第一章終幕『カルテット』前半戦を読み解く。夢の沼であがくキリギリスたちの「ONCE AGAIN」

 先日、第5話を終えて、第一章終幕となった『カルテット』。

 古くは1991年に大ヒットした『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)、近年では2010年の『Mother』(日本テレビ系)、2013年の『最高の離婚』(フジテレビ系)などで知られる脚本家・坂元裕二がTBSで執筆している本作は、ラブ・サスペンスという触れ込みでスタートした連続ドラマだ。

 

 主演は松たか子、満島ひかり、松田龍平、高橋一生という豪華な俳優陣。

 TBSで坂元が連ドラを執筆するのは、『猟奇的な彼女』以来9年ぶり。

 昨年、『逃げるは恥だが役に立つ』(以下、『逃げ恥』)がヒットした火曜夜10時枠での放送ということもあって、放送前から注目されていた。

 第一話の平均視聴率9.8%(関東地区)以降、視聴率は下がり続けており、第4話では7.2%(同)まで低下。第5話では8.5%(同)と盛り返したため、これからの伸びに期待しているのだが、一方で当初からSNS上では盛り上がっており熱狂的なファンが多い。

 今回は第一章(1~5話)を振り返りつつ、あらためて『カルテット』の魅力について迫ってみたい。

ここから、ネタバレあり

 『カルテット』は、カラオケボックスで偶然知り合った巻真紀(松たか子)、世吹すずめ(満島ひかり)、別府司(松田龍平)家森諭高(高橋一生)の4人の音楽家が弦楽四重奏団・カルテットドーナツホールを組むことになり、別府の叔父が所有する軽井沢の別荘で共同生活を送るところから物語は始まる。

 4人は、それぞれ秘密を抱えている。

 巻真紀は、現在、夫が行方不明となっており、義母の巻鏡子(もたいまさこ)からは彼女が夫を殺したのではないかと疑われている。

 世吹すずめは、巻鏡子から巻真紀を調査するように依頼され、偶然を装って巻に近づいた。

 彼女には、過去に父親の詐欺の片棒を担がされて、超能力少女としてオカルト番組に出演していた経験があり、本作の「嘘」というテーマをもっとも引き受けた存在となっている。

 別府司は、別府ファミリーと呼ばれる音楽一家の生まれで、祖父は世界的に有名な指揮者。

 しかし彼には音楽の才能がなく、今はふくろうドーナツという会社で働いている。

 実は大学生の頃から巻のことが好きで偶然を装って巻に近づいた。

 家森諭高には、離婚した妻と息子がいた。

 病院で巻の夫と知り合い、夫の話を聞いて、巻真紀を恐喝できるかと思い、偶然を装って巻に近づいた。

 つまり、偶然、巻真紀とカラオケボックスで出会った3人は、実はそれぞれの目的で彼女に近づいたのであり、巻も含めた4人がそれぞれ秘密を抱えて、嘘をついているという話だ。

 第5話までは、それぞれの過去を掘り下げることで4人の人物像を掘り下げていく展開となったのだが、おそらくあらすじだけを説明しても、本作の魅力は、あまり伝わらないのではないかと思う。

 ネット上で話題となっているのは劇中に登場する「から揚げにレモンをかけるか」「みぞみぞする」「質問に質問で返す時は正解」などといった、気の利いた台詞の応酬であり、4人の俳優が演じる個性的なキャラクターである。

 特に高橋一生が演じる家森の人気は高く、『逃げ恥』で星野源がブレイクした時を彷彿とさせるような盛り上がりを見せている。

 こういった細部の芝居の面白さは豊富なのだが、「では、どういう話なのか?」というと言葉に詰まるところがある。

 カルテットドーナツホールという名のとおり、中心にぽっかりと大きな穴が開いていて、その周辺をぐるぐる回ってばかりで、全体像がいまだに把握できないという感じだ。

 一話を見る限りでは不在の夫を妻が殺したのか? というサスペンスにも見えるが、男二人、女二人という4人の関係は『東京ラブストーリー』や『最高の離婚』を思わせるためラブストーリーにも思える。

 すずめと家森の過去が明らかになる三話、四話は、崩壊した家族の傷を癒すための、新しい家族や居場所の物語にも見えるのだが、根底にあるのが「嘘」というモチーフであるためか、何を話しても登場人物が本当のことを喋っていないように見える。

 つまり、全員が常に何かを偽って演じているという「ごっこ遊び」的なドラマで、一つのエピソードを四人の視点で観たらまったく別の話に見えるという芥川龍之介の『藪の中』みたいな話がやりたいのかもしれない。

 このミステリアス雰囲気の中で、深読みしたくなるようなニュアンスの芝居と台詞が次から次に登場することが本作の魅力なのだが、こういった見せ方は視聴者が積極的に作品内の情報を読み解くことを要求するため、見る人を選ぶようなところがある。

 

 映画などで、視聴者の関心を最後まで引っ張るための謎のことをマクガフィンと言う。

 『カルテット』におけるマクガフィンは失踪した生死不明の巻の夫・幹生の存在なのだが、5話の最後で幹生が登場し、役を演じるのが宮藤官九郎だったことも驚かされた。

俳優で文脈を作る。

 テレビドラマや映画といった実写映像において、一番情報量が多いのは俳優である。

 坂元裕二が脚本を書いたドラマはそれを熟知した作品が多く、出演俳優の演じてきた役柄や個人のプロフィールと演じる役柄とシンクロさせることで作品の批評的文脈を強固なものにしてきた。

 一番わかりやすいのは『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)で、かつて殺人を犯した少年・三崎文哉が出所して20代後半に成長した姿を演じた風間俊介の起用方法だろう。

 三崎文哉の存在が、97年に14歳の少年が起こした神戸の連続殺傷通り魔事件の犯人をモデルにしているのは誰の目にも明らかだが、風間俊介は1999~2000年に『3年B組金八先生 第五シリーズ』に出演し、表向きは優等生だが裏では生徒たちを支配し金八を陥れようとする中学生・兼末健次郎を演じた。

 兼末は神戸の事件以降、多発していた「キレる10代」と言われた少年像をイメージしたかのような存在だったが、それから11年後の2011年に「少年A」のその後とも言える三崎文哉を演じることで俳優として第二のブレイクを果たすことに成功した。

 あるいは『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)では主人公たちと対立することになるパワハラが横行している大企業の社長を杉本哲太、その部下に吹越満という連続テレビ小説(以下、朝ドラ)の『あまちゃん』出演陣を、系列のレストランで働くシェフと店員役に東出昌大、菅田将暉、高畑充希という朝ドラの『ごちそうさん』の出演陣を配置した。

 つまり朝ドラ出演で話題になった俳優を悪役となる企業の側に揃えることで、朝ドラ的世界観(NHK的保守性と言ってもいいが)を、パワハラがはびこる旧態依然としたブラック企業に読み替えてしまったのだ。

 これが『カルテット』なら、例えば、松田優作の息子という二世俳優の松田龍平に、音楽一家に生まれた別府を演じさせている。

 

 あるいは、すずめがかつて働いていた会社の同僚の役に、満島ひかりの出世作となった『愛のむきだし』で共演した安藤サクラが声で出演していたり、高橋一生が楽器を持っている姿を見ていると思い出すのは彼が声優として出演したスタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』でバイオリン職人になるために外国に旅立った少年・天沢聖司の、成れの果てのようにも見える。

 BuzzFeedに掲載された佐野亜裕美プロデューサーへのインタビューによると作り手の意図しない深読みが多いことに驚いており『耳をすませば』との関連は想定していなかったそうだが、作り手の意図を離れて、様々な読みを誘発すること自体が本作の面白さだと言える。

「じわじわファン増やす「#カルテット」わかりやすさを求めない孤独な挑戦」

 おそらく巻真紀の夫を、宮藤官九郎が演じるということの文脈的な意味は、来週以降明らかになるのではないかと思う。

夢の沼 ドーナツホールに吸い寄せられていく人々

 とは言え、五話まで見終わって思うのは、やはり本作の最大のテーマは、夢と才能の問題ではないかと思う。

 

 第一話で巻は、ピアニスト・ベンジャミン瀧田(イッセー尾形)の余命9ヶ月という肩書が嘘だと、ライブレストラン・ノクターンにバラすことで、自分たちの仕事を獲得するのだが、そのことで四人の中に不協和音が生じた時に、巻は以下のように言う。

「私達、アリとキリギリスのキリギリスじゃないですか。音楽で食べていきたいっていうけど、もう答え出てると思うんですよね。私達、好きなことで生きていける人にはなれなかったんです。仕事にできなかった人は決めなきゃいけないと思うんです。趣味にするのかそれでも、まだ夢にするのか。趣味にできたアリは幸せだけど、夢にしちゃったキリギリスは泥沼で、ベンジャミンさんは夢の沼に沈んだキリギリスだったから嘘つくしかなかった。そしたらこっちだって、奪い取るしかなかったんじゃないですか?」

出典:カルテット第1話より

 他のシーンがオシャレで楽しいものとして描かれているのに対し、本作における「夢と才能」をめぐる会話は、何倍も切実でシビアだ。これは基本的に巻たち4人が音楽家としての才能がない存在として描かれているからだろう。

 第五話では、別府の弟・圭(森岡龍)の紹介でカルテットドーナツホールは、音楽プロデューサーの朝本国光(浅野知之)と仕事をすることになる。しかし、紹介されたプロピアニストとの五重奏の仕事はアニメキャラクターのようなコスプレをさせられて色物として扱われた挙句、ピアニストの都合で演奏は「当て振り」にされてしまう。納得がいかないと食い下がる別府たちに対して番組プロデューサーは「注文に応えるのは一流の仕事、ベストを尽くすのは二流の仕事、我々のような三流は、明るく楽しくお仕事をすればいいの」と受け流す。

 巻は、プロとして仕事を成し遂げようと言い、カルテットドーナツホールは最後まで成し遂げるが、最後に朝本は「志のある三流は四流だからね」と言う。

ONCE AGAIN

「夢ってのは呪いと同じなんだよ」

出典:仮面ライダー555 第8話より

 

 第一話の「夢の沼に沈んだキリギリス」というくだりを聴いて思い出したのは『仮面ライダー555』(テレビ朝日系)に登場した上記の台詞だ。

 どうして『カルテット』と『仮面ライダー』が同じ土俵に並ぶのか? と困惑される方が多いかもしれないが、実はこの二作、似たテーマを扱っているのではないかと個人的には思っている。

 2000年の『仮面ライダークウガ』から続く「平成ライダー」と呼ばれる仮面ライダーシリーズは、一年間の放送という長尺と仮面ライダーが登場するアクションヒーローモノという枠組みさえ守れば自由に物語が展開できるという制約の緩さによって、SF的な設定を用いた高度な人間ドラマを展開することに成功している。

 中でも『仮面ライダー555』は全50話を一人でてがけた脚本家・井上敏樹のハードな文学性が「仮面ライダー」という娯楽作品の枠組みとうまく溶け合い、オルフェノクという異形の肉体と力を持つ怪物になってしまった若者たちの青春ドラマとして秀逸の物語となっていた。

 

 「夢ってのは呪いと同じなんだよ」という台詞は、指を怪我したことでギタリストとしての夢に挫折した青年が発する、本作の青春ドラマ性が強く打ちだされた台詞だが、この台詞の影響を受けて書かれたRHYMESTERの曲が「ONCE AGAIN」という曲だ。

 おそらく、家森を追う謎の男・半田温志にMummy-Dが起用したのは、彼がRHYMESTERのメンバーだからだろう。

 カルテットドーナツホールの彼らが抱えている「最大の嘘」は、才能がない自分から目をそらして音楽を続けていることにある。

 「夢の沼」という嘘の世界に浸かっているうちに、30歳を超えてしまった別府たちのような人々が日本には多数いる。

 ノクターンで働く来杉有朱(吉岡里帆)が巻たちに対して、正義は負ける、夢はかなわない、努力は報われない、愛は消えると、現実を突きつけるのは、彼女自身、地下アイドルという「夢の沼」にかつて浸かっていたからかもしれない。

 第5話になって急激に存在感を増した彼女の描き方も今後の楽しみの一つだ。

 「ONCE AGAIN」は、年をとってどん底にいる負け犬たちに「もう一度立ち上がろう」と鼓舞するアンセムとなっていたが、『カルテット』は夢の沼で足掻く巻や別府たちを最終的にどのように描くのか? 

 

 厳しい現実を踏まえた上でかすかな希望が見えるようなエンディングになればいいと願っているが、ストレートな成長物語を回避して、断絶と別れを繰り返し描いてきた坂元裕二だけに、一筋縄ではいかないものとなりそうだ。