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修道女への性暴力もあったカトリック教会 信者の失望感増す

プラド夏樹パリ在住ライター
バチカンで子どもに対する性的虐待をテーマに特別会議(提供:Vatican Media/-ロイター/アフロ)

辞職届けを受理せず

フランスでは、3 月7日、自分の管轄下にある司教区で神父による子どもに対する性虐待があったことを知りながら司法当局に告発しなかったリヨン市大司教であるバルバラン枢機卿が6ヶ月禁固刑執行猶予付きという判決を受けた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20190319-00118853/

同枢機卿はこの判決を不服として控訴したが、次週にはバチカンに赴き、法王フランソワに辞職を申し出た。ところが、法王は、昨年から「教会から性虐待を完全になくす」と公言していたのにもかかわらず、推定無罪を理由に同枢機卿の辞職届けを受理しなかった。

法王は、この2月、性虐待容疑を受けているアメリカの元ワシントン大司教には聖職停止を言い渡している。しかし、性虐待の事実を知りながら告発しなかった罪の重大さをまだ理解できないのかもしれない。ル・モンド紙ではこれに対するフランスの信者の反応をアンケートしたが、怒り、恥辱、驚愕、耐え難いといった言葉が並ぶ。信者たちの失望は大きい。https://www.la-croix.com/Monde/cardinal-defroque-Vatican-abus-sexuels-premiere-2019-02-16-1301003021

修道女への性暴力

窮地に立たされているカトリック教会だが、さらに追い討ちをかけるようにテレビ局ARTEでは、今月、長年にわたって神父による性暴力を受けた修道女たちに関するドキュメンタリー映画が放映された。(Religieuse abuses, l’ autre scandal de l’ eglise, Marie-Pierre Raimbault/ Eric Quintin)

25年間にわたって神父兄弟2人の性暴力を受け続けた修道女、L’Archeという有名な特別児童養護施設付き神父に性暴力を受けた修道女、性暴力の末に妊娠すると堕胎を強制され逃亡して出産、しかし、子どもを児童養護施設に預けざるを得なかったコンゴ人修道女の証言が連なり、視聴者を呆然とさせた。

彼女たちに「なぜそこまで我慢したのか?」と問うのは簡単だ。しかし、修道院に入るにあたって服従、純潔、清貧を誓った彼女たちにとって、神父のセクハラや性暴力に#MeTooを突きつけることは、教会と神に逆らうことになる。信仰ゆえに彼女たちは口を噤まざるをえなかったのだ。

https://www.liberation.fr/france/2019/03/04/religieuses-abusees-par-des-pretres-il-me-disait-qu-il-etait-le-petit-instrument-de-jesus_1712001

待たれる大改革

2年前の統計によると、フランスでカトリック信者であると答える人は53%。しかし1ヶ月に1回教会に通う人の数は4.5%、毎週通うのは1.8%に過ぎない。キリストの教えを大切にする人々は多いが、教会という機構に対する不信感は、すでに以前からあったことを表している。

また、神父数は1995年、2万8694人、2005年、2万1187人と減少、その大多数は65歳以上である。1970年代、神学校を卒業して神父になる人の数は年に300人だったが昨年は114人と半分以下になっている。

https://www.lemonde.fr/religions/article/2017/01/12/une-enquete-inedite-dresse-le-portrait-des-catholiques-de-france-loin-des-cliches_5061270_1653130.html

ところで、こうしたスキャンダル続きの最中にカトリック系の月刊誌「Temoignage chretien」が3月に行った統計によると、56%のフランス人と4/10人の信者が教会に対して悪いイメージを持っている。2/3のフランス人が法王が厳格な態度を取らないことに対して批判的な意見を持っている。

11世紀のグレゴリウス改革以来、カトリック教会神父は妻帯できないが、85%のフランス人と88%の信者が、性虐待や性暴力をなくすためには、神父の妻帯を許可すべきと考えている。つい最近は、ポワチエ市大司教のパスカル・ウィンザー神父が「神父も妻帯できるように改革すべき」と言い、物議を醸しているが、実現すればこれは大改革である。

ヒエラルキー型組織と性虐待や性暴力の関係

もちろん、性虐待や性暴力はカトリック教会だけの問題ではない。

ユダヤ教原理主義者やイスラム原理主義者の間でもある。2017年、イスラエルのユダヤ教原理主義者コミュニティーで22人が子どもに対する性虐待容疑を受けているし、フランスではイスラム界の第一人者とされるタリック・ラマダーン氏が2017年に数人の女性から性暴力の容疑で訴えられている。

https://www.liberation.fr/planete/2017/03/28/pedophilie-pourquoi-la-communaute-ultraorthodoxe-d-israel-est-ciblee_1558853

問題はカトリック教でも聖書でも、ましてやキリストの教えでもなく、自由な議論がしにくい、閉じられたヒエラルキー型組織の中では、性虐待や性暴力が起きやすいとことではないだろうか?

だからこそ、信者の側からは、教会内での信者の発言力を高めること、女性の立場を強化することなどを提案する声があがっている。カトリック教会の存続は、バチカンがこうした進歩的な考えをどこまで受け入れることができるかにかかっている。

https://www.temoignagechretien.fr/wp-content/uploads/2019/03/Odoxa-pour-Temoignage-Chretien-Mars-2019.pdf

パリ在住ライター

慶応大学文学部卒業後、渡仏。在仏30年。共同通信デジタルEYE、駐日欧州連合代表部公式マガジンEUMAGなどに寄稿。単著に「フランス人の性 なぜ#MeTooへの反対が起きたのか」(光文社新書)、共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)、「夫婦別姓 家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。仕事依頼はnatsuki.prado@gmail.comへお願いします。

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