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最後だけではない。最初から「金目」です!

にしゃんた社会学者/タレント
著作者:MattysFlicks

石原環境相の、東京電力福島電力第一原発の除染に伴う中間貯蔵施設をめぐる「最後は金目でしょ」との発言が話題に上がっている。石原氏が23日、建設候補地の福島大熊町の渡辺町長と面会し「深く反省して、心からお詫びしたい」と謝罪し、町民は、どこまで許したのかは不明だが、町長は「速やかに謝罪しに来ていただいたことは大きなけじめと受け止める」と許すような発言をしたようである。大熊町の町民を蔑み、人格を無視した発言に多くの人が傷つき、呆れ果てた。いわずして本人として代議士らしからぬ発言を大いに反省し、責任をとるべきである。

そこに、20日参議院本会議で、石原環境相の「最後は金目でしょ」をなぞった民主党・大島九州男参院議員の発言に対して議場からは「正しいよ!」の野次が飛んだ。

今回の国に対して町からそのような要望が出ているとは全く確認取れていない。百歩譲って「金目」の話が上がっているとあえてここで仮説を立てたいと考える。そしてそれのどこが問題なのかをここで問いたい。

出だしからして、原子力発電は生産性重視の利益第一主義で出来ている。「金目」である。「金目」が巡り巡る24時間化した煌びやかなネオン都会東京を維持するにあたって、金銭的に貧弱な地方都市の弱みに付け込んで、原発建設を押し付け「金目」で買収する。福井県は「原発銀座」と言われるようになった所以である。都会のネオン銀座を支える地方の原発銀座の構造。日本国民の共通の認識であろう。言わずして、海外に原子力発電を売り込むのも「金目」である。原発再稼働を促す推進派の言葉を借りると、日本が国際競争力を勝ち抜くため、低コスト生産のために原子力発電が必要ということを聞いても、紛れもない「金目」である。つまり、原子力発電は、どこを切り取っても「金目」である。

原子力発電は最初から最後まで「金目」である以上、石原環境相は、「金目でしょう」と心の内を口に出したところで謝る必要はないのかもしれない。問題は最初から原子力発電は「金目」で動いているシステムであるにもかかわらず、上流が下流に対してケチることである。上だけが儲かれば良い、都会人だけが儲かれば良いという発想が問題である。利益配分の不均衡がここで問題である。現在、福島原発の後始末を命がけでしている人間は十分に「金目」で補償されず、低賃金の外国人を輸入する案まで出ている。被災者を元の生活に戻せているわけでもない。このやり方、企業に例えるとブラックと言うそうである(なぜこの色を選んだのだろ!?)。原発は上流が当たり前のように「金目」で動いているにもかかわらず、原発下流に対し「金目」を口にすることは不謹慎と思っている上層のメンタルこそ問題である。

「金目」が問題で、無報酬で引き受ける必要があると思うなら、ぜひ環境大臣の私有地、環境省の敷地、同じく、国会の中で「金目」が「正しい」とヤジを飛ばした国会議員の先生の私有地に、または、国会の敷地内にどうどうと無償で引き受ける姿勢を示してもらいたい。これは弱り切った被災地の人間を「金目」による従属から解放させ、代議士としての志を証明するこの上ない良い機会ではないか。

社会学者/タレント

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「Mr.ダイバーシティ」などと言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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