「部活禁止」「学テ成績で教員評価」は政治支配強化の表れだ

(写真:アフロ)

「(全市立中学校で)春・夏・冬休みの部活動を休止する」と新潟県加茂市の小池清彦市長が記者会見で発表したのは、8月2日のことだった。同じ日、大阪市の吉村洋文市長が、全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)における大阪市の成績が政令市で最下位だった結果を受けて、市として学テの数値目標を設定し、達成状況に応じて教員の手当を増減させる人事評価の導入を検討すると発表した。

 奇しくも同じ日に行われた二つの市長発表について、『二十一世紀の若者論』(世界思想社)などの著作があり、今年7月にも『怠ける権利!』(高文研)を上梓したばかりの小谷敏・大妻女子大学教授は、「首長が教育内容に介入している」と厳しく指摘する。さらに、「教育の政治利用を回避するために教育委員会制度があったはずなのに」とも続けた。

 ちなみに「首長」とは、知事や市長など地方公共団体の長のことである。

 両市長の発言は、教育委員会の頭越しに行われている。教育委員会が無視されたようなものだ。

 教育委員会法が成立して教育委員会制度がスタートしたのは、1948年のことだった。その設置目的は、教育における地方自治と政治利用されることを避けるために首長から独立を実現するためだった。戦前・戦中の教育が中央集権的に政治利用され、軍国主義の色合いを濃くしてしまったからである。

 しかし早くも1956年には、「天下の悪法」とか「反動立法」とも批判されながら地方教育行政法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)が教育委員会法を廃止するかたちで成立している。これによって、文部省(現・文部科学省)の地方教育委員会の関与が強まった。教育の地方自治が揺らぎ、中央統制が強まったのだ。

 さらに2014年には地方教育行政法が改正され、首長が教育長を直接任命できることになり、首長による教育への関与の可能性が広がった。教育の首長からの独立という教育委員会法の狙いだったものが、脆くも崩れ去ったのだ。教育が再び政治利用される道を拓いたのだ。

 もっとも、それまで教育委員会が本来の自らの責務をはたしていたかどうかも疑問である。それができていなかったからこそ、こうした「改悪」を許してきたのだろう。

 その延長線上に、今回の2人の市長による発言がある。教育が、首長の意向によって簡単に左右できることを世に知らしめたことになる。教育を政治利用できることを示してみせたのだ。国家優先の教育を推しすすめたい安倍晋三政権の意向が、さらに色濃くなっていくことの表れだといえる。

 2人の市長発言は、それぞれ施策としての問題も多い。そこに目を向けることも必要だが、同時に、教育が中央集権的な政治に翻弄される危険性が高まっていることを見落としてはいけない。