さらに、「大韓民国臨時政府の憲法は大韓民国が民主共和制であり国の主権が国民にあると明確に刻んであり、それが今の大韓民国の憲法第1条になった」と続けた上で「大韓民国を国民が主人である民主共和国にしたのがまさに3.1運動だ」と位置付けた。

これは、韓国の進歩派(革新派)の間で広く共有されている歴史認識を表したものだ。

式典を終え、併設する独立門公園まで行進する文在寅大統領(中央)と、金正淑(キム・ジョンスク、中央右)夫人。3月1日筆者撮影。
式典を終え、併設する独立門公園まで行進する文在寅大統領(中央)と、金正淑(キム・ジョンスク、中央右)夫人。3月1日筆者撮影。

建国をめぐる論争に終止符か

韓国(大韓民国)の建国を、上海に大韓民国臨時政府ができた1919年4月13日と見るか、植民地時代と朝鮮半島分割を経た1948年8月15日と見るかは、韓国で長年論争となってきた。

前任の朴槿恵大統領は2016年の光復節(8月15日)に行った演説で「光復70年、建国67年」としたが、文大統領は昨年の光復節演説で「2年後の2019年は韓国の建国と臨時政府樹立100年になる特別な年」と語り、

大統領みずからが歴史認識を「上書き」した格好だが、この日の演説でもこうした政府の立場を明確にしたとみてよい。

「大韓民国臨時政府は私たちに憲法第1条だけでなく、大韓民国という国号と

太極旗と愛国歌という国家の象徴を残してくれた。大韓民国が臨時政府の法統を継承したと私たちの憲法が明かしている理由だ」という演説の一文が全てを説明している。

3月1日は国が定める休日であるため、式典会場には子どもの姿も目立った。筆者撮影。
3月1日は国が定める休日であるため、式典会場には子どもの姿も目立った。筆者撮影。

「民主共和国」の歴史

演説ではまた「王政と植民地を越え私たちの先祖たちが民主共和国として進むことができた力がまさに3.1運動だった」としながら、2016年10月から2017年3月の朴槿恵前大統領の罷免まで続いた「ろうそくデモ」を「私たちは100年の時間を飛び越え、3.1運動で始まった国民主権の歴史を生き返らせた」ものと位置付けた。

さらに、「私たちには独立運動と共に民主共和国を打ち立てた偉大な先祖がおり、絶対貧困を抜け出し経済発展と民主化を成し遂げた建国2世代と3世代がいる。またこの時代に共に歩いていく道を灯してくれたろうそくがいる」と続けながら、99年前からの歴史をつなげて見せた。

こうした正統な歴史への言及、追求は、進歩派政権の特色だ。

韓国政府は今年、2月28日を新たに国家記念日としたが、これは1960年に当時の李承晩(イ・スンマン)大統領を倒す「4.19革命」の呼び水となった大邱(テグ)市内で起きた学生運動「2.28民主運動」を讃えたものだ。いみじくも、李承晩元大統領は保守派の間で「国父」と呼ばれている。

国政をろう断し、職務を果たさない朴槿恵前大統領を退陣に追い込んだ「ろうそくデモ」。路上をろうそくが埋めた。2016年12月3日、筆者撮影。
国政をろう断し、職務を果たさない朴槿恵前大統領を退陣に追い込んだ「ろうそくデモ」。路上をろうそくが埋めた。2016年12月3日、筆者撮影。

日本への言及をどう読むか

演説の後半部では日本に対するメッセージもあった。「独島」、「慰安婦」と日本と正面から激突している話題をそれぞれ取り上げた。

「独島は日本の韓半島侵奪の過程で最も先に強制占領された私たちの土地で私たち固有の領土」と、「今、日本がその事実を否定することは帝国主義の侵略に対する反省を拒否するのと同じこと」と断じた。

また「慰安婦問題」については「慰安婦問題の解決においても加害者である日本政府が『終わった』と言ってはいけない」と強く踏み込んだ。

さらに「戦争の時期にあった半人倫的な人権犯罪行為は終わったという言葉で蓋をされるものではない。不幸な歴史であるほどその歴史を記憶し、その歴史から学ぶことだけが真の解決だ」とした。

演説に聞き入る人々。会場に入りきれなかった人々も多かった。筆者撮影。
演説に聞き入る人々。会場に入りきれなかった人々も多かった。筆者撮影。

この日の演説を聞く限り、こうしたメッセージを日本政府だけに向けられたものと読むと失敗する。日本の市民に同じく向けられたものとも見る必要がある。

「日本は人類普遍の良心で歴史の真実と正義を直視しなければならない」という一文が象徴的だろう。前半部で力説されている「3 .1運動は庶民の運動である」部分とつなげて読むべきだろう。

それに続く「私は日本に特別な待遇を要求しない。ただ最も近い隣国らしく真実の反省と和解の上で、共に未来に進むことを願うだけ」という部分も、文字通り受け止めればよい。

今後のビジョン、2045年

演説の最後は、「朝鮮半島の平和が国民の力で成し遂げられる」と持ち出し、今年1月以降、世界を騒がせている南北対話の流れを踏襲した。

さらに、今後のビジョンを語る内容が締めた。中でも「私たちは今後、光復100年に向かうあいだ、朝鮮半島の平和共同体、経済共同体を完成させなければならない」という一文は注目に値する。

これは2045年、つまり今後30年ほどかけながら、南北の緩やかな統合から始まり、統一(共同体)にいたる長い道のりを歩んでいくというロードマップを示したものだ。

実際にそうなるかはもちろん、今の段階では誰も分からない。北朝鮮人権問題のような、「交渉のカード」となってはならない部分の存在など「障害」も多い。

2月10日、北朝鮮の最高指導者金正恩氏の妹・金与正(キム・ヨジョン、左)特使から金正恩氏の親書を受け取る文在寅大統領。写真は青瓦台提供。
2月10日、北朝鮮の最高指導者金正恩氏の妹・金与正(キム・ヨジョン、左)特使から金正恩氏の親書を受け取る文在寅大統領。写真は青瓦台提供。

だが、「分断がこれ以上私たちの平和と繁栄に障害とならないようにしなければならない。私は今日、国民の皆さんにこの目標を共に実現させていくことを提案する」という部分は、昨今の韓国政府の動きを見るにそれなりの説得力を持つ。

こうした光復100年=2045年をメドとする南北統合のビジョンは、おそらく今後、文在寅政権の公約の一つ『統一のための約束(仮称:統一国民協約)』の核心となっていくと思われる。

おわりに

長々と書いてきたが、筆者がこの日一番印象に残った部分は、「貧富、性別、学閥、地域の格差と差別から完全に解放された国を作ろう」という一文だった。果てなき理想とはいえ、こうしたビジョンは政治家の口から語られるべき性質のものだ。

一方で、激しく首をかしげざるを得なかったのが、演説最後尾の「大韓民国は世界で最も偉大で美しい国となるだろう」という部分だ。まったく意味のない一文であるばかりか、方向性も間違っている。

とはいえ、この日の演説は、現在の韓国政府の考えや意気込みが十分に伝わってくるものだった。韓国の今後を見通すための重要な材料であることは間違いない。

文大統領が市民に握手のため近寄ると、大歓声が上がった。人気ぶりを伺わせる一コマだ。筆者撮影。
文大統領が市民に握手のため近寄ると、大歓声が上がった。人気ぶりを伺わせる一コマだ。筆者撮影。

【全文訳】3.1節 記念辞

尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、

3.1運動の99周年です。

3.1運動は、今この瞬間も私たちの生活に

生々しく生きています。

西大門刑務所のレンガ一つ一つには

苦難と死に立ち向かった崇高な話が刻まれています。

大韓独立万歳の叫び声が聞こえてくるようです。

今日、私たちは剥製化された記念式ではなく

独立運動の現場で

歴史と共に息づく記念式を開こうと

この場に集まりました。

日帝による強制占領期のあいだ、毎年2600余名が

西大門刑務所に投獄されました。

1945年8月15日の解放のその日まで

10万余名近くがここに収監されました。

10人のうち9人が思想犯と呼ばれた独立運動家でした。

10代の青少年からお年寄りまで、

南の済州島(チェジュド)から北の咸鏡道(ハムギョンド)まで、

年齢と地域に関わらず祖国の独立のために

実践した方たちでした。

母と息子、父と娘、兄弟姉妹が

共に投獄されもしました。

多くの母と妻がこの刑務所前の路地で

針仕事や肉体労働をしながら、息子と夫の収監生活を支えました。

収監者だけでなく

その家族たちも皆、独立運動家でした。

国民の皆さん

99年前の今日、村と市場に檄文が貼られました。

独立宣言書が手から手に伝達されました。

ソウルとピョンヤン・鎮南浦(チンナムポ、現南浦)・安州(アンジュ)、

義州(ウィジュ)・定州(チョンジュ)・信川(シンチョン)、元山(ウォンサン)など全国各地で

同時に独立宣言書が朗読され、万歳運動が始まりました。

万歳運動は瞬く間に地方都市と村々にまで拡大していきました。

遠く中国の間島とロシアの沿海州、

米国フィラデルフィアとハワイのホノルルの空にも

独立万歳のかけ声が鳴り響きました。

その年の3月1日から5月末まで

国内だけで1542回もの万歳運動が起き、

当時の人口の10分の1を超える202万余名が

これに参加しました。

3.1運動の経験と記憶は、日帝の強制占領期の間じゅう

熾烈だった抗日独立運動の精神的な土台となりました。

3.1運動以降、数百、数千名の独立軍が毎日のように

鴨緑江と豆満江を越えました。

大韓民国会、北路軍政署、大韓独立軍、軍務都督府、

西路軍政署、大韓独立団、光復軍総営を構成し、

日帝の軍警と血みどろの戦闘を行いました。

一人が倒れたら十人が立ち上がりました。

安重根(アン・ジュングン)義士の後を受け継ぎ

姜宇奎(カン・ウギュ)、朴載赫(パク・ジェヒョク)、崔寿鳳(チェ・スボン)、金益相(キム・イクサン)、金相玉(キム・サンオク)、羅錫疇(ナ・ソクチュ)、李奉昌(イ・ボンチャン)

すべて挙げきれないほどの義士たちが義烈闘争を続けていきました。

1932年4月29日の尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の上海義挙がその頂点でした。

1937年一年のあいだ国内では、

3600件もの大小の武装独立闘争が行われました。

1940年には大韓民国臨時政府が

大韓民国はじめての正規軍である光復軍を創設しました。

すべて大韓民国建国の父たちです。

天安の市場で万歳運動を主導した

18歳の柳寛順(ユ・グァンスン)烈士は

地下の独房で拷問と栄養失調により殉国しました。

17歳という花ざかりの年歳の董豊信(トン・プンシン)烈士は

咸鏡北道明川(ミョンチョン)での万歳運動に参加し

ここ西大門刑務所で殉国しました。

夜を徹して太極旗を描いた釜山の日新(イルシン)女学校の学生たち、

初の女性義兵長の尹熙順(ユン・ヒスン)義士、

百凡・金九先生の剛直な母、郭楽園(クァク・ナグォン)女史、

3.1運動直後の3月9日に46歳で鴨緑江を越え

西路軍政署に加入した独立軍の母、南慈賢(ナム・ジャヒョン)女史、

槿友(クヌ)会事件を主導した後、中国に亡命し

義烈団の活動を行った朴次貞(パク・チャジョン)烈士、

大韓民国臨時政府の独立資金を作るために

国境を6度も越えた鄭靖和(チョン・ジョンファ)義士、

私たちには3.1運動の精神で大韓民国を打ち立てた

建国の母たちもいました。

私たちの先祖たちの独立闘争は、世界のどの国よりも熾烈でした。

光復は決して外からもたらされたものではありません。

先祖たちのが「最後の瞬間」まで死を賭けて共に戦い

成し遂げた結果です。

国民の皆さん、

3.1運動の最も大きな成果は独立宣言書に従った

大韓民国臨時政府の樹立でした。

3.1運動により樹立した大韓民国臨時政府の憲法は

大韓民国が民主共和制であり

国の主権が国民にあると

明確に刻んでおきました。

それが今の大韓民国の憲法第1条になりました。

王政と植民地を越え

私たちの先祖たちが民主共和国として進むことができた力が

まさに3.1運動でした。

3.1運動の力が弱まる時、

主権者である国民が再び立ち上がりました。

独立運動は愛国志士たちだけのものではありませんでした。

商人たちは撤市(チョルシ)運動を行いました。

木こり、妓生、盲人、鉱夫たち、

名も無く生きた私たちの父と母、

姉たちまで先に立ちました。

国民主権と自由と平等、平和に向けた熱望が

一人ひとりの生活の中に入ってきました。

階層、地域、性別、宗教の壁を越え、一人ひとりが堂々とした国民になりました。

このように大韓民国を国民が主人である民主共和国にしたのが

まさに3.1運動です。

大韓民国臨時政府は

私たちに憲法第1条だけでなく

大韓民国という国号と

太極旗と愛国歌という国家の象徴を残してくれました。

大韓民国が臨時政府の法統を継承したと

私たちの憲法が明かしている理由です。

去る冬、私たちは100年の時間を飛び越えました。

3.1運動で始まった国民主権の歴史を生き返らせました。

1700万個のろうそくが

もっとも平和で美しい方式でこの歴史を広げて見せました。

暗闇を灯した一つ一つの光は

国民一人一人が大韓民国の主権者であることを

もう一度宣言しました。

新しい国民主権の歴史が大韓民国建国100周年に向け

再び書かれ始めました。

私とわが政府は、ろうそくが再び灯してくれた国民主権の国を

確固として守っていきます。

3.1運動の精神と独立運動家たちの人生を

大韓民国の歴史の主流として打ち立てます。

2020年に開館する大韓民国臨時政府記念館には

大韓民国を立てた数多くの先祖たちの話が込められるでしょう。

3.1運動に参加した木こりも、鉱夫も、妓生たちも

誇らしい独立運動家の名前として刻まれることでしょう。

国内外でまだ探せていない独立運動の遺跡たちと

独立運動家の痕跡も続けて発掘していきます。

重慶の光復軍総司令部も

臨時政府樹立100周年に合わせ復元されるでしょう。

国民の皆さん、

私たちには3.1運動という巨大な根があります。

解放と国民主権をもたらした民族の根です。

私たちには独立運動と共に民主共和国を打ち立てた

偉大な先祖がおり、

絶対貧困を抜け出し経済発展と民主化を成し遂げた

建国2世代と3世代がいます。

またこの時代に

共に歩いていく道を灯してくれたろうそくがいます。

私たちはこれ以上、私たちを低く見る必要はありません。

私たちの力で光復をもたらした、自尊心あふれる歴史があります。

私たちは私たちの力で平和を作り出す力があります。

私はこうした国民たちの力と自信をもって

3.1運動と大韓民国建国100周年を

恒久的な平和態勢の構築と平和に基づく繁栄の

新しい出発線として作り上げていきます。

そのために私たちは

間違った歴史を私たちの力で再び立て直さなければなりません。

独島は日本の韓半島侵奪の過程で

最も先に強制占領された私たちの土地です。

私たち固有の領土です。

今、日本がその事実を否定することは

帝国主義の侵略に対する反省を拒否するのと

同じことです。

慰安婦問題の解決においても

加害者である日本政府が「終わった」と言ってはいけません。

戦争の時期にあった反人倫的な人権犯罪行為は

終わったという言葉で蓋をされるものではありません。

不幸な歴史であるほど

その歴史を記憶し、その歴史から学ぶことだけが

真の解決です。

日本は人類普遍の良心で

歴史の真実と正義を直視しなければなりません。

私は日本が

苦痛を加えた隣国たちと真に和解し

平和共存と繁栄の道を共に歩いていくことを願います。

私は日本に特別な待遇を要求しません。

ただ最も近い隣国らしく

真実の反省と和解の上で、共に未来に進むことを願うだけです。

尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、

私たちは今日、3.1運動を生々しい記憶として蘇らせることにより

朝鮮半島の平和が国民の力で成し遂げられるということを

確認しています。

私たちは今後、光復100年に向かうあいだ

朝鮮半島の平和共同体、経済共同体を完成させなければなりません。

分断がこれ以上

私たちの平和と繁栄に障害とならないようにしなければなりません。

私は今日、国民の皆さんにこの目標を共に実現させていくことを提案します。

貧富、性別、学閥、地域の格差と差別から

完全に解放された国を作りましょう。

金九先生が夢見た、世界平和を主導する

文化強国に向けて進んでいきましょう。

3.1運動というこの巨大な根は決して枯れることはありません。

公正で正義がかなう国はすでに

国民の心の隅々で99年前から育っていたのです。

この巨大な根が朝鮮半島で平和と繁栄の木を

丈夫に育てていくはずです。

大韓民国は世界で最も偉大で美しい国となるでしょう。

ありがとうございます。

3月1日

文在寅

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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