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巡礼代行サービスを支えるもの

岡本亮輔宗教学者・観光学者、北海道大学大学院教授
(写真:イメージマート)

コロナ禍の影響もあり、様々な代行サービスが身近になった。

出前は以前からあったが、UberやWoltでは、それまで宅配をしていなかったお店の食事も届けてくれる。掃除や料理といった家事の代行も簡単にお願いできる。場所取りや行列に並ぶ代行はお馴染みになりつつあるし、結婚式・ライブ・セミナーなどの参加者代行も存在する。卒業論文やレポートの執筆代行のような眉をひそめるようなサービスもある。

そして、代行サービスは宗教の領域にも及んでいる。特にコロナ禍の移動制限下では、墓参りの代行が注目された。お盆やお彼岸に故郷に帰れない。そこで、お墓の掃除、仏花や線香のお供え、さらには合掌と礼拝を代行してもらい、写真付きの報告レポートを受け取るといったサービスである。

巡礼の代行も存在する。八十八の札所(寺院)を巡る四国遍路は、総距離1400kmに及び、徒歩で回れば1ヶ月半から2ヶ月かかる。その代理参拝を謳うサービスがいくつもある。料金は最低でも数万円かかる。30万円前後も珍しくない。

お金を払って代わりに参拝してもらうと聞くと、なんとなく違和感を覚える。自分自身で行ってこそ、意味があるのではないか。しかし、そもそも信仰がないのであれば、多くの宗教系代行サービスは成立しない。家事は必要不可欠だ。1年間掃除をしなければ生活は立ち行かない。しかし、墓参りを1年間しなかったからといって、QOLが劇的に悪化するわけではない。年に1度は巡礼に行かないと、生活状況が一変するわけでもない。むしろ、1週間以上歩くような巡礼をしたことがある人の方が、現代日本では少数派である。

代理参拝は古くから存在する。ある村や講(こう)と呼ばれる信徒集団のすべての構成員が、特に崇敬対象の神社仏閣が遠隔地にある場合、全員で参詣するのは金銭的にも身体的にも楽ではない。そこで、講の一部のメンバーたちが代表して出かけ、翌年は別のメンバーたちが行くといった方式で順番に巡礼する。代参講と呼ばれるものだ。

とはいえ、代参講には、時間的・金銭的・身体的な負担の節約軽減という合理的な理由がある。また、いつかは自分自身が実際に参拝に出かけることが前提になっている場合が多かっただろう。その点で、基本的には1回で終わるサービスである現代の墓参り代行や参拝代行は質的に異なる。

宗教に関わる実践の多くは当事者の「気持ちの問題」の部分が大きく、そうであるなら、当事者本人が実践するのが筋であるように思われる。気持ちや信仰という主観に関わる事柄であるからこそ、本人が主体的に実践するのでなければ意味がないように感じられる。

見方を変えると、現代日本には主体的ではない宗教実践があふれている。宗教は観光と結びつくことで身近な存在となった。特に巡礼の場合、そもそも伊勢参りのように観光と不可分な歴史があり、現代のパワースポットめぐりも、観光の一形態としてすっかり定着した。こうした宗教観光では、寺社参拝は単独の目的ではなく、観光旅行という大きな営みの1コマとして位置づけられている。温泉やご当地グルメといった数ある観光アトラクションの1つとして寺社参拝がある。

その意味では、寺社参拝や巡礼の代行サービスは、かなり信仰的な実践と言えるかもしれない。依頼者自身は、その場へ行かない(あるいは、行けない)ことが前提なのだ。純粋な宗教的動機があるからこそ、自分自身は物理的に移動しない巡礼代行が成立するのではないだろうか。

宗教学者・観光学者、北海道大学大学院教授

1979年東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社、日本宗教学会賞)、『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)、『フィールドから読み解く観光文化学』(共編、ミネルヴァ書房、観光学術学会教育・啓蒙著作賞)、『Pilgrimages in the Secular Age』(JPIC)など。近刊に『宗教と日本人―葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(中公新書、2021)、『創造論者vs. 無神論者─宗教と科学の百年戦争』(講談社、2023)。

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