元阪神・玉置隆投手、32歳の決意。「さらに先のゴールを目指して」
11月1日から始まった『第44回社会人野球日本選手権大会』は12日、三菱重工名古屋の初優勝で幕を閉じました。今大会に出場した阪神タイガースOBのうち、三菱重工神戸・高砂の若竹竜士投手(31)、カナフレックスの藤井宏政コーチ(28)、パナソニックの阪口哲也コーチ(26)については1つ前の記事で書いています。こちらからご覧ください。→<現役あり、コーチ転身あり、もと虎戦士たちの社会人野球日本選手権>
きょうは、11日の準決勝まで勝ち進んだ新日鐵住金鹿島の戦いぶりと、玉置隆投手兼任コーチ(32)の話をご紹介しましょう。先にお伝えしておきますが、玉置投手は来年も現役を続けるそうです!ロジンバッグの白い粉が舞い上がるピッチング(社会人1年目の都市対抗で「つけすぎ」を注意された…)、まだまだ見られますね。
そういえば、同僚の大貫晋一投手(25)がドラフト会議でDeNAから3位指名を受けた時、玉置投手は「写真が僕ですよ(笑)」と、テレビ画面に出た大貫投手のプロフィール写真が、なぜか玉置投手になっていたことを笑いつつ、自身の進退について考えたようです。そりゃあ成長著しいエースが抜けるわけですからね。今大会でも2試合で完投勝利を挙げ「大貫、よくなったでしょう?」と自分のことのように喜ぶ顔が、まさしくコーチそのものでした。
【1回戦】日本選手権初勝利
初戦は3日の第1試合、三菱重工広島との対戦で先発は大貫投手です。住金鹿島時代を含めて8度目の出場で、日本選手権初の初戦突破となりました。玉置投手は5回くらいからベンチに姿が見えず「投げていましたよ、ブルペンで」と言います。そして「日本選手権に2年続けて出たことがなかったのに、ことしは3年連続。そこで1勝することも史上初!」と笑顔。
11月3日 1回戦
新日鐵住金鹿島-三菱重工広島
鹿島 011 000 000 = 2
広島 000 001 000 = 1
◆バッテリー
【鹿島】○大貫(9回) / 片葺
【広島】●本間(3回)-鮫島(5回)-杉山(1回) / 佐々木‐山崎
◆三塁打 広:実政
《試合経過》※敬称略
打線は2回、先頭の4番・高畠が中前打を放ち、林の犠打で二塁へ進むと島田の二飛でタッチアップ!2死三塁として7番・佐藤竜の左前タイムリーで1点を先取。3回は藤本と福盛が連打、次の堀越の犠打でピッチャーが三塁へ悪送球。これで藤本が還り、2点目が入ります。ただしヒットは3回までの5安打のみ。あとは四死球の走者が2人あっただけで凡打の山。
大貫は3回は先頭に三塁打を許すも、併殺打など3人で片づけ、5回は1安打のみで無失点。しかし6回、先頭に内野安打され暴投で二塁へ。1死後にヒットで一、三塁となりスクイズで1点差。8回に四球とヒットなどで1死一、三塁としますが、三振で飛びだした三塁走者を刺しての併殺で無失点!9回も2死から連打を許しながら最後は三振で試合終了です。
【2回戦】20安打で打ち勝ちました!
日本選手権での初勝利に沸いてから4日後、2回戦は西濃運輸との顔合わせです。玉置投手にとっては昨年の都市対抗野球1回戦で、いきなり5点を取られて2/3回KOを喫した相手。しかし今回は先取点を許さず、打線も今大会最多の20安打14得点と爆発!1試合3三塁打という大会タイ記録まで出ました。
11月7日 2回戦
新日鐵住金鹿島-西濃運輸
鹿島 000 305 204 =14
西濃 000 100 221 = 6
◆バッテリー
【鹿島】玉置(3回2/3)-○伊藤(3回)‐菊地(0/3回)-山井(2/3回)-飯田(1回2/3) / 片葺
【西濃】●堀田(4回)-嶽野(1回2/3)-北村(1/3回)-(3回) / 柏木‐森
◆三塁打 鹿:渡部、佐藤竜、堀越
◆二塁打 鹿:高畠、堀越、谷2、伊藤、生島、伊藤2
《試合経過》※敬称略
まず4回に高畠のタイムリー二塁打、佐藤竜と片葺の連続タイムリーなど5安打で3点先制!玉置は三者凡退で立ち上がり、2回と3回は先頭にヒットを許すも後続をしっかり断っています。4回は先頭に四球を与え、4番・谷に2打席連続の二塁打を浴び無死二、三塁とピンチを招きましたが、連続三振で2死!このあたりはさすがですね。
ところが、ここで監督がマウンドへ。2死二、三塁で登板したのは伊藤。代わって2球目がバッテリーエラーとなり、三塁走者を還します。記録は暴投で玉置の失点です。5回と6回は三者凡退だった伊藤ですが、7回に連続二塁打を浴びるなど2点を失って交代。
8回は4人目の山井が、二塁打2本を含む3安打で1点を追加され、なおも1死二、三塁で代わった飯田が二ゴロの間にもう1点。飯田は9回にも2安打で1点を失っています。西濃運輸も10安打のうち6本が二塁打という乱打戦でした。
全国大会のベスト8は人生初
試合後、玉置投手の交代について中島彰一監督は「いいところで代えてあげたかったんですよ。続投しても抑えたと思うけど、(連続三振を奪った)いいところで終わって次へつなげたかったので。点を取られて代えるんじゃなく、カッコよく終わらせてあげたかった」と説明しています。「それにしても、調子は悪かったらしいが、本番になるとさすがですね」。
玉置投手は、そんな中島監督の言葉を聞きながら苦笑いで「やっぱり西濃運輸は嫌だった。気持ち悪さはありましたね」と告白。とはいえ、ナイスピッチングです!都市対抗の借りが返せたのでは?「もうちょいリベンジしたかったですねえ。でも僕、全国大会でのベスト8って人生初っすよ!」。へえ~そうなんですか。「予選とか高校の地区大会とかはあるけど、全国大会では初めてです」
【準々決勝】今度は守り勝ちでベスト4!
ベスト8進出から2日後、今度はナイターでの第3試合・日本新薬戦に臨みました。打ちまくった次の試合は…という心配が的中して、わずか4安打。それでも2点を取って逆転すると、先発の大貫投手は10安打を浴びながら、初回の1失点のみで完投!これで都市対抗と並び、チーム最高成績のベスト4です。
11月9日 準々決勝
新日鐵住金鹿島-日本新薬
鹿島 000 002 000 = 2
新薬 100 000 000 = 1
◆バッテリー
【鹿島】○大貫(9回) / 片葺
【新薬】●西川(6回1/3)-岩本(2回2/3) / 千葉-鎌田
◆三塁打 新:中、浜田
◆二塁打 鹿:堀越、高畑 新:田中
《試合経過》※敬称略
大貫は1回、先頭に中越えの二塁打を浴び、犠打のあとタイムリー(大貫が出したグラブに当たってセンター方向へ…)。先に1点を失います。打線は5回まで西川の前に二塁すら踏めません。ようやく6回1死から2四球と犠打で2死一、二塁にすると、堀越が二塁打で2人を還して逆転!7回は高畠が二塁打を放つも後続を断たれ、あとは三者凡退。結局、堀越と高畠の2安打ずつで計4安打でした。
2回からの大貫は、ほぼ毎回ランナーを出す展開。5回は連打と四球で2死満塁、6回も2死からの連打、8回は2死からフェンス直撃の三塁打と、1本出たら逆転というピンチの連続。9回も先頭に中前打(センター・藤本が一瞬迷ったか?出したグラブに収まらず後逸…)記録は三塁打となります。
次の黒川は死球で代走・福田。1死後にバントがうまい9番の吉野を迎え、初球で福田は二盗を決めると、2球目を吉野がスクイズ!ピッチャーの左、一塁方向へ上がったフライを大貫が体勢を崩しながらキャッチ、すぐに三塁へ送球。三塁ランナーはホームまで到達していて戻れず、サードがベースを踏んで併殺!1点のリードを大貫が守り抜きました。
「この人を超えなければプロには行けない」
準々決勝からは試合後にグラウンドでインタビューが行われ、中島監督に続いて2試合連続完投の大貫投手がヒーローで登場。ちゃんと笑いも取っていたし、話術も達者ですね。帰りのバスに向かうところで少し話が聞けたのでご紹介します。試合ではなく、玉置投手についてです。
何か影響を受けたことはありますか?「入った当初から、いろんなことを教えてもらいました。ピッチングの技術もですが、こういう場面でどうすべきかという気持ちの話とかも」。なるほど、経験してきたことがいっぱい詰まっているでしょうからね。参考になっている?「はい!」
さらに「玉置さんと僕は、同期入社なんです」と言って「その時、玉置さんはエースだったので、ずっと目標にしてきました。この人を超えないとプロには行けない、と思って頑張りました」と続けた大貫投手。嬉しい言葉ですね。“玉置コーチ”としても。来年はここでなく、甲子園で会いましょうと告げたら「ありがとうございます。頑張ります!」という返事。楽しみにしています。
【準決勝】突破は来年の目標に
準決勝の相手は、前日に日本生命を破ったJFE西日本。先発は伊藤投手でした。序盤から点を取り合った試合ですが、3回以降は打線がつながらず、結局4安打のみ。相手打線には13安打されながら、よく4点で終わったというべきでしょうか。
11月11日 準決勝
新日鐵住金鹿島-JFE西日本
鹿島 020 000 000 = 2
JFE 210 001 00X = 4
◆バッテリー
【鹿島】●伊藤(1回1/3)-能間(3回)-飯田(3回2/3) / 片葺
【JFE】 小倉(1回2/3)-中川(6回)-谷中(1回1/3) / 浦
◆二塁打 鹿:高畠 JFE:宮本
《試合経過》※敬称略
伊藤は1回、1死から死球とヒットで一、三塁としますが空振り三振で2死。ところが5番の藤本にタイムリー、ついで脇屋も内野安打でもう1点失いました。直後の2回表に打線が反撃。先頭の高畠が左中間二塁打、2四死球などで1死満塁となり、片葺の中前タイムリー!なおも1死満塁で渡部はスクイズ!すぐ追いついています。
しかし2回裏、伊藤は先頭に二塁打、次はセンターのエラー(捕ればファインプレーという守備!惜しかった)で無死二、三塁となって2番・岡のタイムリー。これも内野と外野の間に落ちる当たりで、勝ち越しを許しました。2人目の能間は連打や四球で招いたピンチをしのぎ、3イニングを無失点。5回途中から登板した飯田は6回2死から3連打で1点を失いますが、独特な変化球を駆使して以降は0点に。ただ打線が3回以降わずか2安打で、チャンスを広げることなく試合終了です。
現社名でのラストゲーム
試合後、玉置投手は「残念です。決勝は先発する予定やったのに」と言いながら、何だかスッキリした表情でした。何といってもベスト4という快挙ですからね、それを評価すべきでしょう。しかも来年から社名が『日本製鉄』に変わり、ここまで続いてきた『住金』という名前が消えるわけで、OBの方々にとっても嬉しい締めくくりになったと思います。
また、ルーキーの飯田晴海投手を「いいでしょう?面白いですよ」と“玉置コーチ”は言っていました。普通のカーブとは異なる感じの変化球を「スライダーか、でも本人が言うならカーブですけど」と。玉置投手の阪神時代、評論家の方々は「スライダー」と分析する、あれもカーブでしたね。懐かしい。飯田投手のカーブもいいですね。「そうでしょ?まあ僕が教えているってのもあるんで」。ほほ~、それはまた来年が楽しみです。
勝利の女神がまた増えました!
実は3日の朝、玉置家に2人目のお子さんが誕生しました!試合前にもう聞いていたそうで、試合が終わってから上のお嬢さんと一緒に対面。今度も女の子です。お姉ちゃんはまだ小さい頃から東京ドームの都市対抗、京セラドームの日本選手権と応援に駆けつけ、背番号30のユニフォームでスタンドをなごませてくれました。そのユニホームがなくても玉置投手のお子さんだと、誰もがわかるくらい顔はそっくりですけどね(笑)
ことしは両手にポンポンを持って、ダンスをしたり歌ったり。応援の曲や選手の名前もしっかりインプットされていてビックリしましたよ~。スチールカメラも、準々決勝から始まったテレビ中継のカメラも、かわいらしいチアガールをたくさん撮ってくれたみたいですね。さすが、お父さん譲りの身体能力!
そして3日に出産したばかりの奥さんも、なんと7日の2回戦は観に来られました。中3日で!すごいでしょう?やっぱり玉置家の女性陣、奥さんと2人のお嬢さんは勝利の女神です。
見てほしかった人たちの前で
また初戦が行われた3日は祝日とあって、これまで行きたくても行けなかったという高校時代のチームメイトが初めて観戦してくれたようです。
玉置投手の2学年先輩で、お兄さんの1学年下だった土谷尚之さんいわく「プロの時はタイミングが合わなくて、1軍に上がった時もテレビでしか見ていないんです。社会人の試合も、実はきょうが初めて」とのこと。進学した流通経済大でも野球を続けていた土谷さんは「新日鐵住金鹿島と同じ茨城にあるから、当時はよく練習試合をやっていましたよ」と。縁があったんですね。
お店をやっているため観戦はなかなか難しいという土谷さん。お店に玉置投手のユニホームを飾っていて、お客さんに聞かれたら「後輩なんで」と答えるそうです。ところで高校時代の玉置投手は、どんな後輩でしたか?「1年生の時はプロになると思っていなかったですねえ。僕は田村領平が同級生で、小学校からずっと一緒だったんですけど、領平はすごかった」。なるほど。まさか田村投手に続いて、2年後に玉置投手が同じ阪神に入るとは!
それから「隆は昔から謙虚でした。謙虚で練習熱心で、礼儀正しいところは今も変わらない」と後輩・玉置投手への賛辞です。
隆が俺らの夢を背負ってくれている
松間啓介さんは、小学校から高校までの同級生。中学は松間さんが外の硬式野球チームに入り、玉置投手は学校の野球部で3年間は離れ離れになりましたが「高校は一緒に野球をやりたくて、隆のお兄ちゃんが市和商、中学のチームの先輩も市和商、なおかつ隆と野球ができるなら」と決意した松間さん。めでたく2人揃って市立和歌山商業高校(現・市立和歌山高校)に入学します。
毎日一緒に自転車で通いながら「3年は甲子園に行きたいな」という話をしたそうです。「その時に隆が『俺はエースを獲るから、お前は キャプテンな』って言っていました」。2人とも公約を果たしたわけですね。「キャプテンといっても野手は僕が、投手は隆がまとめていた感じです」
試合を見たことは?「実は阪神の時も見ていないんです。1軍で投げる時でないと甲子園には行かんからなってのは言ってあって。ファームの試合もオリックス戦を1回見ただけでした。社会人の試合も、きょうが初めてです!テレビで一度見たくらい」。それもそのはず。松間さんは大学まで野球を続け、卒業後は小学校の先生をされているのです。この日は祝日の土曜日、最高のタイミングでしたね。
「お疲れさん」でも「頑張れ」でも
玉置投手のことは「まったく変わらない。それがアイツのええとこ、尊敬するところです。どんな時でもアイツのまま」と言われました。そして「僕らには弱音や悩みを口にすることもありますよ。家族ができて一家団欒というのが、あの子の夢でもあるし。野球はそろそろということも考えてはいたと思います」という話も。
「隆に夢を背負ってもらっている部分もありますが…」と前置きした上で、こう続けました。「今いる場所は、いったん退いたら戻ってこられない。それでもいいなら、俺らはいつでも“お疲れさん”と言うし、まだやるなら“頑張ってくれ”と言うつもりです」
阪神タイガースから戦力外を告げられた日、松間さんは玉置投手と一緒にいたそうです。「みんながあそこ(プロ)を目指して、たどり着けるのは本当にひと握り。こっちとしたら“お前すごいやん、十分やん”って思うんですけどね。でも、あの時は何と言っていいかわからなかった」
それから3年、こうやって現役で投げ続ける玉置投手に贈る言葉は?「いまだに50メートルを5秒台で走るって、すごいやん!かっこいいオヤジやと思います。それぞれの思いは話し合ったので、“お疲れさん”か“頑張れ”か、どちらでもいいです。いっぱい楽しませてもらいました!でもまだまだやってほしい。十分できる」
必要としてくれるチームのために!
最後は、玉置投手に今大会と今シーズンを振り返ってもらいました。
「今大会は、そうですねえ。若手がすごく出てきたな、自覚が出てきたなと感じる大会でしたね。世代交代は近いですね。大貫もその1人です。プロには行ってしまいますが、これからは僕が!というより、大貫のような投手がまた出てくるよう、いろんな面でサポートしたいと思いました。当然、僕も現役でやる以上は負けないよう頑張りますし、投手陣の1番のライバルになれるよう頑張らないといけないですね。それが一番の、若手の育て方だと思います!」
「大貫は僕の1番のライバルでしたし、大貫も『僕に負けたくない』『エースになりたい』と頑張ってくれました。そして、ことしは軽く僕を抜いてプロにまでなりましたね(笑)。すごいですし、完敗です(笑)。大貫は僕に、直接勝負です!って言ってくるポテンシャルがありましたからね。それで僕自身も頑張れました。なので、まだまだ若手に負けないよう頑張らないといけないですね」
「今シーズンを振り返っても、感じるところは一緒です。ことしは“ゴールテープ”を作って走りましたけど、ありがたいことにチームから必要としていただき、さらに先に設定されたゴールテープの方が切り甲斐がありますし、達成感もあると感じたので、頑張ってもう少しだけ走ってみます!あと少しなんで、全力で行きますよ(笑)」
<注釈※のない写真は、チームから提供いただいたもの>