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「勉強はおもしろい」と言えるモンテッソーリの子

前屋毅フリージャーナリスト
日本の子どもたちが「勉強はおもしろい」と言える仕事を目指す中野さん(撮影・筆者)

モンテッソーリ教育の小学校を自ら選ぶ

 中野かりん(19歳)さんは今年8月、留学のためアメリカへと旅立っていった。彼女は、マリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールの卒業生である。

 モンテッソーリ教育は日本でも有名な存在であり、多くの保育園や幼稚園が実践を掲げている。ところがモンテッソーリ教育を掲げる小学校となると、ほとんど見あたらないのが現実だ。小学生課程でモンテッソーリ教育が通用しないからではなく、文部科学省(文科省)の方針とは違うからにほかならない。

 とはいえ日本でも、小学生課程でモンテッソーリ教育を実践している学校は2校だけある。ひとつはインターナショナルスクールであり、日本人が経営する学校となるとマリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールが、ただ一つの存在である。それも文科省が認可した学校ではないので、正確にはフリースクールである。

日本でひとつのモンテッソーリ教育小学課程、83歳の情熱

 そのマリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールに中野さんが入学したのは、小学校5年生のときだった。その経緯を、彼女は次のように説明した。

「父親の仕事の関係で、5歳から小学校4年生までシンガポールで暮らしていました。そこではインターナショナルスクールに通っていましたが、日本のインターナショナルスクールは経済的に無理。幼稚園がモンテッソーリ教育だったので、モンテッソーリ教育の小学校を探したら、ここだけでした」

 シンガポールに行く前は千葉県に住んでいたが、中野さんがマリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールへの入学を希望したために、両親は帰国後の住まいを学校のある横浜に決めた。

自分のやるべきことに取り組み、それを支援される環境

 日本に帰った彼女の前に立ちはだかったのが、日本語の壁だった。シンガポールではインターナショナルスクールに通っていたので、英語が日常語になっていたからだ。当時の担任だった久保田穂波教諭が振り返る。

「当時の第1期生が5年生で4人いて、そこに彼女がはいってきました。他の子たちは5年生相応の漢字の読み書きはできます。しかし彼女は、どうにか3年生か4年生レベルの漢字は読めても、書くのは2年生レベルがやっとの状態でした」

 そこで、漢字の書き取りに重点を置くことになった。卓上型の小さな黒板に、練習帳を見ながら書いては消し、書いては消しを繰り返す。もちろん、同学年の子たちとは違うことをやるのだ。

「自分も5年生なのに、自分だけが2年生や3年生用の練習帳をやるわけです。すごく悔しい、という気持ちはありましたね」

 それでも、彼女は黙々と取り組んだ。一般の学校ならば特殊扱いされがちで、そういう子は孤立感を深めることになる。しかしモンテッソーリ教育では、「教育は個々の違いにあわせて行われ、個々に援助していく」ことが基本とされている。

 そういう教育をうけている子たちは、中野さんが2、3年生の漢字練習に取り組んでいても、それを特殊扱いせず、冷やかしたりすることはない。もちろん、いじめの対象にすることもなかった。かといって、無関心なわけではない。

「国語の授業で順番に音読していくとき、私の番になると先に進まないんですよね。読めない漢字が多いから。そうすると、まわりの4人が助けてくれるんです」

 と、中野さん。「個々の良いところを認める」ことを大事にするモンテッソーリ教育で育ってきた子たちは、他者を尊重し、支援し合うことを知っているのだ。画一的な価値観に縛られ、競争をあおられる従来の教育では育まれにくいものを、モンテッソーリ教育をうけている子たちはもっているようだ。彼女が続ける。

「卒業してからも同期の子たちとは会っていますが、『こんな活動してる』とか『こんなことに興味ある』とか熱心に話すんですね。聞いている側も、『すごいね』とか『なるほど』とか熱心に耳を傾けます。同年代の子たちに同じ話をしても、最初から聞く気がなくて、『へーっ、真面目なんだね』の冷たい一言で片付けられてしまいがちなんですけどね」

勉強をおもしろくない、という周囲に驚き

 マリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールを卒業した中野さんは、難関校である中高一貫校の東京学芸大学付属国際中等教育学校に進学する。漢字はもちろん、帰国当初は九九も暗記できていなかった彼女だったが、卒業するまでに、それだけの学力を自分のものにできていたのだ。付け足せば、彼女の同級生をはじめマリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールの卒業生たちは、誰もが「一流校」と呼ばれる学校へと進学している。

 中学にはいった中野さんは、小学校でモンテッソーリ教育をうけていない子たちとも交わることになった。そうした子たちと、モンテッソーリ教育で育った自分との違いを、どう感じていたのか。中野さんに訊いてみた。

「学芸大付属にも、いろんな人が集まっていました。だから、ひっくるめて話すのはむずかしいんです。ただ、勉強がおもしろいとおもっているか、おもっていないかの違いは強く感じました」

 さらに、彼女は続ける。

「学芸大付属の勉強は、課題もすごく多くてたいへんなんです。だから、『やらない』って、パッと切っちゃう子も多い。でも私は、マリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールで、苦労もしたけど、勉強していて『分かるおもしろさ』を経験してきていました。だから、たいへんだけど、後にはきっと面白みがでてくる、と考えることができました。勉強のおもしろさを知っていたから、たいへんでも諦めようとはおもいませんでした。勉強がおもしろい、とおもえるのはモンテッソーリ教育だったからだとおもいます」

 そして大学にすすむときになり、彼女はアメリカへの留学を決断する。それも、人文科学・自然科学・社会科学および学際分野にわたる学術の基礎的な教育を行う「リベラル・アーツ」の大学を選んだ。その理由を、彼女が説明する。

「リベラル・アーツは、知識を得ることが目的ではなく、それを基に考えるスキルを身につけるものです。これから未知の職業も増えていくといわれるなかで、知識を得るだけの教育ではなく、考えるスキルを身につける教育をうけたいと考えました。だから、リベラル・アーツでした」

 ブランドを優先したり、就職を配慮しての大学選びではない。それは、学芸大付属を選んだときも同じだった。彼女の選択理由は、探求する人、考える人などを学習者像とする国際バカロレアによる授業が行われていたからだ。誰に言われたからでもなく、自分で考えて、そして探して決めた。自分で考え、自分を育てるというモンテッソーリ教育からすれば、当たり前のことらしい。彼女に限らず、マリア・モンテッソーリ・エレメンタリースクールで育った子どもたちは、自分で考え、自分で判断して自らの進路を決めているという。

 大学4年間の資金を奨学金で賄うのも、中野さん自身の決断だった。そのための行動も素早く、籍を置くことになる大学をはじめ複数の奨学金の給付の話がまとまった。ただし最終的には、グローバルな知見を有するリーダーの育成を目指す柳井正財団からの奨学金だけで賄うことになった。この財団は、「ユニクロ」を運営するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が設立し、同氏自らが理事長を務めている。

「勉強はおもしろい」と言える日本の子どもたちにしたい

 大学で学んだ後についても、中野さんには目標がある。

「日本の子どもたちが『勉強はおもしろい』と言えるようになる仕事に関わりたいとおもっています」

 その理由について続ける。

「高校の2年とか3年になると受験勉強が主体になるんですが、『辛い』とか『やりたくない』と言ってる子が周囲にたくさんいました。なぜ、『おもしろい』とおもえないのか疑問でした。高校を卒業してから渡米するまで時間があったので、学習塾で小学生に英語を教えていたんですが、その小学生たちも点数ばかり気にして、勉強することがおもしろいとおもっていない。私はモンテッソーリ教育で、『勉強はおもしろい』ことを実感しました。きっと、日本の多くの子どもたちが『おもしろい』という経験をしてきていないんだとおもいます。だから、子どもたちが『おもしろい』とおもえるようになる仕事がしたいな、と考えています」

 中野さんは、モンテッソーリ教育によって『勉強はおもしろい』ことを知り、いわゆる学力も伸びたし、さらに大事な自分で考え、行動していく力を身につけた。たしかな「生きる力」を身につけている。

 学習指導要領による教育に追い立てられ、競争を強いられている多くの子どもたちは、はたして「生きる力」を自分のものにできているのだろうか。上辺ではない、モンテッソーリ教育の本質に、いまの日本の教育は学ぶべきことがありそうだ。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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