分散登校で分かった、再開後の学校に待ち構える深刻な問題

(写真:アフロ)

◯安定していた子どもたち

「予想に反して、分散登校のときの学校では、子どもたちが安定して過ごしていると実感していました」

 といったのは、ある公立小学校の特別支援学級を担任している教員だった。

 6月1日に全国的に学校が再開される以前から、登校する子どもたちの数を制限しての分散登校を行っていた学校は少なくない。先の教員の学校も、そのひとつである。

 新型コロナウイルス(新型コロナ)の感染予防対策が厳しく行われ、クラス全員が顔をあわせることもできない分散登校では、子どもたちの不安を煽ることになるのではないかとの懸念もあった。しかし実際には、逆だったことになる。教員は続ける。

「私が担任するクラスの生徒は高学年で、大半がIQ(知能指数)的には問題がなくて学力の遅れも小さいのですが、通常学級の生活に馴染めないという理由から特別支援学級にはいってきています。そういう子たちが特別支援学級にはいったからといって、必ずしも安定するわけでもありません。しかし、なぜか分散登校のときには、とても安定した精神状態のように見えました」

 不思議におもった彼は、子どもたちに訊ねたそうだ。すると、「休み時間に行事の準備をしたり、いろんなことをやらされることがないので嬉しい」という返事が戻ってきたという。

 学校の休み時間は「休み」という言葉はついてはいるけれど、「休み」の要素が実は少ない。授業のあいだの休み時間は次の授業の準備に追われ、昼休みには委員会活動があったり、運動会をはじめとする行事の準備・練習に充てられていることが多い。とにかく、忙しいのだ。休まる時間ではない。

 しかし分散登校のときには、「追われる感覚」が少なかったようだ。学習内容を時間内にきっちり終えることも要求されていなかったし、行事の予定もなかったので準備や練習をする必要もなかった。休み時間らしい休み時間を過ごすことができた。

 教員も同じで、学習の進捗状況に神経質になる必要もなかったし、行事の指導に追われることもなかった。だから、休み時間もふくめて子どもたちと正面から向き合うことができた。登校している子どもの数が普段の半分程度なのだから、目も届きやすい。

「普段は忙しくておろそかになりがちですが、分散登校のときは、わたしたち教員もゆっくり子どもたちと向き合うことができた気がします」と、その教員もいった。

 普段とは違い、分散登校の学校では、子どもたちにも教員にも「余裕」ができたといえそうだ。それが、子どもたちの気持ちの安定につながったといえる。

◯保健室に来る子もほとんどいなかった

 特別支援学級の子どもたちだから、というわけでもなさそうだ。ある小学校の養護教員は、「普段なら5月は、保健室への来室人数が多いのに、分散登校の今年は、ほとんどいませんでした」といった。肉体的な問題はたぶんに精神的なことが原因になっていることが多い。5月に保健室への来室者が多いのも、入学・新学期で子どもたちの不安が大きくなっていることと無関係ではないはずだ。

 その来室人数が、分散登校の今年は少なかった。特別支援学級の子どもたちも、いろいろなことで追いまくられる通常の学校生活とは違う、「余裕」のある生活を送ることができたはずだ。教員とも、普段よりゆったりと接することができたはずだ。普通学級の子どもたちも、分散登校時には安定した気持ちでいられたのかもしれない。だから、保健室に行く必要がなかった。

 6月1日に再開した学校は、当初は分散登校などの処置がとられるものの、半ば頃には全員がそろって登校して授業を受ける日常に戻ることになっている。余裕のない、忙しい日常が戻ってくるのだ。

 しかも、休校中の学習の遅れを取り戻すという課題を抱えている。そのため、日常よりもさらに忙しい日々になることはまちがいない。分散登校のときにあった「余裕」など、たちまち吹き飛んでしまうだろう。

 そうなったとき、子どもたちの「心の安定」は失われてしまう。再開後の学校には、かなり深刻な問題が待ち構えている気がする。