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夫の突然「農家になる」宣言 熊本に移住し29年目の自然食料理家がたどり着いた境地

三星舞編集者、ライター、フードコーディネーター

熊本県阿蘇郡南阿蘇村の築70年の古民家。1994年、自然食料理家のかるべけいこさんと、夫で写真家の野中元さんは、自給自足の暮らしを目指して福岡県からここへ移り住んだ。田畑を耕し、米や野菜を栽培し、竈で米を炊き、薪で沸かした五右衛門風呂で体を癒やす。自然とともに生き、自然を食べる暮らしは29年目を迎える。今、ふたりの食卓には自家栽培の野菜をたっぷり使った料理がずらりと並ぶ。

小さな幸せを大切に積み重ねて

 薪の炎で炊き上げられるご飯の甘さ、しっかりだしを取った味噌汁の芳しさ、いい塩梅の野菜のおかず。自然食料理家のかるべけいこさんの食卓は、豊かで、どこか懐かしい。季節の野菜がたっぷりと使われていて、それらは夫で写真家の野中元さんが栽培したものだ。

台所に立つかるべけいこさん。冬の南阿蘇、土間の台所は足元から冷える
台所に立つかるべけいこさん。冬の南阿蘇、土間の台所は足元から冷える

ある日の食卓。玄米ご飯に味噌汁、車麩フライ、鉄火味噌など
ある日の食卓。玄米ご飯に味噌汁、車麩フライ、鉄火味噌など

 かるべさんは福岡県出身。福岡市内の大学に進学し、アルバイト先の外食店の経営を任されていた野中さんと出会った。自由奔放、猪突猛進な野中さんと、温厚篤実、泰然自若なかるべさん。食べるのが好きという共通点で仲良くなり、あれやこれやでふたりは結婚した。新婚半年ほどのある日、野中さんは「農家になる」と仰天宣言。予想外のできごとに、当然かるべさんは「いきなりそんな話をされても、私はついて行けません」と………言わなかった。「農薬や肥料を使わず、自分たちの食べる分を自分で作る自給自足の暮らしを目指したい」と熱く語る野中さんを見て、「おいしい毎日を過ごせそう」という理由でにこにこ同意したというから、かるべさんもタダモノではない。そこから移住先を探し、野中さんが26歳、かるべさんは24歳の時に南阿蘇村に移住した。

阿蘇五岳を背に立つ古民家がふたりの住まい
阿蘇五岳を背に立つ古民家がふたりの住まい

自宅二階の窓からの景色。秋は一面が黄金色の世界
自宅二階の窓からの景色。秋は一面が黄金色の世界

 とはいえ、農業未経験のふたり。野中さんが図書館に通い詰めて頭に叩き込んだ農業書50冊分の知識だけが頼りで、それもいざ田んぼや畑に立つとてんで役に立たなかった。米を育てようにもそもそも「籾って何?」状態。種をまいて芽が出ても野菜なのか雑草なのか見分けがつかず、鍬を握っても前後どちらに進めばよいか悩んで立ち尽くす始末。しかし、それでも悲観的にはならなかったというのがふたりらしいところ。野中さんは当時を「好きな者同士での初めての農的暮らしは、毎日が新しい体験ばかりで冒険のようでした」と振り返る。

移住当時のワンシーン。自宅前の田んぼに籾を直播きしていた
移住当時のワンシーン。自宅前の田んぼに籾を直播きしていた

 昔の農家を手本に、農薬や化学肥料を使わず、土の状態や苗の成長具合を確認しながら、必要と感じればその都度耕したり、堆肥を与えたり…。時に穴だらけになっても自然の中で生き抜いて育ってくれる野菜。その生命力に感動しながら、暮らしを楽しむ毎日。「失敗することがあっても、作物の成長や棚ボタ的収穫など喜びもある。小さな幸せを大切に積み重ねてきました」と野中さんは話す。

葉に穴があいていても、形がふぞろいでも、自然の中で懸命に生き抜く野菜は美しい
葉に穴があいていても、形がふぞろいでも、自然の中で懸命に生き抜く野菜は美しい

自分の感覚を信じて料理を作る

 現在、4反の畑で年間約30品目の野菜を、自宅前の約100坪の田んぼで米を栽培。収穫したものは販売せず台所へと運ばれ、日々の食事のほか切り干し大根や漬物などの加工品としても楽しむ。〝自然の中で生き抜いて育ってくれる〟ことへの感謝の気持ちを知っているからか、かるべさんは食材を宝物のように扱う。じゃがいもの皮やたまねぎの芯、椎茸の軸も捨てずに使う。かるべさんはその理由を「自然に育てられた野菜には太陽や大地のエネルギーがぎゅっと詰まっていて、ほんの小さな切れ端でも深い味わいがあるから」と言う。(かつて私がご相伴にあずかった時、里芋のむいた皮を素揚げにしたものが食卓に並んでいた。そのごわごわとした見た目に「一体何を食べさせられるんだ」と困惑したが、意外や意外。これが実よりも味が濃く、今思い出してもよだれが出るほど大変美味だった。)

土間の台所には竈がふたつ。火吹きを体験させてもらったがこれがなかなか難しい
土間の台所には竈がふたつ。火吹きを体験させてもらったがこれがなかなか難しい

 かるべさんの料理は、自家栽培の野菜を主役に、最小限の調味料と調理の知恵で旬の野菜の持ち味を引き出したものばかり。ドーパミンが大噴出される「おいしい!」とはちょっと違う、しみじみと「おいしい…」と言葉が漏れ出る感覚。ヘルシーなのに満足感があり、しかしお腹いっぱい食べても胃が重くならない。むしろ体が軽くなるから不思議だ。

 台所に立つ様子をそばで見ていると、五感をフルに働かせて調理をしているのが分かる。野菜の質感、包丁を入れた瞬間の手応えと立ち上がる香り…。同じ野菜や調味料でも気温や体調によって味の感じ方が変わるから、味付けや調理法はその日次第。〝今目の前にある食材〟で、計量に頼らずに自分の感覚を信じて料理を作る。

ご覧あれ、このみじん切りの美しさ! 野菜の粒が光って見える
ご覧あれ、このみじん切りの美しさ! 野菜の粒が光って見える

素材の全てを余すことなく使い、シンプルな味付けで仕上げるのがかるべ流
素材の全てを余すことなく使い、シンプルな味付けで仕上げるのがかるべ流

変わることのない暮らしの根っこ

 そんなかるべさんの料理の一番のファンは野中さんだ。移住してからはライフワークとして、南阿蘇村での暮らしやかるべさんの料理を写真に収めてきた。2003年には日常を写した私家版写真集で、若手写真家の登竜門「写真新世紀」奨励賞を受賞。写真家としての仕事が増え、百姓との二足のわらじを履く。そして2008年、かるべさんが料理を、野中さんが撮影をした共著「自然がくれた愛情ごはん」(アノニマスタジオ)を出版。分量の表示がないという当時では異例のレシピ本だったにもかかわらず、多くの読者から支持を集め、増刷を繰り返している。

「写真新世紀」奨励賞を受賞した写真集の一枚。長男の渓人くんを写した
「写真新世紀」奨励賞を受賞した写真集の一枚。長男の渓人くんを写した

旬の野菜料理80品のほか、南阿蘇での暮らしを綴ったエッセイも収録
旬の野菜料理80品のほか、南阿蘇での暮らしを綴ったエッセイも収録

 南阿蘇村の古民家を拠点に、料理と写真という共同作業で都会ともゆるやかにつながるふたりの日々。かるべさんは、自然食料理家として料理教室の講師を務めるかたわら、全国から注文が入るクッキーや農産加工品の製造で忙しい日々を過ごしている。「子育てが始まった頃から、畑はほとんど野中さん任せになってしまった」と肩をすくめるが、自然とともに生き、自然を食べる暮らしの根っこに変わりはない。

 同書には、かるべさんのこんな言葉が記されていた。

 ここでの暮らしをはじめてから、現代では鈍ってしまった五感をフルに働かせる生活が、とても大切だと気づかされました。寒い思いをして作ったあたたかい料理を、足が触れ合うほどの小さな掘り炬燵で味わうことがなによりの幸せです。 

 2023年、ふたりは南阿蘇で暮らし始めて30年目を迎える。

かるべ けいこ

1969年生まれ。自然食料理家、栄養士。料理教室の講師のほか、自宅で「食のアトリエかるべ」を主宰。夫婦の共著に「自然がくれた愛情ごはん」(アノニマスタジオ)、「かるべけいこの やさしいおやつ」(クレヨンハウス)。

野中 元(のなか・はじめ)

1968年生まれ。写真家、百姓。雑誌のほか、NHK「アリスのおいしい革命」、テレビ朝日「食ノ音色」などテレビ番組の撮影も手がける。

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 ※加工品は全て手作りのため、注文から発送まで時間がかかる場合があります。

写真提供:野中元

文:三星舞

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

編集者、ライター、フードコーディネーター

雑誌「九州の食卓」副編集長を経て、フリーのエディター・ライターに。食に関する興味が旺盛で、料理と器も好き。九州中を駆け巡って各地のおいしいもので胃袋を満たしてきた経験を生かし、フードコーディネーターとしても活動中。

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