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教育勅語の復活は計画的だ

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

菅義偉官房長官は3日の記者会見で、教育勅語の復活に否定的とおもわれような発言をする一方で、相反する復活に積極的な姿勢もみせた。そこに、教育勅語復活にかける安倍政権の執念のようなものを見たおもいがした。

「わが国の教育の唯一の根本とするような指導を学校で行うことは禁止されている」と語った菅官房長官は、それに続けて「親を大切にする、兄弟姉妹は仲よくする、友達はお互いに信じ合うなど、ある意味で人類普遍のことまで否定はすべきではない」と教材として使用することまでは否定されていないとの認識を示した。さらに、教育勅語の使用は過去の政府による国会答弁などと矛盾しているのではないかとの質問を、「まったく矛盾しない」と切って捨てた。

松野博一文科相も4月3日の国会で、「歴史教材に用いるのは問題ない」と述べて否定することに拒否を示している。なにより安倍内閣が、4月1日に教材として使用を認める閣議決定をしている。教育勅語を復活させることに、意欲満々なのだ。

親を大切にするなど「人類普遍」のことを教えるのに教育勅語を持ち出してくる必要などないことは、いろいろなところで指摘されているとおりである。それでも教育勅語に固執するのは、ほんとうの狙いがそこにはないからだ。

安倍政権が教育勅語を復活させたいのは、「人類普遍」のことに続く「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分である。そこを触れられたくないために、「人類普遍」のことばかりを強調してみせる。観点をずらし、本質に触れられないように誤魔化しているにすぎない。

問題の部分は、「危急の大事が起ったなら、個人のことなど投げ捨てて、一身を国に捧げろ」と言っている。この考えを教育勅語に刷り込まれた戦前の人々は、個人の思想も主張も捨てて戦争へと駆り出されていった。安倍政権は、個人のことなど捨てて国に尽くす教育をしようとしている。それが、教育勅語を復活させようとしている最大の理由である。

そうした安倍政権の姿勢は、急に出てきたわけではない。安倍政権は、それを着々とすすめてきている。

教育基本法の改正が臨時国会で成立したのは2006年12月15日で、12月22日には公布・施行された。その改正に躍起となって取り組んだのが、第一次安倍政権だった。

改正によって、第一章第一条の「教育の目的」において、改正前にはあった「個人の価値をたつとび」が削除され、「国家及び社会の形成者」が強調されている。改正前には「個人」に重きがあったが、改正後は「国家及び社会」に重きが移っているのだ。

つまり、「個人より国を重視しろ」というのが教育基本法改正の趣旨である。それは、教育勅語の趣旨と見事に重なる。

個人より国を重視する価値感を教育基本法を改正することで教育に復活させた安倍政権は、その思想を強化・徹底させるために今度は教育勅語を復活させようとしている。着々と安倍政権は自らの予定を実行しているにすぎない。個人を否定する教育を目指す安倍政権を見過ごしにはできない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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