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長友佑都が成し遂げた偉業…「あなたは愛された」 伊記者の手紙にみる敬意と愛情

中村大晃カルチョ・ライター
2022年12月5日、カタールW杯クロアチア戦での長友佑都(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

最終選考に漏れる可能性もささやかれていた。起用の是非を巡る議論は尽きなかった。だが、ふたを開けてみれば、長友佑都はカタールの地で見事な存在感を発揮した。ピッチでのパフォーマンスに加え、ロッカールームの中でチームに及ぼした影響は、多くの人が認めるところだ。

インテルのサポーターには、おなじみの光景だったのではないだろうか。2010-11シーズン途中にチェゼーナから移籍し、2017-18シーズン途中にガラタサライへ移籍するまでの7年間、長友は世界的名門クラブでじつに210試合もの公式戦に出場した。

決して順風満帆な7年ではなかった。地位を高めては、監督交代を機に序列が下がった。放出の可能性を報じられたのも一度や二度ではない。それでも、崖っぷちに立たされるたびに、彼は自らの努力で周囲に力を認めさせた。

時に激しい批判を浴びせられ、何度となく苦境に追いやられ、それでもインテル愛を強調し、多くの同僚とファンに愛された長友。8年にわたってカルチョの国で戦い、特にビッグクラブで7年という実績は、偉業と呼ぶにふさわしい。

12月3日の『Gazzetta dello Sport』紙の別冊『Sportweek』に掲載された、同紙のルイジ・ガルランド記者の手紙は、あらためてそう感じさせてくれる。

日付は11月28日。日本がドイツを下すもコスタリカに敗れ、ワールドカップの決勝トーナメントに駒を進められるか分からなかったときだ。ガルランド記者は、どのような結果になろうと、ドイツ戦勝利の偉業は変わらないとし、次のように記した。以下、拙訳・抄訳ながらご紹介したい。

「筆をとったのは、心から称賛するためだ。あれほど幸せそうに、テレビカメラの前で叫んで喜ぶあなたを見られて、とてもうれしかったと伝えるためだ。うれしいのは、イタリア時代の8年をはっきりと覚えているから。情熱的で献身的なプロフェッショナルの思い出だ。決して容易な歩みではなかった。日本からイタリア、スモールクラブのチェゼーナから野心的なインテル。素晴らしい飛躍だ。それだけではない。イタリアサッカーで最も不安を誘うサイドのひとつを長く走らなければならなかった。(中略)各世代の左サイドバックを飲みこみ、バミューダトライアングルのようだった、インテルの左サイドのことだ。力を惜しまない競争心と無限の走りでそれを免れ、あなたはすぐサン・シーロのお気に入りとなった。ミラノの人間は、懸命に働く人を常に称賛する」

「疲れを知ることなくサイドラインを長く走り、クロスを入れるあなたを覚えている。ゴールを喜び、サムライのお辞儀で仲間に感謝するあなたを覚えている。2011年にコッパ・イタリアを掲げ、2013年12月に初めてインテルのキャプテンマークを巻いて感動したあなたを。家と考えていたサン・シーロで未来の妻アイリ・タイラにプロポーズしたことを。恐ろしい地震に見舞われた同胞に連帯すべく、ベンチで日本国旗を広げたのを。疲労回復に貴重な梅干しを愛していたことを、覚えている」

「親愛なるユウト、これらの理由すべてから、あなたはインテルの人々にこの上なく愛された。彼らは赤く染めたあなたの髪を見て楽しみ、ドイツ戦の歴史的勝利を喜んだだろう」

「あなたたちはベスト16進出を手中に収めながら、コスタリカ戦ですべてを台無しにした。どうして? あなたのスーツケースに『Pazza Inter』(クレイジーなインテル)が少し残っていて、代表のチームメートたちにも伝染したのは明らかだ」

日本がスペインも下し、2大会連続の決勝トーナメント進出を果たしたことを、ガルランド記者は喜んでくれただろう。クロアチア戦当日の『Gazzetta dello Sport』紙の動画記事でも、同記者は日本に賛辞を寄せていた。

2010年にイタリアのクラブとして初となる3冠を達成したインテルだが、その後は苦しんだ。2012-13シーズンからは6シーズンにわたり、チャンピオンズリーグの舞台にも出られず。長友がインテルで欧州最高峰の大会を戦ったのは、最初の2シーズンだけで、出場10試合にとどまった。

長友がインテルで獲得したタイトルは、シーズン途中に加入した1年目のコッパ・イタリアだけだ。在籍期間中のインテルが、黄金期を過ぎて下り坂にあったことは否めない。それだけに、インテルでの長友の実績を偉業と呼ぶことに否定的な声もあるかもしれない。

だが、『Gazzetta dello Sport』紙のフランチェスコ・セッサ記者は、クロアチア戦を前にした記事で、「インテルで210試合出場は、偶然ではない」「時にその存在を軽んじられながら、いつも彼はいた」と、長友の実績を過小評価すべきでないと記した。

大きな敬意と愛情がうかがえるガルランド記者の手紙は、長友が日本人選手として有数の実績を残し、カルチョの歴史の1ページを刻んだことを表している。

そんな偉業を成し遂げた選手が、精魂込めて戦ったワールドカップを終え、今後についてゆっくり考えたいと話した。心から、本人が納得できる答えが見つかるのを願うばかりだ。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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