「それを言っちゃ、お仕舞いよ」の文科相発言
松野博一文部科学相(文科相)が22日、「『自主的、自発的判断』によって長時間勤務を行わざるをえない実態をどう改善するか、検討をお願いします」と述べた(『朝日新聞』電子版6月23日付)。「働き方改革」の案をまとめるように求めた中央教育審議会(中教審)の総会で述べたもので、中教審での議論を踏まえて文科省は年内にも緊急対策を打ち出す方針だという。
問題になっている教員の長時間労働について文科省が本腰で取り組む姿勢を見せた、とも受け取れる。しかし、実際は違うかもしれない。
先の『朝日』の記事は、「教員は自主性が重視され、仕事の進め方も個人の裁量で大きく変わるため、学校では勤務時間の管理がおろそかになりがちだ」と書いている。その後に、先の松野文科相の発言が続いているのだ。
これを合わせると、松野文科相や文科省の教員の長時間労働に対するスタンスが明確になってくる。つまり、教員の仕事は自主性、自発的判断が優先されて学校の管理がおろそかになっているために長時間労働になっている、と言っているのだ。だから、「学校の管理を強めろ」と言っているにすぎない。
それは、文科省の権限を強めることになる。中教審の議論させて緊急対策を打ち出すことになるのだが、それは教員の働き方を「規制」するものにしかならないだろう。文科省の決めた範囲内でしか教員は仕事できなくなる。
ただし、学校現場では想定外のことが多々、起きる。その一つひとつについて、文科省が規定を設けるのは無理だろう。それでも学校管理の下でしか教員が動けないとしたら、想定外の出来事は無視するしかない。
見かけの長時間労働は減るかもしれないが、学校現場が荒れることは必至だ。それでも学校や文科省に内緒で教員が対処しようとすれば、「言ってはいけない労働」として隠されるだけのことだ。
松野文科相も文科省も、「自分たちが管理すれば問題は解決する」という発想から、そろそろ離脱すべきである。現場を無視した管理を強めれば強めるほど、問題は解決するどころか、深刻度を増すばかりだ。
管理を強めれば問題は解決すると言わんばかりの松野文科相の発言は、文科省が現場と真摯に向き合っていない証拠でしかない。「それを言っちゃ、お仕舞いよ」という感想しかない。