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マスクと感覚過敏、自閉スペクトラム症

西多昌規早稲田大学教授 / 精神科専門医 / 睡眠医療総合専門医
shutterstockより

マスクと感覚過敏

「シャワーが痛い」

「柔軟剤で洗った服は着られない」

「チョコレートの香りが嫌い」

 これらはすべて、わたしが受け持っていた自閉スペクトラム症(ASD)の人の感覚過敏の訴えである。これに今年は、「マスクをつけられない」が加わった。

 新型コロナウィルス(COVID-19)感染予防のため、マスク装着を求められるようになって半年ほどたつ。電車内でもマスク着用が当然視されるなかで、「マスクを着けられません」意思表示マークをつけてマスクをしていない人をたまにみる。発達障害の一つであるASDの人たちのことである。

 発達障害情報・支援センターの調査でも、発達障害がある人のうち56%の人が、感覚過敏のため、マスクを「我慢して着用している」「着用が難しい」と感じているという。

 ASDは子どもに多いと思われがちだが、大人になったASDでも感覚過敏で困っている人は多い。先日も、ピーチ航空MM126便が新潟空港に緊急着陸し、マスク着用を拒否した乗客を降ろすという事件があった。

 マスク拒否は、ASDによる感覚過敏によるものもあれば、ASDに関係なく個人の主義主張による場合もあるだろう。このケースは前者なのか後者なのか判断はできない。このケースは機内安全阻害行為に当たる可能性があり、責任は議論されるべきだろう。しかし、感覚過敏によってマスクをどうしてもつけたくないという切実な要求があることは、社会に知ってもらいたいことである。

ASDにおける感覚の問題

 自閉スペクトラム症(ASD)は対人コミュニケーションや情動行動、限局的な興味と行動パターンを示す、発達障害の一つである。人口の約2%を占めると考えられており、知的障害をもつ人から、わたしが同業者で経験しているように医師や大学教授など知的レベルの高い人にも見られるものである。

 

 ASDが独特な感覚への過敏性をもつことは、小児(カナー型)自閉症を提唱した精神科医Leo Kannerが既に指摘していた(1)。しかし感覚の問題は、社会生活に大きな支障となるコミュニケーションの問題や病的なこだわりよりは注目されなかった。2013年のDSM-5(アメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル)への改訂で、はじめて感覚過敏や感覚刺激への低反応が診断基準に取り上げられた。感覚の問題は、ASDの中核症状かどうかは議論があるようだが、過小評価されてきたのは事実である。

 蛇足ながら、注意欠如多動症(ADHD)にも、感覚過敏の特性を持つひとがいる。ASDとADHDとの併存が多いことはコンセンサスとなっており、ASDではなくADHDだからといって、感覚の問題がないわけではない。

「感覚過敏」だけでなく「感覚鈍麻」もある

 DSM-5では、感覚刺激への過剰な反応、感覚刺激への低反応、環境の中で感覚的要素に異常な興味を示す、と定義されている。過敏性だけでなく、刺激に鈍感になるという場合もあるということだ。

 

 音や匂い、感覚に過敏なのは本人も苦痛なのでわかりやすいが、刺激への低反応、つまり鈍感かどうかを把握するのは、自他ともに難しい。骨折の痛みがわからないくらいになれば大問題だが(2)、「呼ばれても振り向かない」「匂いを感じない」は、他人からはわかりにくい。ASDの自叙伝では、「骨折しても痛くない」といった極端な例まで記述されている。

 そもそも刺激に対して鈍感で感じていないのか、感じてはいるが表現できないだけなのか、これも本人に聞かなければわからない。もしかしたら、鈍感に見える刺激への低反応で、損をしている人がかなり多いのかもしれない。ASDの感覚情報処理については、神経科学的研究は進んではいるが、十分な解明までに至っていない(3)。

「感覚の問題」への対処はあるのか

 ASDの人は感覚の問題のため、わたしたちの想像以上に社会生活に困っている可能性がある。感覚過敏を持っている人は、当然ながら嫌いな刺激に反応しやすくなり、不安やパニックになりやすい(4)。触覚や聴覚への過敏性がある人は、「ふとんの肌触りが気になる」「些細な物音が気になる」などの理由で、不眠になってしまう場合もある。嗅覚過敏が強いと、社会的コミュニケーションの障害が生じやすいという報告もある(5)。偏食が強いと、食事というコミュニケーションの場も苦手になるだろう。

 ASDの怒りっぽい・攻撃的、自傷行為、かんしゃくに対しては、リスペリドンやアリピプラゾール(商品名エビリファイ)が有効であるとのエビデンスがある。しかし、感覚過敏を和らげる薬剤に関してはエビデンスは乏しい。聴覚過敏に対しては耳栓、イヤーマフなどアイテムがあるが、触覚、嗅覚に対しては対応が本当に難しい。周囲の理解を広める地道な啓発活動がやはり必要かとも思う。

 わたしたちは、起きているあいだの時間は、着ている服の触覚、周囲の物音、漂う匂い香りなど、ほとんどが何らかの感覚刺激を受け続けて過ごしている。刺激を遮断する工夫はあっても、100%の対処は不可能である。COVID-19のマスク問題は、こういった問題を抱える人たちがいるということを、社会に知ってもらうという意味ではインパクトのある出来事だったと考える。

1. Kanner, L. Autistic disturbances of affective contact. Nervous Child, 1943; 2:217-250.

2. Elwin M et al. Autobiographical accounts of sensing in Aspergersyndrome and high-functioning autism. Arch Psychiatr Nurs, 2012;26(5):420-9.

3. Robertson CE & Baron-Cohen S. Sensory perception in autism. Nat Rev Neurosci. 2017;18(11):671-684.

4. Green SA et al. Anxiety and sensory over-responsivity in toddlers with autism spectrum disorders: bidirectional effects across time. 2012;42(6):1112-9.

5. Lane AE et al. Sensory processing subtypes in autism: association with adaptive behavior. J Autism Dev Disord. 2010;40(1):112-22.

早稲田大学教授 / 精神科専門医 / 睡眠医療総合専門医

早稲田大学スポーツ科学学術院・教授 早稲田大学睡眠研究所・所長。東京医科歯科大学医学部卒業。自治医科大学講師、ハーバード大学、スタンフォード大学の客員講師などを経て、現職。日本精神神経学会精神科専門医、日本睡眠学会総合専門医など。専門は睡眠、身体運動とメンタルヘルス。著書に、「休む技術2」(だいわ文庫)、「眠っている間に人の体で何が起こっているのか」(草思社)など。

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