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大人も楽しいから子どもも楽しい 「不登校」が突きつける学校が忘れている「教育のカタチ」

前屋毅フリージャーナリスト
トーキョーコーヒーは「明るい場所」だ    写真提供:トーキョーコーヒー太宰府

 正直に言えば、「登校拒否の子どもをもつ保護者が集まる場」と聞いて、暗いイメージをもっていた。しかし、いまの学校に欠けていて、学校が目指すべき「教育のカタチ」が、そこにあった。

| 「暗い雰囲気の場所」は先入観でしかなかった

 我が子が登校拒否になって困惑する保護者は少なくない。というか、大半の保護者は悩み、「自分の育て方がまちがってたのか」と自分を責めたりもするようだ。

 そんな保護者が集まる場所となると、悩みを打ち明け合い、不登校にどう向き合うのかを話し合うことを目的としているとおもいがちである。実際、そういう活動をしているグループもある。その活動を否定はしないが、「辛い気分になりそうだな」ともおもってしまう。

「トーキョーコーヒー」も、そうい場ではないかという先入観をもっていた。クリエイティブを通して自分らしさ追求できる子どもたちを支援する「アトリエe.f.t.」が呼びかけ、2022年8月から始まって全国にひろがっているプロジェクトが「トーキョーコーヒー」である。それぞれの地域での活動は、地域のグループが独自に展開している。実際に活動しているグループのひとつに話を聞いてみたら、先入観が吹き飛んだ。

「トーキョーコーヒー太宰府」は、福岡県太宰府市で活動している。話を聞いたのは主催者のひとりである南麻澄さんで、2児の母親であり、長女は小学校1年生で、6月から学校へ行かなくなっている。

「入学前から近所の学校に行っていないお姉ちゃんたちと遊んでいたこともあったのか、どうしても学校に行かなければならないとはおもっていなかったようです。新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)でマスクを強制するだけで、人の表情がわからに環境で生活するなどの弊害も考えようとしない学校の姿勢に私は疑問をもっていたので、無理して子どもを行かせる必要はない、と考えていました」

 もちろん、子どもは理由もなく学校に行かなくなったわけではなかった。その理由を、最近になって長女が口にするという。

「あの子にこんなイヤなことをいわれたとか、給食を食べるのが遅い子を叱る先生がイヤだったとか、いろいろ話してくれるようになりました」

 学校に行きたくない理由は複雑だ。それは簡単に説明できるものでもない。子どもが説明できないのだから、理由がわからない保護者は、なおのこと混乱するのかもしれない。

| 押しつけられる場所を子どもは求めていない

「まわりにも学校に行っていない子たちがいて、その保護者と、『学校ではない居場所をつくろうか』という話はしていました。そこにトーキョーコーヒーの研修があるというので、行ってみました」

 学校に居場所がなくても、居場所を子どもは求めている。それは、保護者も同じことである。

「そこで学んだのは、『あなたたちのためにつくったよ』なんて場所を、子どもたちは求めていないということでした。そうではなくて、『保護者がいちばん楽しめる場所』をつくったほうがいい」

 大人が押しつける場所は、大人都合の場所になってしまいがちである。それでは、学校と同じことだ。子どもたちが求めているものではない。

「不登校の保護者だけが集まる場所にしてしまうと、閉鎖的で、不登校のグチのこぼしあいみたいになりかねません。グチをいうのも構いませんけど、それだけだと暗い場になって、結局は足が遠のいてしまいます。トーキョーコーヒーは、不登校の保護者でなくても集まれるし、子どものいない大人が集まってきてもいいんです。なにより、楽しめる場所です」

 自分の子が学校に行っていないために、学校を中心としたコミュニティにはいっていきにくくなっている保護者も多い。保護者が孤立することになり、気持ちを暗くさせ、なおさら我が子の不登校に悩むことにもなる。自分が楽しもうという気持ちは、ついつい忘れてしまいがちになる。そうしたものを、まずは吹き飛ばしてしまおうというのがトーキョーコーヒーの趣旨のようにおもえる。

 大人が楽しむ場だからといって、子どもたちが来てはいけないというわけはない。また、絶対に来なければいけないわけでもない。

「最初は、保護者が楽しんでいるところで、子どもは時間潰しをしているという感覚です。だから、1人でゲームをやっていても、まったく問題ありません」

 主体は子どもにある。算数の時間だから算数を学ばなければならない、ではないのだ。子どもは、「従う存在」ではない。

「でも、保護者が楽しんでいると、子どもたちも自然に参加してくるんです。楽しそうだったら、参加してみようとおもいますよね」

 そこから子ども同士の、そして親子のコミュニケーションが生まれる。学びも始まっていく。大事なことは、子どもたちが「参加してみたい」とおもうことである。それには、保護者が、大人が楽しむことが大事なのだ。

| 学校は子どもが「行きたい場所」になっているのか

 学校は、「参加したい」という場になっているのだろうか。教員は、学ぶことを自らも楽しみ、それを子どもたちに伝えられているのだろうか。大人も楽しくないことを、ただ子どもに押しつけているだけなら、参加を拒否する子どもがいても当然である。そういう子どもたちに登校拒否というレッテルを貼って、「失格者」のような扱いをしている。そちらのほうが、おかしくないだろうか。

 子どもたちが「参加したい」とおもわないことを押しつけるのが学校の役割になっているとすれば、それは問題でしかない。子どもを無視した存在でしかない。

 保護者が楽しみ、その楽しさを伝えることで子どもたちの成長を支援しているトーキョーコーヒーの試みに、現在の学校が問われている問題の深さを感じないではいられない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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