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大事なのは「失われた子どもたちの時間」を取り戻すことで、9月入学を目的化することではないはず

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:アフロ)

「9月入学・新学期」について、「文部科学省が、入学時期だけを9月に移す案など3案についてシミュレーションしていることが判明した」と『毎日新聞』(5月19日付 電子版)が伝えている。ただし、「今年9月の導入は準備までの時間がないことから見送る」(同記事)そうだ。

 どこから「9月入学・新学期」論議が始まったのか、もういちど冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。そもそも「9月入学・新学期」の声があがってきたのは、一部の高校生や教員からだった。

 大阪市に住む有志の高校生が署名サイトでの署名活動を始めたのは4月19日で、署名者は5月1日時点で2万人を超えた。自治体へ意見書をだすなど教員からの動きがあったのも、同じ時期である。

 その趣旨は、新型コロナウイルス(新型コロナ)の感染が拡大するなかで学校の休校が続き、授業に遅れがでていることへの対策だった。4月からの正常な授業ができないなかで、9月に入学・新学期をずらすことで軌道修正できないか、というものだったのだ。新型コロナで「失われた子どもたちの時間」をいかに取り戻すかが、始まりである。9月入学・新学期は目的ではなく、手段のひとつでしかなかったはずだ。

 ところが、その原点は無視されてしまい、グローバルスタンダードに強引に論点が移されてしまっている。文科省が今年の導入は「見送る」として、来年以降の導入シミュレーションを検討しているのは、その典型でしかない。

 4月29日の衆院予算委員会における「前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」という安倍晋三首相の発言にしても、新型コロナによって「失われた子どもたちの時間」を取り戻すという視点が欠けていた。以前から唱えている「グローバルスタンダードに合わせるための9月入学」という視点が安倍首相には強かったようだ。

 9月入学・新学期に反対する意見でも、「グローバルスタンダードにする意味はない」というものが多かった。安倍首相への対抗だったのだろうが、結果的に「グローバルスタンダード」の土俵にあがってしまったことになる。

 そして文科省は、「失われた子どもたちの時間」を取り戻すための手段のひとつである9月入学・新学期を見送り、グローバルスタンダードが目的のシミュレーションを行っているというわけだ。「失われた子どもたちの時間」が無視されてしまっている。

 言うまでもなく、重要なのは「失われた子どもたちの時間」を取り戻すことである。そこからズレての文科省のシミュレーションに意味があるとはおもえない。いちばん大事なところに視点を戻すことが必要ではないだろうか。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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