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なぜ、エリート銀行マンは〝教育〟を選んだのか

前屋毅フリージャーナリスト
(提供:イメージマート)

 正直に言うと、元銀行マンと聞いて、「教育は儲かるという目論見があったのか」とか「銀行マン時代のスキルを活かした事業で儲けた余剰金で教育をやっているのか」と、おもった。しかし、それは「ゲスの勘ぐり」でしかないことを痛感させられてしまうことになる。その元銀行マンの堺谷武志さんは、すでに2度にわたって紹介した「本質的な学び」を実践するヒロック初等部のファウンダー(創設者)である。

https://news.yahoo.co.jp/byline/maeyatsuyoshi/20230327-00342919

https://news.yahoo.co.jp/byline/maeyatsuyoshi/20230413-00345349

■バブル崩壊でも、景気は戻るとおもった

 京都大学工学部を卒業した堺谷さんが就職したのは、大手都銀の三和銀行(現・三菱UFJ銀行)だった。1990年4月のことである。

 1990年と聞いて、「?」マークが筆者の頭の中で飛び交った。1990年の年明けは株価暴落で始まった。前年1989年12月29日の日経平均株価は3万8915円と史上最高値をつけたが、年明け早々から下落に転じ、3月30日の終値は2万9980円、9月末には2万983円と、わずか9ヶ月で1万8000円も値を下げた。それまで日本中が浮かれたバブル景気の崩壊である。銀行界でも相次いで不祥事が発覚し、大量の不良債権問題が浮上してくる。「そんなときに、わざわざ銀行を選ばなくても」とおもったのだ。

 その疑問に堺谷さんは、「大学を卒業したばかりで、バブルが崩壊したという実感がなかった。崩壊しても、また景気は戻るだろうという感覚もありました」と苦笑した。楽観的だったといえる。しかし現実は楽観どころか、銀行をとりまく環境は悪化していくばかりだった。

「9割くらいまでの行員が、不良債権処理など後ろ向きの仕事で走りまわっていました」と、堺谷さんは振り返る。その後ろ向きの仕事に、彼も忙殺される可能性は高かった。

 しかし堺谷さんが忙殺されるのは、前向きな仕事といえる海外部門だった。バブルがはじけた国内だけに固執するわけにはいかず、三和銀行もアジア戦略を強めていく。シンガポールやフィリピン、インドネシア、タイと多くの海外赴任も経験し、企業買収の大役もこなした。さらに1994年から1996にかけて銀行から派遣されて南カリフォルニア大学院に留学してMBA(経営学修士)も取得する。「9割の行員が後ろ向きの仕事に取り組んでくれていたからこそ、前向きの仕事をさせてもらうことができました」と、堺谷さん。

 そうこうしているうちに、堺谷さんの銀行マン生活は16年にもおよんでいた。その彼が、2006年に銀行を退職する。2001年に三和銀行は東海銀行と東洋信託銀行と合併してUFJ銀行となり、2006年1月には東京三菱銀行と合併して三菱東京UFJ銀行(2018年に三菱UFJ銀行に名称変更)となる。

 銀行の合併がきっかけになったが、堺谷さんが銀行員に固執していなかったことも大きな理由のようだ。「いつかは起業したいとおもいつづけてもいました。それでも16年間も銀行にいたのは、仕事がおもしろかったからです」と、堺谷さん。

■大人が勝手に決めるなよ

 銀行を辞めた彼が足を踏み入れたのが教育の世界だった。「金融関係とかコンサルティングとかの仕事も考えたんですけどね」といって、堺谷さんは笑った。そちらのほうが経験を活かせるし、なによりずっと儲かったはずである。

「銀行でも、国際畑で働く人材を養成する部署にいたこともありましたが、〝うさんくさい〟とおもっていました。銀行だけでなく企業は人材を育てたがりますけど、やはり〝うさんくさい〟。それは、日本の教育全般にも言えることです。なぜ〝うさんくさい〟かといえば、本人の意思を無視して、教育する側の理屈を押しつけてくるからです」

 銀行や企業における教育の目的は、自社の業績増や成長に資することである。それ以外に目的はない。個人の成長など、問題外と言える。

 学校での教育も、子ども本人の意思は無視されて、「勉強ができて行儀がいい子を育てる」という〝大人の都合〟で支配されている。年齢だけで横並びにされて、均一な学びを求められ、しかも競争を強いられる。

「子どもの成長を登山に例えるなら、山の周辺をフラフラと歩きまわっているときもあれば、いきなり登りはじめるときもある。せっかく登ったのに、下りてくることだってあります。それも、登り口もルートもみんなが同じではなく、ひとりひとりが違っているはずです。ところが学校では、フラフラは許されません。あらかじめ用意された同じ登山口から、同じルートを、同じペースで登ることが強いられます」

 子どもたちにとって、それは窮屈きわまりない。不登校も、そうした窮屈さに耐えられなくなった子どもたちの〝悲鳴〟である。

「グローバルに活躍できる人材を育てますとか親と学校で勝手に目標を決めて、子どもたちの意思は無視され、黙って従うことを強制される。大人が勝手に決めるなよ、と私はおもう。私が子どもだったら、そんなのは嫌ですね」と、堺谷さん。

■英語は子どもたちの道具でしかない 

 堺谷さんは、フラフラが許される教育をやりたかった。子どもたちの意思が尊重される教育をやりたかったのだ。「自然と友だちと時間があれば、子どもたちはクリエイティブに動きだします」という堺谷さんは、幼児教育の場である「キッズアイランド」を目黒区で始めた。

 しかし、集まってくる子どもたちが減って、キッズアイランドは閉じることになる。大きな原因は、幼保無償化だった。幼保無償化は、2019年10月1日から始まった、幼稚園・保育所・認可保育所・認定こども園の利用料が無償になる国の制度である。

 キッズアイランドは、無償化対象の施設ではなかった。キッズアイランドにかようのは有償となるわけだ。キッズアイランドの趣旨には賛同しても、「カネを払うか、タダか」となると、やはり「タダ」に惹かれてしまう保護者は多い。そして、キッズアイランドの経営を続けていくことは難しくなった。

 それでも、堺谷さんは教育をあきらめなかった。2020年4月には、世田谷区の駒沢公園の近くに、全日制の「キンダー・スクール(幼児園)」と20ヶ月児から幼稚園入園前の子どもたちを対象とする「プリ・スクール」を有する「ヒロック・バイリンガル・スクール」を開校した。ここには、プリ・スクールを卒業して他の幼稚園や保育園にかよう子を対象にした「アフター・スクール」もある。ここにキッズアイランドも統合した。そして、無償化対象の施設としての条件も整えた。

「バイリンガル」とあるように、ここでは英語にも力がいれられている。それは、キッズアイランドでも同じだった。インターナショナルスクールが人気だったり、昨今では学校で英語熱が高まるなかで、英語教育を園児募集の目玉に使う園も少なくない。しかし堺谷さんの場合、英語は園児募集の付け焼き刃的な手段ではない。

「基本は日本という文化のなかで育っていくことにあります。そのうえで、英語で世界を広げられればいい、という考えで英語をやっています。日本の『侘び・寂び』を英語で説明できれば、世界は広がるじゃないですか。インターナショナルスクールへの進学とか、まったく考えていません」と、堺谷さんは断言する。

 英語は子どもたちの可能性を広げるための、ひとつの道具でしかない。それによって、子どもたちを競わせ、選別する類のものではない。

■ニーズに振りまわされない教育

 このヒロック・バイリンガル・スクールの次の段階として、2022年4月に開校したのがヒロック初等部である。そこに、ビジネス的勝算があったわけではない。

「最悪、生徒はキンダー・スクールからの3人だけではないかと覚悟していました。良い学校への進学、良い就職という保護者の一般的なニーズに応える学校にすれば、経営的に楽になるのはわかっていました。ただ、そういう学校にはしたくなかった」

 実際には、ヒロック初等部は3人ではなく、20人の生徒数でスタートしている。応募者は、その倍もあったという。いまの学校に疑問をもっている子どもや保護者が、それだけ多いということだ。

「新しいスクールだから、自分の子どもにスクールが合わせて自由にやらせてくれると期待されて来られた保護者もいらっしゃいました。それには『うちの方針とは違う』と、はっきり説明してあきらめていただきました。子ども自身が自分で考えながら自ら学ぶ環境をつくるという私たちの方針を曲げる気はありません。保護者のニーズに合わせれば、商売的にはいいのかもしれませんけどね(笑)。ニーズからはいったら、ニーズに振りまわされることになります。それは、できない」

 ヒロック初等部は2年目の今年度には、新たに生徒6人が加わっている。ヒロック初等部は、東京都内にありながら広い敷地をもつ砧公園の近くにある。駒沢公園を活動の場としているヒロック・バイリンガル・スクールと同じく、「自然と友だちと時間があれば、子どもたちはクリエイティブに動きだす」という堺谷さんの基本理念が実践されている。学び方も、子どもたちが自分で選び、自分のペースですすめていく「自由進度学習」を柱にしている。

「生徒数は増えていますが、それでも経営的には楽ではありません」と、堺谷さんは笑った。それでも、ニーズに振りまわされる気はさらさらないようだ。

 そのヒロック初等部の理念に共感し、ヒロック初等部に入学するという行動をとる子どもと保護者が増えている。決められた登山口から同じルートを登らせる教育が問われていることは、この事実からも明白である。これを、日本の教育が無視していいはずはない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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