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夫人が語る阪神・原口選手「野球大好き少年に戻ったようでした!」

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
4日のロッテ戦。「終わってみたら胃がキリキリ」と苦笑する1軍復帰戦でした。

 阪神タイガースの原口文仁選手(27)が、1軍の舞台に戻ってきて1週間あまり。セ・パ交流戦の開幕と同時に昇格し、まず6月4日のロッテ戦(ZOZOマリン)に代打で初出場してタイムリー二塁打!ビジターながらロッテ側のご厚意により、梅野選手と2人でヒーローインタビューを受けました。2カード目の日本ハム戦(甲子園)では9回2死からのサヨナラタイムリー!今度は2人でお立ち台に上がるところ、藤川投手が「きょうは1人でやるべき」と辞退して単独となったそうです。

 そして、きのう11日からはソフトバンク戦(ヤフオク)。きのうは出番なく終わった原口選手ですが、きょう12日はなんと5番・DHで復帰初スタメンとなりました。さあ今度はどんなドラマを見せてくれるのか。ヒットがなくても何かが起きる…。そんな毎日が続いているので、ワクワクしますね。本人もきっとそうでしょう。いや、ヒットは打ちたいですよね、きっと。

病気の公表はまだ寒い冬でした

 原口選手が大腸がんと診断されてから5か月。寒い冬から初夏へと季節が移ったように、原口家の愛娘が立って歩き始めたように、何もかも前へ進んでいます。それは原口選手がいつも口にする「支えてくださった皆さんのおかげ」はもちろん、本人の前向きな思考も大きな要因でしょう。

 自身の病気を公にしたのは1月24日でした。そろそろ自主トレを打ち上げ、沖縄の宜野座キャンプに向けて準備をしようという頃です。例年通り俊介選手と一緒に伊賀で自主トレ中だと思っていたので、行っていないと知った時はとても驚いたものの、病気だとは想像すらしていなかったですね。ましてや、がんだなんて…。

 2016年に1軍デビューを果たして1週間後、きっと心身ともに予想外の疲れが溜まっていたのでしょう。口内炎ができたと言い、心配そうに「これ…大丈夫ですよね?」と聞いてきたことがありました。もしかして今まで一度もできたことがない?と驚いたのも覚えています。そんな健康体で、口内炎を不安がるような人が告げられた現実。いくらプラス思考の原口選手でも、すぐ前を向けるものではなかったはずです。

4月中旬、鳴尾浜での残留練習です。この日、奥さんと娘さんが初めて見学に。
4月中旬、鳴尾浜での残留練習です。この日、奥さんと娘さんが初めて見学に。

 私は最初に聞いた時、すぐ奥さんのことを思いました。この現実を受け止められただろうか、大丈夫だろうかと。1軍に戻ってから本人や奥さんの手記なども新聞に出ていたので、もう書かせてもらってもいいかなということで、今回は本人の言葉より奥さんの話が多くなりました。また帝京高校野球部の後輩にもコメントをいただいたので、ご紹介します。

小さな体で大きく包み込んでくれる存在

 年末から一緒に埼玉へ帰って、まだしばらく実家に滞在予定だった奥さんは電話で連絡を受け「何が何だかわからなくて不安で。でも、とにかく顔を見て話さなくちゃ…」と大急ぎで戻っています。実際に顔を見て、この人なら大丈夫だろうと感じたと言いますが、その時の自身の胸中を奥さんはこんなふうに振り返りました。

 「起こりうる最悪の事態を想像して、そこに自分自身を置いてみたんです。この先どうなるか、これからどうすればいいか。一生懸命考えました。いろんなことを。それで、よし大丈夫だと思えて。だから、もう平気です」。そこにたどり着くまで、どれくらい時間がかかった?「一日です」

 とても自然な笑顔で答えてくれたのは病気が判明して、まだそれほど日にちが経っていない頃でした。それからは「いつも通り、普段通り」の日々を過ごし、私の知る限りでは今までと何一つ変わっていません。不安に押しつぶされても不思議ではない状況の中、彼女は大きな目をクルリと回しながら言います。「だって、考えても仕方ないから」

 強い、と思いました。身長150センチと小柄で可愛らしい奥さんですが、原口選手が前を向こうと決意できたのも、この強くて大きくて温かい力が一番近くにあったからだと。

 「主人は常に前向きです。今回のことで前向きさに磨きがかかった」と笑う奥さんですが、いやいや似たもの夫婦ですよ。ただ原口選手が、ふと何かを考えながら遠い目をすることもあったそうで、奥さんは「ほらほら、どこかへ行っちゃってるよ!」と明るく声をかけて“引き戻した”とか。また「できるだけ普通に過ごしてほしいから、家にいないで練習してきて」と送り出し、原口選手は入院前も毎日練習を続けていましたね。

一歩ずつ前進してきた4か月

5月8日、ウエスタン・中日戦。ネクストで初打席を待つ原口選手。緊張MAX…でしょうか?
5月8日、ウエスタン・中日戦。ネクストで初打席を待つ原口選手。緊張MAX…でしょうか?

 手術と入院を経て2月半ばにリハビリを開始。3月7日から鳴尾浜でユニホームを着ての練習を再開し、5月7日にチーム本隊合流、翌8日からベンチにも入って試合出場を果たしています。「開幕前みたいな感じ」というワクワクした気持ちだけでなく、「打てるかな。大丈夫かな」という不安もあり、緊張感はすごかったみたいです。「試合中に素振りをしようとしても緊張しすぎてできなかった」と自分で驚いていました。確かに動きも少し硬かったかもしれません。

5月9日は1打席目に中前打を放っています。
5月9日は1打席目に中前打を放っています。

 3年前、初めて1軍に上がった時も緊張はしたでしょう?「しなかったですよ」。そうなんですね。へえ~。「だって、あの時は打てるだろうなって気がしていたから」。なるほど、振り返ってみてわかりました。当時の原口選手はファームで10試合ほど4番起用されるという、いわゆる“卒検”に結果を出しての1軍デビューだったわけで、今回とは違い『不安<楽しみ』という図式ですね。

 話を戻して。復帰後は初ヒット、初マスク、初スタメン、初ファーストなど一歩ずつ前進。5月31日のソフトバンク戦では初めて甲子園の打席に立ち、新しくなったビジョン映像も1軍戦に先駆けて披露されました。これ、復帰後に鳴尾浜で撮影したそうですよ。大きな声援に応えた二塁打は、彼らしいスイングと打球だったと思います。

 そして6月2日が、ファームで最後の試合になりました。「7年ぶりかな?」という春日スタジアム(兵庫県丹波市)で行われたウエスタン・ソフトバンク戦。この試合で低めの変化球を「うまく打てた」と今季1号のホームランも出ています。昨年までのイメージを持ってみると、まだ本調子と言えないのかもしれませんが、本人は「この最後の試合で全部がよくなった!」と、いい手応えがつかめたようです。

ここからまた始まる野球人生に

5月21日、BCリーグ・石川戦(金沢市民)は4番キャッチャーで先発出場。
5月21日、BCリーグ・石川戦(金沢市民)は4番キャッチャーで先発出場。
5月31日、甲子園でのウエスタン・ソフトバンク戦で二塁打!チェンジで戻るところです。
5月31日、甲子園でのウエスタン・ソフトバンク戦で二塁打!チェンジで戻るところです。

 この2日の夕刻、1軍合流が決定。3日の夜には千葉へ移動。翌4日に出場選手登録され、戻ってきた1軍の舞台はセ・パ交流戦の開幕、ZOZOマリンスタジアムです。代打で出場し、ロッテファンからも大きな拍手が送られたタイムリー二塁打は忘れられませんね。この試合と、さらに7日の日本ハム戦も球場で観戦された奥さん。7日は甲子園とあって、登場の際はアナウンスの後半が聞き取れないほどの歓声でした!あれもまた鳥肌が立つほどで。

 この2試合の感想を聞いてみたところ「甲子園ももちろんですけど、やっぱり1軍に上がった日のマリンスタジアムが嬉しかったです。昇格が決まってからバタバタで実感がなく、当日を迎えてフリーバッティングをしている姿を見ても、まだ特に何も思わなかったのですが、ネクストに出てきて名前をコールされ応援歌を聞いた時には、もう涙腺爆発でした」と奥さん。

 4日は自身のご両親や親友と抱き合って号泣だったとか。スタンドだけでなく取材陣にも涙が見えたぐらいですからねえ。もちろん私の涙腺も崩壊状態。試合後の会見で、打席に入る時にスタンドへ一礼した理由を聞かれ「家族に行ってくるよと、これから頑張るよという気持ちもありながら。ロッテファン、タイガースファンの皆さんがたくさん声援をくれたので、ここからまた野球人生の新しいものがスタートするという意味でお辞儀をさせてもらいました」と答えた原口選手に、また涙腺が…。

「野球大好き少年の顔に戻ったよう」

3日、千葉のチーム宿舎に到着してすぐ囲み取材を受ける原口選手。
3日、千葉のチーム宿舎に到着してすぐ囲み取材を受ける原口選手。

 それだけでは終わりません!8日の日本ハム戦では初マスクをかぶって、試合後もずっとニコニコしていたみたいです。翌9日の日本ハム戦では甲子園を、さらなる感動の渦に巻き込みました。9回2死からの代打サヨナラタイムリーは、あえてここで書く必要もないでしょう。矢野監督をも泣かせたほどですから。本人が「同点に追いついたところで、もうサヨナラの場面はイメージして待っていた」と語った通り、原口選手ならあり得ると十分に予想できた結末。自宅で見ていた奥さんもそうです。

 「意外と冷静で、やったねー!という感じでした。なぜか絶対に打ってくれるだろうと思い、テレビの音量を上げて(笑)。娘も、いつもは他の番組を見たくて騒ぐのですが、じっとテレビ画面を見つめていました」。タテジマのユニホームを見ると、パパ!と声を上げるお嬢ちゃんだけど、ワンワンも大好きでチャンネルを変えたがるそうです。でもこの時は、パパの大事な場面だとわかっていたんですね。

4日、試合前の打撃練習で順番を待つ原口選手(手前)。矢野監督(奥)と結構長く話をしていました。
4日、試合前の打撃練習で順番を待つ原口選手(手前)。矢野監督(奥)と結構長く話をしていました。
OBの方々からも次々に声をかけられます。これは田淵幸一さん(左)。
OBの方々からも次々に声をかけられます。これは田淵幸一さん(左)。

 最後に奥さんは「復帰した時はやっぱり、少し早いんじゃないかな、無理しているんじゃないかなと心配だったのが本音です。でも試合を終えて家に帰ってきた時の顔が、練習している時とまったく違って“野球大好き少年”に戻ったようでした(笑)。それを見たら、野球ができる幸せをかみしめているんだな、この人にはやっぱり野球しかないんだなと思って、心配するのはもうやめました」と振り返っています。今回のことで家族の絆がまた一段と強くなった原口家です。

後輩たちからの熱いエールです!

 原口選手の1軍招集が決まった6月2日、私は茨城県日立市で都市対抗野球の北関東2次予選を見ていて、そのまま帰らず千葉へ移動という個人的には絶妙のタイミング。この北関東2次予選で、もと阪神・玉置隆投手が兼任コーチを務める日本製鉄鹿島は見事、第1代表で都市対抗出場を決め、これがまた劇的な勝利で感動!引き続き千葉でも感動、帰ってきて甲子園でも感動と、なかなか経験できない1週間でした。

2日、都市対抗の北関東2次予選で投げる伊藤投手。
2日、都市対抗の北関東2次予選で投げる伊藤投手。

 日本製鉄鹿島には、帝京高校野球部で原口選手の後輩だった選手が2人います。島田直人選手(27)は1学年下で、第1代表決定戦が始まる前に話をしたので「頑張ってください!僕も勝って東京ドームへ行きます!」と言っていました。もう1人は、もとDeNAの伊藤拓郎投手(26)で2学年下。試合後に「原口さん、頑張ってほしいですね。僕も東京ドームで頑張ります!」とエールを送っています。

逆転勝で東京ドーム行きを決めた瞬間!いい表情で飛び出す島田選手(左上)。
逆転勝で東京ドーム行きを決めた瞬間!いい表情で飛び出す島田選手(左上)。

 島田選手には後日、改めて話を聞きました。高校時代はどんな印象がありますか?「毎日、朝練で500本、放課後の練習でも締めに500本の素振りを全員でするんです。正直、練習で疲れて惰性になったりするけど、原口さんは1本も抜いたところを見たことがない!そのうえ家に帰ってからも、お父さんにティーを上げてもらって打っていたとか」。埼玉県寄居町からは片道2時間かかるので帰りは、ほぼ終電…。それからお父さんや妹さんに投げてもらって打ち、朝はまた始発で通学していたんですよね。

 「そうやって手伝ってくれる家族のためとか、試合に出られずベンチで応援する選手たちのために打ってくれた。3年前、1軍に上がった時も自分に期待してくれる人のために打ったと思うし、支えてくれる人のために努力できる人。今回は同じ病気の患者さんのためにと言っていて。それが僕らにも伝わります」と熱く語る島田選手。いい言葉で締めてくれました。

 「原口さんは、誰かのために打つ人です」

自分のためだけに、あそこまで練習できない

 島田選手と同じく原口選手の1学年下で、キャプテンだった小林孝至さん(27)は4日、ZOZOマリンスタジアムに駆けつけて応援。打った瞬間は近くのお客さんと抱き合って大喜びでしたね。目には涙を浮かべて。小林さんも島田選手とまったく同意見で「すぐに浮かぶのは、ピッチャーのため、というイメージですね。試合中も周りに、打ってピッチャーを楽にしてあげよう!と励まし、逆にミスをするとピッチャーの辛さを代弁するような指摘をして」と、彼もかなり熱く話してくれます。

原口選手の後輩・小林さん。代打登場で嬉し涙…。その向こう側のビジョンに原口選手の映像が出ています。
原口選手の後輩・小林さん。代打登場で嬉し涙…。その向こう側のビジョンに原口選手の映像が出ています。

 「島田も俺も、原口さんと一緒に練習をやらせてもらったりしたんですけど、後輩にもお礼を丁寧に、ほんと丁寧に伝えてくれます。だから僕らのためにも打ってくれた!と勝手に思っていました。とにかく自分のためだけじゃ、あそこまで練習できないだろってくらいやる人なので、そういうイメージがあるのかもしれません」

 小林さんも島田選手の言葉に「その通りです!」と同意してくれました。もう一度書いておきましょう。

 「原口さんは、誰かのために打つ人です」

    <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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