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信託の受託者の忠実義務

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

信託の受託者には、専らに受益者の利益のために行動しなければならないという厳しい規範が課せられます。この行為規範が忠実義務です。忠実義務は、信託という制度を根底において支える理念的要請であり、また信託法にも明示される法定の義務です。さて、その実質的内容とは何か。

信託の本旨

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忠実義務を厳格に解すれば、受託者は、他人である受益者のために、自己の利益を度外視して働かなくてはなりません。理念的には、信託とは、委託者が受託者を信じて、受益者の利益の保全を受託者に託することですから、信じて託されたものとしての受託者には、そのような重い責任が課せられて当然なのです。

信託の唯一の目的は、信託の本旨に則って、受益者の利益を守ることです。その目的のためにのみ、受託者は行動しなければなりません。忠実義務という用語を用いるにしても、要は、信託の目的から自動的に導かれる規範であって、信託に内包される本質の一つの表現形態にすぎないのです。

社会的責任と信託

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では、そのように受託者の責任が重いなら、積極的に受託者に就任しようとするものはいなくなり、信託自体が成立しないのではないか、そのようにも思われます。

しかし、自から進んで大きな社会的責任を引き受けることは、社会人の責任として、社会的地位の証として、賞賛されるべきことではないでしょうか。社会に対する責任を引き受けること、即ち、人が、社会の構成員として、社会に積極的に関与することこそが、人の集合としての社会を、単なる人の集合ではなく、有機的な組織として、成立せしめる重要な契機ではないでしょうか。

議会制民主主義において、議員になることは、自己の利益を度外視し、専らに社会的厚生の増大に努めることを意味するのではないでしょうか。それが民主主義を成立させる根底の原理ではないでしょうか。

株式会社制度において、取締役になることは、自己の利益を度外視し、専らに企業価値の増大に努めることを意味するのではないでしょうか。それが資本主義を成立させる根底の原理ではないでしょうか。

同様に、信託制度において、受託者になることは、自己の利益を度外視し、専らに受益者の利益のために努めることを意味するのであり、それが信託制度を成立させる根柢の原理なのです。

忠実義務とは、法定のされ方が違うにしても、理念としては、議員、取締役、受託者に共通する行為規範です。

無償の行為

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では、議員、取締役、受託者、いずれの地位も、無償の行為としては、成り立たないのか。当然に、重い責任の対価がないと、その地位に就任する人はいないのか。

忠実義務を論じるに当たって、報酬の問題から始めることは、異例ではありますが、甚だ興味深い接近方法であるように思えます。おそらくは、極めて哲学的な接近方法です。なぜなら、私は、議員、取締役、受託者、いずれの地位も、原理的には、無償であるべきだと考えているからで、そこに経済計算の入る余地を認めないからです。

いうまでもないですが、地位の対価が無償であることは、その地位にかかわる職責の遂行に要する正当な経費までも、請求し得ないということではありません。実際、例えば、議員歳費の性格とは、報酬であるよりも、活動経費なのではないでしょうか。もちろん、活動できるためには、生活できなければならないという意味で、歳費に生活費を含むにしても。

取締役報酬も同様です。執行機能を兼職する取締役の場合、その報酬は、基本的に執行機能から生じているのであって、取締役の機能としては、社外取締役と同様、合理的な活動経費相当以上の対価を得るべきではないはずです。

信託の受託者に就任すれば、受益者の利益を守るための様々な活動が必要になるでしょう。そのような活動に要する費用は、信託財産から徴収できます。逆にいえば、受託者としての正当な活動にかかわる正当な費用のみが信託財産から徴収できるのであって、それを超える金銭は、一銭たりとも徴収し得ない、これが忠実義務の帰結です。

つまり、忠実であることは信託受託者の当然の義務であって、単に受託者として忠実であることによっては、一銭の報酬も発生し得ないはずなのです。ただし、忠実に義務を履行するには、費用が発生する場合がある。その費用は、受託者としての報酬ではなく、あくまでも受託者の活動経費として、その正当性を証明できる限りにおいて、信託財産から徴収し得るということです。

経費の適性性

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ところが、経費の正当性というのは、なかなか判定しにくい問題です。

困難な問題は、商取引においては、常に対価のなかに利潤を内包しているということです。この利潤について、法外な利潤が経費としての適性性をもたないことは自明としても、適正な利潤なら許容されるのか、それとも、利潤をのせることは一切認められないのかは、簡単には決し得ない問題です。

特に問題となるのは、営業としての信託、つまり商事信託でしょう。商事信託において、受託者となる信託会社(日本の現状では、事実上、銀行の兼営としての信託銀行)は、事業として信託業を営むのですから、信託報酬(費用というべきだと思いますが、通常、こう呼びます)に適正な事業利潤を含むことは、当然のこととして認めざるを得ないようです。しかし、受託者において、信託報酬の総額につき、その構成要素、経費の適正性、そして利潤の適正性が証明されなければならないでしょう。

自己取引と競合行為

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専らに受益者の利益のために行動するということは、経費の適正性以前の問題として、受託者は、信託財産を利用して、自己の利益を得てはならないということです。

自己が利益を得ることのみならず、受益者以外の特定の第三者に利益を得さしめることも、忠実義務違反として、厳に禁じられるということです。信託財産を利用して、自己もしくは第三者の利益を図る場合として考えられるのは、第一に、利益相反取引です。

受託者が、信託財産の管理運用において、信託財産の売買や賃貸等を行うに際して、自己もしくは自己と関係のある第三者を取引の相手方にすることは、仮に取引条件が公正妥当なものであっても、信託財産を利用して、自己もしくは第三者の利益を図ることができる可能性、即ち、利益相反の可能性を生じさせます。

さて、強行法規として、事前に利益相反の可能性そのものを排除する、即ち、自己および自己と関係のある第三者との取引を完全に禁じるべきかどうかは、法政策の問題です。日本の信託法では、原則禁止の立場ながら、事前の定めや受益者の了解がある場合、信託の本旨に則した取引であり、かつ、公正な条件における取引であって、受益者の利益を損なわないことが明瞭な場合等にまで、禁じる必要はないという考え方にたっています。

第二に問題となるのは、競合行為です。受託者が金融機関や不動産取引業者等であれば、信託財産の運用管理においてなすのと同様な行為を、自己の勘定においてもなし得るわけで、可能性としては、同一案件に対して、自己の管理する信託財産の取引と自己の勘定による取引が競合もしくは競争的関係にたつこともあり得るわけです。

このような競合関係の場合、確かに信託財産との直接取引ではないものの、それと同様に、もしくは、それ以上に、受託者の利益と受益者の利益が衝突することが考えられます。さて、このような競合を完全に禁じるかどうかも、法政策の問題ですが、一般に、専門家だからこそ受託者に選任されていることを考えるならば、完全禁止は、かえって、受益者の利益にならないとの見解も成り立ち、日本の信託法では、受益者の利益に反しないことを条件に認められています。

李下に冠を正さず

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強行法規によって全面禁止にするというのは、硬直的にすぎて、円滑な信託財産の管理運用を阻害し、かえって受益者の利益を損なう場合もあるので、実務的に支持し難いとされてきたのです。しかし、理念としての原則禁止も外せないところですから、法律の構成としては、正当事由の存在を条件に例外を認めるという構造になっているのです。

要は、正当事由の正当性の判定にかかわるわけで、それは、取引条件の公正性に帰着するのだと思われます。その際、第一に問題になるのは、仮に公正取引であったとしても、それが商取引である以上、適正利潤を内包することですが、これは、先ほどの信託事務の執行に要する費用の正当性と同じことで、認めざるを得ないものなのでしょう。

しかし、より大きな問題は、取引条件の公正性の証明です。受託者と受益者との間には、完全な情報の対称性など、成り立ち得ません。もちろん、受託者が情報面での優位にたちます。そうしたなかで、仮に事前の取り決めや受益者の了解があったとしても、それが受益者側の真の理解に基づくものなのか、単に法律上の形式要件として了解が擬制されているだけなのかは、大いに疑問です。

むしろ、受託者に対しては、厳格な忠実義務の履行を求めるような制度設計も検討されていいのではないかとも思われるのです。なぜなら、受託者(受託者と関係のある第三者を含む)の信託財産の管理運用に関しては、自己取引および競合取引を完全に禁止しても、実は、実害を回避できるからです。

背景として、信託の受託者の業務において、事務執行の分離が進んできていることがあります。これは、議会制民主主義の議員においては、行政執行機能は、最初から分離されていて、その職責に含まれないように、株式会社の取締役においても、執行機能の分離が進んできていることと同様な流れです。

外部の専門家の積極的な利用

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要は、信託財産の運用管理においても、外部の専門家を使えばいいということなのです。

もともと、根源的な問題として、完全な忠実義務と完全な自己執行義務とは、両立し得ないという面があったのです。自己執行義務とは、信託が受託者への信頼を基礎とする制度である以上、受託者の職責は、受託者自身によって全うされなければならず、第三者に委任することはできないとする思想です。故に、完全な忠実義務に例外を設けてでも、受託者の専門的能力の発揮を優先させてきたのです。

しかし、今日の資産運用は、信託制度が当初に想定していたよりも遥かに専門性が進んでおり、信託財産の運用管理においても、専門性に優れた外部者の機能を利用することを妨げるような障害もなくなっています。専門性とは、投資判断にかかわることのほか、事務処理にかかわることも含みます。

実際、日本の現在の信託法においても、外部の専門家を積極的に使う前提で、自己執行義務の大幅な緩和がなされています。ならば、厳格な忠実義務を導入しても、実務には、何らの障害もないわけです。

信託機能の純化

外部専門家の導入によって、信託機能は、むしろ、受託者の利益保護の監視という統制機能へと純化します。

今日の複雑化した社会のなかでは、自己執行と自己統制は、簡単には両立せず、また両立し得るにしても、そのことを、外部の第三者に対して、完全に証明することは難しくなっています。故に、執行と監視の分離が求められるのです。このことは、株式会社の取締役の機能と企業統治に関する議論において、極めて明瞭です。

同様のことは、信託についてもいえるわけで、信託の事務執行と内部統制とは、完全に分離すべきだとも思われるのです。そうすることで、信託制度の社会的信頼性が上昇し、かつ、外部の優れた専門家の利用によって信託事務の品質が向上するならば、それに越したことはないでしょう。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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