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バブルが弾けなかった53歳。『ハロー張りネズミ』で山口智子が演じた所長はドラマ史に残る大発明だ。

成馬零一ライター、ドラマ評論家

 夏クールのドラマが終了したが、毎週、楽しみにしていたのが金曜ドラマ『ハロー張りネズミ』(TBS系)に出演している山口智子の描かれ方だった。

 80年代に描かれた弘兼憲史の青年漫画を原作とする本作は、「人情とおせっかいをモットーとする」あかつか探偵事務所の七瀬五郎(瑛太)たち探偵が、依頼人から持ち込まれた奇妙な事件を解決していくドラマだ。

 山口智子が演じていたのは、五郎たちを束ねる事務所の所長・風かほる。

 彼女は「バブルが弾けなかった53歳」と劇中で言われる昭和の女で、毎日酒を飲んで酔っ払っている。だが、一方ですごく頭が切れる側面もあり、正義感で突っ走る五郎たちをクールに見守る大人としての顔も見せている。

 そんな所長の魅力が出ていたのが、第二話と第三話で描かれたFILE No.2「蘭子という女」だ。

 サンダー貿易の社長の謎の死の背後でうごめく企業犯罪の闇に五郎たちが立ち向かっていく姿は、シリーズ中もっともカッコよく、シリアスな社会派エンターテイメントに仕上がっていたのだが、この回の山口智子は凄まじく、事件に関わる五郎たちを止めようとしているようで、いつの間にか事件の裏を調べて全体をコントロールしていく姿には、底知れぬカリスマ性があった。

 全話の脚本・演出を手がけた大根仁のセンスが隅々まで刻まれている本作は、どこまでふざけていて、どこまでシリアスなんだかわからないトーンで作られている。それと同時に、時代とズレてしまった人たちがそれでも、自分の生き方を貫こうとする姿が描かれていた。

 それは大根の作風でもあるのだが『傷だらけの天使』や『探偵物語』(ともに日本テレビ系)といった探偵モノのドラマが描いてきた美学を継承したものだと言える。

 過去にも大根は、本作で主演を勤めた瑛太が便利屋を演じた『まほろ駅前番外地』やオダギリジョー主演の『リバースエッジ 大川端探偵社』(ともにテレビ東京系)といった探偵モノを手がけてきたが、これらの作品とくらべてユニークなのは、探偵事務所のボスが中年男性ではなく、山口智子が演じる中年女性だと言うことだ。

 日本のドラマで女上司を描くと、どうしてもスーツで全身を武装したトレンディドラマに出てくるような勝ち気の女のパターンばかりになってしまう。対して、本作の所長は、だらしない姿を見せながら、母親とは違う包容力があり見ていて心地がいい。何というか無防備で親しみやすく、余計な色気を出さないので、男と女の関係にならずに理想の上司と部下の関係でいられそうなのだ。

 所長は、いわゆる昼行灯という奴で『忠臣蔵』の大石内蔵助を中年女性にしたような普段はヘラヘラしていて情けないが、実は頭が切れるという大人のキャラクターだ。

 個人的に連想するのは漫画『機動警察パトレイバー』に登場する後藤隊長なのだが、外見は大人の女なので、同じ『パトレイバー』に登場する女上司の南雲しのぶみたいでもある。

 わかりにくい例えかもしれないが、つまり所長は『パトレイバー』の後藤隊長としのぶさんを足して二で割ったようなキャラクターなのだ。

 こういうキャラクターが中年女性で描けるとは思いもよらなかった。

 本作の所長が体現している女上司のイメージは、テレビドラマにおける大発明なのではないかと思う。

 もちろん、これは山口智子が演じたからこそ達成できた偉業である。

90年代前半の空気を象徴する女優・山口智子

 山口智子は不思議な女優である。良くも悪くも彼女は、90年代から変わってない。

 水着キャンペーンガールとしてキャリアをスタートした山口は、1988~89年の連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』(NHK)で女優として注目される。

 その後、柴門ふみの原作漫画をドラマ化した『同・級・生』や伝説のジェットコースタードラマ『もう誰も愛さない』(ともにフジテレビ系)、『ダブル・キッチン』(TBS系)といったコメディタッチのホームドラマに出演。

 

 評価が大きく高まったのは鎌田敏夫脚本の『29歳のクリスマス』で演じたアパレル会社で働く29歳の女性役と、三谷幸喜脚本の『王様のレストラン』(ともにフジテレビ系)でシェフの役を演じて以降だろう。

 この辺りで20代後半の働くイイ女の代名詞といえば山口智子というイメージが確立される。

 そして、決定打となったのが、木村拓哉と共演した『ロングバケーション』だ。

 山口は31歳の売れないモデル・葉山南を演じたことで、時代を象徴する女優となった。

 『ロンバケ』が放送された1996年は、86年に男女雇用機会均等法が施行されてから10年目の年だが、バブルが崩壊したものの、世の中はまだ豊かで余裕があった90年代の気分を「ロングバケーション(長い休暇)」と表現した本作は、この時代を代表するドラマだ。

 山口智子の経歴を振り返った時に面白いのは、彼女の全盛期が90年代前半から96年の『ロングバケーション』までだ、と言うことだ。

 

 唐沢寿明と結婚して以降は芸能活動を制限して、彼女自体が「ロングバケーション」の状態となってしまう。

W浅野と山口智子の違い

 90年代前半のテレビドラマが体現していた空気は、80年代後半のトレンディドラマと混同されがちだが、『抱きしめたい!』(フジテレビ系)等のバブル期のトレンディドラマと90年代の『ロングバケーション』等のドラマとでは、微妙な違いがある。

 

 それはW浅野(浅野ゆう子、浅野温子)と山口智子の違いとも言える。

 

 前者が女の時代を過剰に引き受けた肩に力の入ったものだったのに対し、山口智子がまとっていた肩の力が抜けた自然体の空気は、バブル崩壊以降の90年代前半の気分だったと思う。

 

 おそらく浅野温子や浅野ゆう子が所長を演じていたら、本作の風通しの良さは生まれなかっただろう。

 

セルフパロディとしての『心がポキっとね』の痛々しさ

 

 結婚以降、女優業を制限していた山口が出演したのは、2004年の『向田邦子の恋文』の向田邦子役や、2011年に映画監督の是枝裕和がドラマを手掛けた『ゴーイング マイホーム』と言った作品だが、この時期の山口智子は、自分自身のブランドイメージを高めてアラフォー向け女性誌に登場する素敵な奥さん的な椅子に座ろうとしているように見えて、あまり興味が持てなかった。

唯一面白かったのは2008年の宮崎駿のアニメ映画『崖の上のポニョ』で演じた母親のリサだ。宮崎ヒロインをお母さんにしたような明るくて行動的なキャラクターだったが、そういう現実離れしたカッコ良さと山口智子の気風の良い声は相性がよかった。

 この時期の山口智子が高値安定に見えるのは、過去を切り売りしてないからだろう。

 それが、反転するのが2014年のドラマ『心がポキっとね』(フジテレビ系)だ。 

 本作は、仕事のストレスでアル中となり妻に暴力を振るって離婚した小島春太(阿部サダヲ)と、ストーカー女の葉山みやこ(水原希子)が、“神様”と慕われる優しい男・大谷心(藤木直人)の元で働きながらコミュニティを作っていく話で、山口智子は春太に暴力を振るわれた妻の鴨田静を演じていた。

 

 鴨田静は自称・空間デザイナーで、それこそバブルの時の感覚のまま40代後半になってしまったような女だ。

本作の登場人物はそれぞれ心に欠損を抱えた“痛い”人たちなのだが、山口が演じる静の“痛さ”だけは、90年代の山口智子のパブリックイメージをそのまま反映したもので、痛々しさの意味が違うものだった。

最終話でウェディングドレスになるのは、『ロングバケーション』の南のセルフパロディだったのだが(そもそも、水原希子が演じる葉山みやこという名前自体、葉山南と似ている)、正直見ていられなかった。

 これはフジテレビが、黄金時代を回顧する痛々しさなのだろう。

 

 本作が放送されていた時期は、亀山千広がフジテレビの社長に就任していて立て直そうとしていた時期で、織田裕二や福山雅治といった、かつてフジのドラマで活躍した俳優を主役に添えた、どん底にいる中年男性が再起を図るドラマがいくつか作られていた。

 それはそのまま、フジテレビの「過去の栄光よ、再び」という機運とも重なっていて、悪い意味で劣勢にあるフジテレビの象徴とされてしまったのが、本作の山口智子だったのだろう。

 

 ドラマ自体はそこまで嫌いではないのだが、山口智子の扱いだけは最後までノレなかった。

 

 だが、実は『心がポキっとね』の鴨田静と『ハロー張りネズミ』の所長の描かれ方は、ほとんど同じなのだ。

 しかし、ドラマ内の印象は真逆で、あれだけ痛々しく見えた山口智子のセルフパロディ感が、『ハロー張りネズミ』では見事に成功している。

 その理由は最初に説明したとおり、ある種の昼行灯的な、かっこ悪いカッコよさが描けたからだろう。

 

シーズン2、もしくは映画化を希望する。

 とはいえ、『ハロー張りネズミ』における所長の描写は、「蘭子という女」以降は、あまり展開がなく、外伝的なエピソードが続き、徳川埋蔵金を探しに行くという人を食った話で完結してしまったため、所長とライバル会社にあたる帝国リサーチとの因縁は宙吊りのまま終わってしまった。

 

 本当はこういうドラマは2クール放送するべきで、その中に外伝的なエピソードが時々あるのがちょうどいいのだ。そして、クライマックスに「蘭子という女」のようなシリアス回が、来るべきだったのだが、10話しかないため(しかも前後編の話が2つもある)、単体では面白いのだが、どこか不全感のあるものとなってしまったように思う。

 だから、できればシーズン2を放送してほしいのだが、視聴率を考えるとそれは厳しいのかもしれない。

 そう考えると一番期待できるのは、やはり映画だろうか?

 それこそ、押井守のアニメ映画『機動警察パトレイバー2 the Movie』のような東京で起きる大規模テロにあかつか探偵事務所の面々が立ち向かうような大きな話が見てみたい。

 

 その時こそ、所長の過去を掘り下げるようなエピソードが描かれるのではないかと、密かに期待している。

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

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