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元阪神・野原祐也監督が“初陣”で逆転勝利!《全日本クラブ選手権》

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
野原監督にとって初めての全国大会。選手交代を告げて戻る表情も引き締まっています。

 8月26日、埼玉県所沢市のメットライフドームで『第44回全日本クラブ野球選手権大会』が開幕しました。社会人野球のクラブチーム日本一を争うもので、1次予選を経て9地区での2次予選を通過した16チームが出場しています。

 2014年から2017年までは、元阪神の穴田真規選手が和歌山箕島球友会に所属していたので、予選から本大会の優勝も含めて何度かご紹介しました。昨年も西近畿代表として本大会に出場しながら、惜しくも決勝で東近畿代表の大和高田クラブに敗れて連覇を逃した和歌山箕島球友会。この“東西近畿対決”は2年連続3度目で、しかも前年同様に延長タイブレークでの決着。前年は箕島、昨年は大和高田の勝利でした。それにしても、この10年の間で近畿勢の優勝が7度!すごいですねえ。

 26日と27日には1回戦の計8試合があり、元阪神タイガース・野原祐也監督(34)が率いるOBC高島と、このたび和歌山箕島球友会から名称を変更した“マツゲン箕島硬式野球部”も勝ち上がりました。きょう28日は大会3日目で、準々決勝4試合が行われており、第2試合でOBC高島が、第4試合でマツゲン箕島硬式野球部が、それぞれベスト4をかけて戦います。

「胸を張って頑張ってきます!」

 きょうは26日に行われたOBC高島の1回戦詳細をご紹介しましょう。ことしの滋賀1次予選を順当に制したOBC高島は、東近畿(2次)予選に進出。そこでは前年を含め本大会の優勝4回、準優勝7回を誇る奈良・大和高田クラブが行く手を阻みます。しかし、本大会で優勝した地区は翌年の2次予選で枠が1つ増えるシステム。これは大きなチャンスです。3チームによるリーグ戦で最初に当たった大和高田には惜しくも1対0で敗れたものの、次は京都城陽ファイアーバーズを11対1で下し、東近畿第2代表として本大会行きを決めました。

 OBC高島は2009年にベスト4となったのが最高で、それ以来10年ぶり3回目の出場。もちろん野原監督にとっては初めての本大会です。6月29日の夜に「全国大会出場が決まりました!(監督就任)3年目での出場、選手たちに感謝しております。本当によかった。胸を張って頑張ってきます!」というメールを、わざわざもらったのです。この予選も、6月4日に鳴尾浜で阪神ファームと戦った練習試合も行けなかったので、今回はしっかり拝見しましたよ。

試合開始前にベンチで集合。期待感と緊張感が入り混じった、いい表情です。
試合開始前にベンチで集合。期待感と緊張感が入り混じった、いい表情です。

 まず初戦は大会初日の第4試合、相手は関東地区代表のTHINKフィットネス・GOLD‘S GYMベースボールクラブ。2年ぶり4回目の出場です。THINKフィットネスGOLD’S GYMベースボールクラブは「ゴールドジム」と表記させていただきます。ご了承ください。

《第44回 全日本クラブ野球選手権大会》

8月26日 第4試合 1回戦

OBC高島-ゴールドジム

 OBC高島 100 000 300 = 4

 ゴールド 010 001 010 = 3

 

◆バッテリー

【高】○山下-永井 / 橋本辰

【ゴ】●中嶋(6回1/3)-森崎(2/3回)-嶋田(1回2/3)-保田(1/3回) / 斎藤

◆本塁打 ゴ:米倉1号ソロ(山下)、中道1号ソロ(永井)

◆三塁打 高:松下2

◆盗塁 ゴ:堀北、外山

※個人成績はOBC高島のみ

◆打撃  (打-安-点/振-球)

1]二:松下  (3-2-3 / 0-2)

2]中:寺前  (4-0-0 / 0-1)

3]三:佐竹  (5-1-1 / 1-0)

4]遊:松浪  (2-0-0 / 0-2)

5]指:中野  (3-0-0 / 0-1)

6]右:菅   (3-0-0 / 1-1)

7]左:田中  (3-0-0 / 1-0)

8]捕:橋本辰 (3-0-0 / 0-0)

9]一:金安  (3-2-0 / 0-1)

◆投手 回 (安-振-球/失-自)

山下 6回 (6-4-2 / 2-2)

永井 3回 (2-1-1 / 1-1)

<試合経過>※敬称略

1回1死三塁で先制タイムリーを放った佐竹選手。
1回1死三塁で先制タイムリーを放った佐竹選手。

 OBC高島は1回、先頭の松下が1ボールからの2球目を打って右越えの三塁打!1死後に佐竹が右前タイムリーを放って早々に先制します。先発の山下は2回、先頭の5番・高橋と続く堀北に左前打されますが、レフト田中からの送球で走者を三塁でアウトに!しかし二塁へ進んだ堀北を、2死後に8番・斎藤の右前打で還し同点。その後は互いに走者を出しながら得点できず、5回を終わって1対1。ヒットもOBC高島が3本で相手は4本でした。

7回、松下選手の三塁打で一塁走者の金安選手も生還!
7回、松下選手の三塁打で一塁走者の金安選手も生還!
先にホームインしていた菅選手(右)と田中選手(左)は笑顔でベンチへ!
先にホームインしていた菅選手(右)と田中選手(左)は笑顔でベンチへ!

 そして6回裏1死、山下は4番・米倉に10球連続でファウルと粘られて、13球目をレフトへ運ばれます。今大会第2号となるホームランで勝ち越しを許しました。ところが直後の7回、打線は先頭の菅が死球を選び、田中は犠打野選、橋本辰が送って金安の四球で1死満塁と大きなチャンス。ここで投手が交代して、松下はその初球をライトへ!走者3人が相次いで生還する、またしても三塁打放って4対2と逆転成功です。

 その裏からOBC高島は2人目の永井が登板。先頭をエラーで出しながら後続を断ちましたが、8回に先頭の3番・中道へ2球目の変化球をホームランされ1点差。そのあとは簡単に3人で片付けました。少しでも差を広げておきたい9回表の攻撃は、2死から金安の右前打と松下の四球で、投手交代。寺前は死球で2死満塁と攻めるも追加点なく終了。その裏の永井はヒットと犠打、四球などで2死一、二塁としましたが、最後は左飛で試合終了!1点差を守って逃げ切っています。

みんながよく頑張ってくれたと監督

 試合後の野原祐也監督に、初めての本大会で緊張したかと尋ねたら「緊張はなかったです。楽しさの方が上回っていたかも。選手は緊張したでしょうね」という返事。「けさ5時半に(滋賀県高島市を)出発してきたんですよ。長い間、よく頑張ってくれました」

緊迫した試合を制して、ホッとした表情の野原監督(右)と主将・松浪遼選手(左)。
緊迫した試合を制して、ホッとした表情の野原監督(右)と主将・松浪遼選手(左)。

 おまけに第1試合から順に、どんどん時間が押してきて待たされ、16時半をメドにしていた第4試合が始まったのは、なんと18時44分!終わったのは21時38分ですからね。「なかなか始まらない状況の中で、集中力を切らさずによくやってくれたと思います。それに、こういう球場でできたことも選手は嬉しいでしょう。1日でも長くいられるように頑張ります」

 接戦を制しての1回戦突破を「次につながった。よかったです」と喜ぶ野原監督に、殊勲選手を選ぶとしたら?と聞いてみました。「松下ですかねえ。山下もよく打ってくれたし。やっぱり、みんなです。みんな頑張った結果だと思います」。監督らしい言葉です。

試合後の整列で両監督が握手。左側のゴールドジムの2選手は、ホームランを打った米倉選手(左)と中道選手(その右)。
試合後の整列で両監督が握手。左側のゴールドジムの2選手は、ホームランを打った米倉選手(左)と中道選手(その右)。

 帰り際、ベンチ裏の通路でゴールドジムのスタッフと挨拶を交わしたあと、1人の選手が野原監督のところへ。「後輩の米倉です」。6回に一時は勝ち越しとなるホームランを放った、ゴールドジムの4番・米倉拓也選手兼任コーチ(33)でした。国士舘大学で野原監督が3年生時に1年生だったそうです。ナイスホームランと言われ「いっぱいファウルしたんで、ピッチャーが嫌だったかも…」と苦笑い。それにしても、見事な体格ですねえ。

2人の投手は充実感と反省と

 では選手のコメントにまいりましょう。まず先発した山下聖也投手(25)です。1点を争う試合でしたね。「こういうゲーム、オープン戦から結構続いていたので。ここ最近、ピッチャー陣が粘って勝てる試合もあって、ここは自分が粘っていく!と決めていました」。初めての全国大会、緊張は?「緊張はしていたけど、試合前のブルペンでほぐれて初回もしっかり抑えられたので、よかったです」

先発の山下投手。6回2失点と踏ん張りました。
先発の山下投手。6回2失点と踏ん張りました。
0点に抑えてベンチへ戻ってくるところ。
0点に抑えてベンチへ戻ってくるところ。

 6回の勝ち越しソロが悔しい?「クリーンアップ要注意というデータがあった。あのホームランで、失投は絶対いけないと、改めて感じました。スライダーです。外高めにいったのを見逃してもらえなかったですね」。自己採点してください。「75点くらいですかねえ。マイナスは20点がホームラン。あと5点は2回。ポンポンとシングルヒットで1点取られたので。うーん、60点から75点にしといてください」。わかりました。最後はちょっと下方修正?でも「勝ててよかった!」と笑顔です。

 7回から登板した永井皓介投手(25)は「1点差で、9回ツーアウト一、二塁。1本出たら還ってくるという場面で、最後の方は空回りと、腕が振れないのと、力みすぎと…」と反省の言葉が次から次へ出てきます。「でもまあ2点差での登板だったので」。そうですよね。初の本大会は「ちょっと緊張しました」とのことです。

永井投手のインパクトある投球フォーム。
永井投手のインパクトある投球フォーム。

 永井投手は子どもの頃から、弟さんと2人ともタテジマのパジャマを着るほどの阪神ファン。「最初は今岡選手が好きで、そのあと藤川投手のファンになりました。投げる球を見てから」。また永井投手よりも背が高く、190センチあるという弟さんも仕事終わりで応援に来られました。ちなみに弟さんは赤星選手が好きだったんですって。

ベルトを2本切るほど気合十分!

 続いて、三塁打2本で勝利に貢献した松下竜也内野手(24)。チームの副主将です。

 1回の三塁打は「真っすぐです。自分的には狙っていて、いいところに飛んでくれました」とのこと。そして1点勝ち越された直後の7回、2死から満塁になっての4打席目でまたしても三塁打!「前の前の打席(3回無死一塁)でバントミスをしてダブルプレーになってしまったので、それを取り返す意味で、しっかり食らいつきました」。打った瞬間は「犠牲フライになるんじゃないかと思った」そうです。

これは7回2死満塁で松下選手が放った、この日2本目の三塁打!
これは7回2死満塁で松下選手が放った、この日2本目の三塁打!
走者を一掃して逆転成功!三塁上で笑顔の松下選手(右)と、内山友希ヘッドコーチ(左)。
走者を一掃して逆転成功!三塁上で笑顔の松下選手(右)と、内山友希ヘッドコーチ(左)。

 1番を打っていることについては「5月に練習試合でスライディングした時に、左足のじん帯を損傷しました。それで2か月くらい試合に出られなかった。7月に復帰して、7番を打っていたんですけど調子がよくて1番に」という説明。この試合で初回に先制下のは、先頭で三塁打を放った松下選手の功績ですからね。

 ところで、試合中にベンチからベルトを持った選手が松下選手のもとへ行きましたよね?しかも守備についている時と、走者の時と2度も。なぜ、そんなにベルトが切れるんでしょう?

 苦笑いしているだけの本人に代わって、周りの人たちが「いつものことです」「こいつ、しょっちゅう切っています」と。だからベルトを持って走って行った選手も、帰り際にめちゃくちゃ笑っていたんですね。それにしても滑り込んだとかではなく、ただセカンドを守っている時だったのでビックリしました。次の試合も注目します。

“三刀流”の佐竹選手は2度目の出場

 その松下選手を還したのは、3番の佐竹誠人内野手(30)でした。前キャプテンで、今季はコーチもマネージャーも兼任。本人いわく「三刀流」だそうです。試合後に、7回の走者一掃がインパクトありすぎて1回のことを忘れそうになる…と言ったら「いやいやいや、忘れんといてくださいよ~」と佐竹選手。

守備位置では独特のハイトーンボイスで檄を飛ばしたり、打席に向かう選手に声をかけたり。チームの柱・佐竹選手。
守備位置では独特のハイトーンボイスで檄を飛ばしたり、打席に向かう選手に声をかけたり。チームの柱・佐竹選手。

 「松下が三塁打をまさか打つとは思っていなかったですけど(笑)、自分のとこに回ってきたので思い切っていくだけだった。何とか1本出てよかったです」。そのあと1点差に迫られた直後の9回は2死満塁で二ゴロ。これは悔しかったでしょう?「あそこバットを変えたんですよ、軽いやつに。変えんといたらよかったなあ」。なるほど。

 そして「いろんなミスが出たけど、勝ったのは大きいですね。あした(27日)練習して改善したいと思います。次は緊張しないと思うので。緊張していましたよ、みんな」と話していました。そりゃそうでしょう。本大会に出るのは10年ぶりですから、みんな初体験ですもんね。

応援に駆けつけてくれた大宮武蔵野高校のチアダンス部・“アローズ”の皆さん。詳しくは改めて。
応援に駆けつけてくれた大宮武蔵野高校のチアダンス部・“アローズ”の皆さん。詳しくは改めて。

 ちなみに佐竹選手は、これが初めてじゃないんですよ。7年前の2012年、37回大会に滋賀・高島ベースボールクラブ(2010年)の一員として出場しています。2010年に創部した滋賀・高島ベースボールクラブは、この時が初出場で初優勝という快挙!もう1人、余聖傑投手兼任コーチも同じで、7年前は優勝の胴上げ投手でした。でも残念ながら2014年にチームが解散したため、佐竹選手と余投手はOBC高島へ移ったわけです。7年ぶりの本大会で、ぜひ大暴れしてください。

 なお、OBC高島サイドの応援スタンドでは、おそろいの紺色Tシャツを着た若い女性陣が!この件については、また後日ご紹介します。

    <掲載写真はチーム提供>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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