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「鬼滅の刃」御守り転売騒動 100年前と変わらない、宗教とマーケットのつながり

岡本亮輔宗教学者・観光学者、北海道大学大学院教授
太郎稲荷(筆者撮影)

『鬼滅の刃』の聖地として知られる大分県別府市の八幡竃門神社の御守りの高額転売が報じられている

元号が平成から令和に変わる時に、福岡県の坂本八幡神社の御朱印が転売されたのも記憶に新しい。一部の寺社がパワースポットとして人気となり、またアニメ聖地巡礼のようなコンテンツ・ツーリズムの対象となる現在では、今後も生じる可能性のあるニュースと言えそうだ。実は、こうした現象は過去を眺めても起きており、特に珍しいものでもない。本記事では、過去から現在につながる宗教とマーケットのつながりを見ていきたい。

なぜ御守りや御朱印の転売は成立するのか?

言うまでもなく、転売は御守りや御朱印といった寺社の頒布品に限られない。人気のあるコンサートのチケットやプレイステーション5、コロナ禍当初のマスクまで、残念ながら入手困難な商品に転売はつきものだ。そして、転売は需要側にも供給側にもデメリットをもたらす。元々適切な価格で提供されたものが必要とする人のところに行き渡らず、転売の際に上乗せされた価格が供給側に還元されることもない。転売ヤーが不当な利益を得るだけだ。

宗教に関わる転売問題が少し複雑なのは、御守りや御朱印が「頒布品」という独特の性格を備えていることだ。これらは、本来は参拝した証に頒布されるもので、その転売は不当な利益の享受というだけでなく、宗教の冒涜と感じられる。八幡竃門神社の宮司が御守りの転売に苦言を呈し、「やめていただきたい」と述べるのは、宗教者として当然の見解だろう。

とはいえ、こうした転売現象について、無信仰の不届き者が宗教を商用利用していると批判するだけでは十分ではない。

まず、信仰があるからこそ、結果として転売が成立してしまうケースもある。

フリマサイトでは、古くからニューエイジ系の聖地として知られる奈良県の神社の御朱印や、四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所の納経帳などが売られている。これらを買うのは、本来ならば自分自身で巡礼したいが、様々な理由からそれが叶わない人々と考えてよいはずだ。対象の寺社への信仰があるからこそ、その御守りや御朱印を欲するのだろう。

さらに近年では、寺社側も御守りや御朱印のデザインに工夫を凝らすようになっているという側面もある。

栃木県の古峯神社では、天狗をあしらった数種類の御朱印が用意されており、参拝者が絵柄を選ぶことができる。調布市にある一龍院の御朱印は、極めてカラフルでデザイン性に富んでいる。インスタグラムで「#一龍院」と検索すれば、数千件がヒットする。

また、御守りで言えば、埼玉県の秩父にある三峯神社では、少し前まで「白い氣守」が頒布されていた。同社には、元々青地や赤地に「氣」という文字が記された御守りがあったが、2012年、白地のものが毎月1日限定で頒布されるようになったのである。

白い氣守を身につけると、同社の神木の気力を分けてもらえるとされ、テレビでも取り上げられて話題を呼んだ。毎月1日には朝から数百人の行列ができるようになったが、あまりの人気で周辺道路の渋滞などが生じ、2018年6月に頒布は中止された。その後、白い氣守が転売されたことは言うまでもない。

古くからある、御守りや聖地の商品化

月替わりの御朱印や期間限定の御守りなど、現在では、多くの寺社がレアな頒布品を準備しており、そうした状況が宗教の商品化を推し進めているという指摘もある。実際、今回話題になった八幡竃門神社の御守りも、アニメのキャラクターを意識したデザインのようにも見える。その結果、御守りという宗教的頒布品が、アニメグッズという世俗的商品として消費される状況が生じているとも言える。

とはいえ、かつてから頒布品は寺社にとって重要な経済基盤の一つであり、その売買は活発だった。

例えば、人形町の水天宮は子授けや安産の御利益で人気のある神社だ。特に多産な犬をシンボルの一つとし、境内には参拝者が撫でるための「子宝いぬ」も設置されている。

そんな水天宮に、1886年10月5日、群衆が殺到して御守りを買い求めた。年月日のいずれも、戌にあたる日だったためだ。しかし、あまりの参拝者で、御守りを買えない人が多数でてしまう。すると、まもなく10月15日に御守りが臨時頒布されるという噂が流れた。再び多くの人々がつめかけたが、そもそも臨時頒布自体が嘘だったというのである。

この出来事を報じた新聞記事は、「わざわざ小遣い銭の損をしにここまで来た」という参拝者の声を拾っている(読売新聞1886年10月16日)。要するに、現在のパワースポット・ブームや御朱印ブームと大差はなく、当時から御守りが人気商品のような感覚で売買されていたことがうかがえる。

また、アニメ聖地巡礼的な寺社も、古くから存在する。墨田区両国の回向院は、明暦の大火の被災者供養をきっかけに創建された寺院であるが、同寺には、「教覚速善居士」と刻まれた墓がある。いわゆる鼠小僧の墓である。

鼠小僧は、実在の窃盗犯・次郎吉をモデルとする。次郎吉は数百回の盗みを重ね、数千両を盗んだとされるが、捕縛された時にほとんど残っていなかった。そこから、貧者に分け与えていたという伝説が生まれるが、実際には、博打や遊蕩に溶かしてしまっていた。そんな次郎吉を義賊に仕立てたのは、芝居・講談・映画といったフィクションである。

こうして鼠小僧の墓は、金運アップの聖地として人気となった。明治時代初期には鼠小僧の墓を専門に管理する墓守がおり、参拝者に花や線香を売るだけで一家を養えたという。そして、現在まで続く鼠小僧の墓を削って持ち帰るという風習も同時期にすでにあった。だが、無闇に削られてしまうため、墓守が墓を削るための道具を貸し出すことでマネタイズしたのである。

また、台東区の太郎稲荷は、現在ではほとんど知られていない小社だが、江戸期最大のパワースポットであった。元々は、九州の柳川藩立花家の下屋敷が同地にあり、その屋敷内に祀られていたが、19世紀初頭、麻疹流行をきっかけに、突然、参拝者が集まるようになる。その結果、参詣客をあてこんだ飲食店が軒を連ねるようになり、太郎稲荷参詣印鑑なども作られたのである。

とはいえ、太郎稲荷はあくまで立花家のプライベートな神である。そこで、参詣者の抑制を名目に、縁のある者だけに参拝許可証が発行された。しかし、当然ながら制限がかけられたことで参詣熱は逆に高まり、ついには許可証が偽造されるまでになったのだ。

吉田正高は、立花藩邸による参拝抑制は、一見事故防止のためのようだが、太郎稲荷の経済効果は大きく、実は流行促進のためにあえて行ったのではないかと推測している(「解き放たれた大名屋敷内鎮守と地域住民」)。あえて品薄状態を作り出し、参拝者の飢餓感を煽ることで価値を高めたというのである。

もちろん、過去と現在では違いもある。情報環境の拡充によって、ローカルな寺社が、かつてはありえなかったような高い知名度を一夜で獲得したり、御朱印や御守りが全く知らない人同士で売買されたりするようになった。こうした状況が、過剰に宗教の商業化を推し進めているように思われる部分もある。だが、その背後には、宗教とマーケットの古くからのつながりが存在するのである。

宗教学者・観光学者、北海道大学大学院教授

1979年東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社、日本宗教学会賞)、『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)、『フィールドから読み解く観光文化学』(共編、ミネルヴァ書房、観光学術学会教育・啓蒙著作賞)、『Pilgrimages in the Secular Age』(JPIC)など。近刊に『宗教と日本人―葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(中公新書、2021)、『創造論者vs. 無神論者─宗教と科学の百年戦争』(講談社、2023)。

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