「残業時間に上限」4月から始まる新たな制度の内容とは? 働く人の健康のプロ、産業医5人に聞きました
4月から、企業などで働く人(労働者)全てに関わる制度が改正されるのをご存知ですか?
ニュースなどで残業時間(時間外労働時間)に「上限が出来る」と聞かれた方も多いかもしれません。
制度改正の大きな狙いは、健康を害するような長時間労働を規制し、「過労死」を撲滅することです。
しかしそう聞いても、「どうせ掛け声だけ」「抜け道はないの?」という危惧も感じますよね。
4月から何が変わるのか?課題はないのか?働く人の健康管理のプロとして活動する「産業医」たちに聞きました。
産業医に聞く「4月からの制度改正」ポイントは?
お話を伺ったのは、働く人の健康を守る「産業医学」を専門とする5人の専門家チーム「産業医広報推進部」のみなさんです。
産業医といっても、何となく「健康診断表にハンコで名前が押してある人」というくらいのイメージしかない人が多いと思います。
まず、どんなお仕事をされているのか教えてください。
(平岡)産業医は、企業などで働く人の健康管理を担う仕事をしています。
一般的に、医師というと「診察室の中で白衣を着て診察する人」というイメージがあるかもしれません。
もちろん企業によっては産業医が診察を行っているケースもありますが、産業医の仕事は本来もっと別のところにあります。
例えば製造業であれば、工場に直接出向いて、事故が起きないよう安全管理が徹底しているかを点検したりすることもあります。
また、健康を害するような長時間労働が常態化していないかをチェックし、それが起きていた場合は、改善するよう指導することもあります。
今回の制度改正は「過労死の撲滅」を大きな目的としていますが、産業医はそのキーパーソンとして役割が強化されました。
4月からの制度改正で、働く人にとって何が変わるんですか?
(五十嵐)労働基準法などの法律が変わり、長時間労働を防ぐための様々な規制ができます。働く人に直接関係してくるポイントとしては、次の2点があげられます。
1)有給休暇の時季指定義務
2)時間外労働の上限規制
まず1)についてです。以前から日本では、職場への気がねなどから、海外と比べ有給休暇の取得日数が少ないことが指摘されていました。
そこでこの4月からは、企業(事業者)側が、少なくとも年に5日以上、有給休暇の取得日を指定することが義務づけられます(注1)。
これまでは働く人から「この日に休みたい」と言わなければいけなかったのですが、これからは「この日に有給をとってください」といった形で、企業側からいわば「お願いされる」ことになったわけです。
具体的な日時については、企業側と働く人が相談して都合の良い時期を選ぶことになります。
なるほど、そうなると休みを取りやすいですね。
4月からは、労務の担当者から『今年はいつ休みをとる?』と聞かれることになる、と覚えておけばよさそうですね。
(小橋)そうですね。そして、働き方に大きく関わるのが2)の「時間外労働の上限規制」です。
時間外労働、いわゆる「残業」については、これまで法律では実質的には上限の定めがありませんでした。それが4月から(中小企業では2020年4月から)は、上限を超えたら原則として労働基準法違反となります(注2)。
まず原則として、残業は月に45時間までです。
特別な事情がある場合は、労使の合意で超えることもできますが、月に100時間という上限ができました。
しかも45時間を超えられるのは年に6回まで、複数の月にわたる平均を80時間以下にするという決まりもできました。
そして年間の残業時間は720時間以内に収める、ということも決まりました。
1か月100時間、複数月の平均で80時間というのは、これまで「過労死ライン」と呼ばれてきた数字です。
この時間を超えると十分な睡眠時間が確保できず、心臓病や脳卒中など突然死のリスクが高まるとされています。
今回の改正で、「過労死ライン」を必ず下回らなければならないよ、ということが決まったわけです。
【過労死ラインの参考記事】
「過労死ライン」は月80時間?100時間?命を守る数字について知っておきたいこと
なるほど・・・。ちょっと複雑ですが、少なくとも「残業は1か月に45時間までが原則。100時間を超えたら法律違反」ということは知っておきたいですね。
(福田)そうですね、それに、「月に80時間を超えるようなことが年に何度もあったら法律違反かも」ということも知っておいていただきたいです。
制度改正で「産業医」の位置づけはどう変わった?
しかし、決まりはあってもそれを守るかどうかは企業次第、ということもありますよね。働く人は基本的に弱い立場に置かれるし、自分の残業時間を把握するのだけでも大変な気がします。
率直に言って「ちゃんと守られないのでは?」とも思ってしまいます。
(川島)そうですよね、その危惧は良くわかります。そこで活用していただきたいのが、私たち「産業医」です。今回の法改正では、産業医の役割が強化されました。
どのように変わるのでしょうか。
(平岡)産業医は面談で本人の体調や仕事の状況を聞いたうえで、結果と意見を企業に伝えます。例えば「働きすぎて身体を壊しかけているので、来月は残業を減らしてください」というようなものです。
その意見通りに対応するかは、企業側の判断になります。しかし対応しない場合、その旨と「なぜ対応しないのか」という理由を産業医に情報提供しなければなりません。
産業医がその内容を見て、働く人の健康が守られていないと判断したら、企業から業務の状況などを聞いた上で改めて「こうしてください」という勧告を出すこともあります。
従来も勧告はできたのですが、定義が明確ではなく、今回の法改正では複雑ではありますが具体的な勧告の手順が示されたことが大きな違いです。
なるほど。しかし産業医は、企業から報酬をもらっているわけですよね。
「企業に迷惑がかかってはいけない」とか「面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だ」などと考えて、企業寄りの立場をとる可能性も考えられないでしょうか。
(川島)そうですね、産業医は企業から報酬をもらっていても、独立性と中立性を保つべき存在です。
しかし、確かに最近では通称「ブラック産業医」と言って、例えばうつ病で長期に休業が続く人を、企業側の意向に従って退職に誘導するような産業医の存在が指摘されています。
そして産業医として活動している医師にも、産業医を専門としている人から、ふだんはクリニックなどで診療にあたり、兼業で活動をしている人まで様々というのが現状です。
指導や勧告が適切に行えるように、わたしたち産業医の側の意識向上や研さんも必要だと思います。
(小橋)また、特に規模の小さい企業では、医師の面接指導が形がい化してしまっているところもあります。
厚生労働省の調査では、月に100時間以上の残業を行った労働者から医師への面談の希望があったのに「実施しなかった」という事業所が全体の23%に達し、特に従業員300人未満の事業所では、その割合が高くなっています。
(平成 29 年「労働安全衛生調査(実態調査)」より)
なるほど、制度が整っても、それをどう実行性のあるものにしていくか、という点でまだまだ課題は残っているわけですね。
そんな状況の中で、働く人が自らの健康を害するような働き方から身を守るために、何がポイントとなるのでしょうか?
1)制度について知識を持つ
(五十嵐)そうですね。まず大事なのは、改正された制度について知識をもつことだと思います。そして、自分の残業時間がどのくらいなのかを改めて確認してみてください。
今回の制度改正は規模が大きいので、企業側の労務担当者が対応しきれないこともあるかもしれません。働く人自身が、自分の働き方をチェックする、という姿勢も大事だと思います。
2)産業医が誰か確かめる
(川島)まずは自分の属する組織の産業医は誰なのか確認してみてはいかがでしょうか。方法としては、社内のイントラネットや掲示板で検索する、産業医面談を受けたという同僚に話を聞いてみる、または直接労務担当者に聞いてみるのもひとつかと思います。
法律では従業員が50人以上の事業場すべてに産業医を置くことが義務付けられているので対象職場では選任はされているはずですが、決まっていなかったり、名前だけの存在になっているところも実際には存在しています。
もし「産業医が誰か」がわかったなら、いつ来るのか、相談するにはどうすれば良いかなども確認してみてください。
(五十嵐)従業員が50人以上の事業場では、企業側と労働者、そして産業医による「衛生委員会」の設置が義務付けられています。
そうした場を使って、例えば産業医を交えて働き方や長時間労働にについて話し合う場を開けないか、労務担当者に提案してみるのはいかがでしょうか?
私たち産業医も、健康管理を担当するみなさんの率直なご意見を聞きたいですし、私たちの顔や名前を憶えていただければ、相談もしやすくなると思います。
3)面談では率直に体調などを伝える
(福田)実際に、月の残業時間が80時間をオーバーして、医師の面談を受けることになったら、正直に仕事の忙しさとご自身の体調を医師にお伝えください。
産業医には守秘義務があり、安全面で緊急に対処しなければならないケースなどを除いて、勝手に企業側に情報を伝えるようなことはありません。
体調不良の原因が、仕事の忙しさによる慢性的な睡眠不足が原因のこともあれば、商品のクレーム対応のような、精神的にストレスのかかりやすい業務が原因になっているのかもしれません。
実は血圧がすごく高くなっていて脳卒中などを引き起こしそうになっていることもあります。
ご自身の健康を守るためにも、医師の面談では仕事の情報、体調をご遠慮なくお話しください。
そうして頂くことで、心身の不調を早めに解決できるように、産業医から企業側にアプローチしていくことが可能になります。
【注】
注1 有給休暇を年に10日以上付与されている人
注2 建設業や医師など、一部の職種では上限規制の適用が5年間猶予とされていたり、上限規制の適用が除外とされている場合もあります
注3 高度プロフェッショナル制度対象者などは、残業が100時間を超えた場合は希望の有無にかかわらず産業医の面談が行われます
【取材協力】
産業医広報推進部
働く人の健康を守るための学問である産業医学を専門とする5人の専門家チーム。
いずれも2010年産業医科大学卒、産業衛生専門医・労働衛生コンサルタントをもち、それぞれが大手企業での専属産業医経験や、10社以上の嘱託産業医経験も持ち、産業医学の研究活動や学会活動、マニュアル作り、後進育成、メディアへの情報発信などにも積極的に関わっている。昨今の産業医の社会的認知や存在価値が高まる一方で、まだまだ多くの働く人たちの健康が十分に守られているとは言えない現状に対し課題意識を持っている。
・平岡美佳(左) 大手製造業産業医。メンタルヘルス対策や海外で働く人の健康管理などに関する実務や施策づくりのほか、健康情報の発信にも力を入れている。
・小橋正樹(中左)大手建設業で統括産業医の他、IT、保険、製造、イベント業など約10社の嘱託産業医を兼務し、産業保健領域の体制づくりに貢献している。
・川島恵美(中央) 大手化学メーカーや行政機関等の産業医。ライフステージに応じた働く女性の健康支援や産業医の育成に興味を持ち取り組んでいる。
・五十嵐侑(中右)大手精密機械製造業の産業医。災害復旧時の働く人の健康を守る研究をライフワークとしている。
・福田康孝(右・仮名)外資系製造業産業医。製造現場の安全衛生管理体制へのアドバイス、国際産業保健の実務を行いつつ、病気休業に関する研究活動を行っている。