教員の残業(超過勤務)に残業代が支払われていないのは違法だとして、埼玉県内の市立小学校教員・田中まさおさん(仮名、62)が埼玉県に約242万円の未払い賃金の支払いを求めて起こしたのが、いわゆる「埼玉教員超勤訴訟」である。この訴訟でさいたま地方裁判所(地裁)は10月1日、原告側の請求を棄却した。この訴訟を原告側事務局として支えていたのが、大学生たちだった。教員とは立場が違うはずの学生が、なぜ教員支援に乗り出したのか。

■理不尽でしかない判決

「棄却という主文を傍聴席で聞いて、『なんて理不尽な』という思いだけが頭に浮かび、何も考えられないでボーッとしてしまった状態でした」と言うのは、東京大学大学院教育学研究科で学ぶ佐野良介さん。さらに続ける。

「しばらくして我に返ったときには怒りがこみあげてきました。それでも判決のなかから次につながるものを探さなければと思い、がんばって読み上げられる判決文に集中しました」

 佐野さんをはじめとして学生が「田中まさお支援事務局」(以下、支援事務局)を発足させたのは、昨年(2020年)10月のことだった。呼びかけたのは、東京学芸大学の学生で現在は休学中の石原悠太さん。

「あるイベントで田中先生の訴訟を知って、第2回目の公判から傍聴しています。傍聴してみて『すごい裁判だな』と思ったんですが、そのわりには世の中の関心が低すぎるとも感じました。もっと多くの人たちに関心をもってもらえるように自分たちができることがあるのではないか、と考えたのがきっかけでした」

 教員を目指す仲間も多い石原さんにとって、田中さんが「おかしい」と訴える教員の働き方は他人事でもないのだ。自分や仲間たちが強いられることになりかねない労働環境でもある。そして、石原さんは3人の学生に声をかけ、4人で支援事務局を起ち上げる。もっと多くの学生を集めることも可能だったのでは、という疑問もわく。それを質問すると、石原さんからは「あくまで私たちは支援する側なので、田中先生の思いを無視するようなことになってはいけないと考え、私がかなり信用している人だけに声をかけたので少人数になりました」との答が戻ってきた。

■問題なのに知られていなかった給特法

 SNSでの投稿をはじめ、クラウドファンディング、ネット上での署名運動などなど、学生ならではの感性が目立つ活動を支援事務局として展開していく。それによって、世の中の関心を高めたいという石原さんの思いは実現されてきているのだろうか。

「今回の裁判でも焦点になっている給特法について、以前、学芸大でアンケートをとったことがありましたが、75%の学生が給特法を知りませんでした。いまは、内容まで詳しくは知らなくても、ほとんどの学生が給特法の名前くらいは知っている状況になってきています。急激に認知度は高まってきていると感じています。田中先生による訴訟の影響が大きいのですが、私たちのやったクラウドファンディングなどがメディアに取り上げられたことも影響していると思っています。クラウドファンディングは裁判費用を集める目的もありますが、それ以上に、関心をもってもらう手段としてやったことだったので、効果はあったと思っています」と、石原さん。

 給特法は正式名称を「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」といい、1971年5月に公布、翌年の72年1月に施行されている。基本給の4%にあたる「教職調整額」が一律に支給される代わりに残業代が支払われない、という法律である。

 4%の根拠は1966年度に行われた全国的な教員の勤務状況調査で、このときの教員の平均残業時間が「8時間」だったことによる。8時間の残業代に相当するのが基本給の4%、というわけである。

 しかし2016年度に行われた勤務実態調査では、厚労省が過労死ラインとしている月80時間の残業時間を超えて残業している教員が小学校で6割近く、中学校では7割を超えている。残業時間が10倍にもなっているにもかかわらず、支払われる残業代は4%の教職調整額だけだ。「月の残業時間が200時間だった、と教員をしている先輩から聞きました」と佐野さんも言う。それでも相当の残業代は支払われず、教職調整額だけなのだ。

 さらに給特法では、「超勤4項目」と呼ばれる①生徒の実習②学校行事③職員会議④災害などの緊急事態を除いては、管理職は「原則として時間外勤務を命じない」ことになっている。そのため超勤4項目以外の残業は「教員が自主的にやっている」とみなされ、「自主的にやっているのだから止めさせることはできない」という都合のいい理屈の根拠にされてしまっている。そんな勝手な理屈とはほど遠く、やらざるを得ない状況に追い込まれてやむなくやっているのが教員の残業の実態でしかない。

 定額の教職調整額だけで教員が自主的にやっている、というのが給特法から導きだされる教員の残業である。働かせる側からすればこんなに都合のいい制度はなく、残業代の支払いが増える心配はないので、どんどん仕事は増やしていく。それも「命じない」のが建前だから、自主的にやるようにプレッシャーをかけて追い詰めていくことになり、陰湿このうえない。

 こうして教員の残業は、「定額働かせ放題」になってしまっている。おかしな働き方でしかない。その根拠になっているのが、給特法なのだ。

■裁判所も認めた「おかしな教員の労働環境」

 田中まさおさんが起こした埼玉教員超勤訴訟は、このおかしな働き方の改善につなげることを目標にしている。その訴えを、さいたま地裁は棄却した。

「教員になったけれども残業時間が多すぎて体調を崩し、休職している友人が何人もいます。そうした友人のことを考えると現状の働き方は一刻も早く変えなければならないし、それを考えると棄却の判決はショックでした」と、石原さんは言う。さらに続ける。

「もっと辛かったのは、この判決のあとのSNSで『教員を辞めたくなりました』などネガティブな内容の書き込みがあったことでした」

 休職に追い込まれるような働き方を強要されているにもかかわらず、現場の教員たちが表立って異議を唱えることは意外なくらい少ない。不満がないからではなく、声を上げられない環境になってしまっていることが大きい。さらには、あきらめてしまっている教員が多いためでもある。その「あきらめ」が拡大することは、この訴訟を支援している石原さんたちの思いと逆行することでしかない。

「今回の判決は棄却でしたが、まだ裁判は続きます。そして、今回の判決にも前進につながるような画期的な内容も含まれています」と、石原さんは言う。

 そのひとつが、判決文の最後に「付言」として盛り込まれた部分である。そこには、次のように書かれている。

「現在のわが国における教育現場の実情としては、多くの教員職員が、学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり、給料月額4パーセントの割合による教職調整額の支給を定めた給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるを得ず、原告が本件訴訟を通じて、この問題を社会に提議したことは意義があるものと考える」

 原告の訴えを棄却した裁判所も、現在の「定額働かせ放題」は「おかしい」という考えを示したのだ。石原さんたち学生が「おかしい」と思ったのと同じことを、裁判所も感じたということになる。

 にもかかわらず、当事者である教員が「あきらめ」ていていいのだろうか。保護者も「他人事」のように知らぬ顔でいていいのだろうか。「あきらめ」や「他人事」では、何も変わらない。そこから脱して、一歩を踏みだした学生たちがいる。教員も保護者も、そして世の中の人ぜんぶが、一歩を踏みだすときかもしれない。