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スクリパリ毒殺未遂犯をロシア軍大佐だと調べ上げた検証サイト「べリングキャット」とは

黒井文太郎軍事ジャーナリスト
イギリスの独立系検証サイト「べリングキャット」のスクープ記事

謎の毒殺未遂犯を追え!

 9月26日、イギリスから注目される情報が飛び出しました。今年3月、イギリスで発生した元ロシア情報部員毒殺未遂事件の犯人の1人の実名が判明したというのです。

 この事件では、イギリス政府がロシア軍の情報機関「GRU」(軍参謀本部情報総局)の関与を断定していましたが、ロシア側が「事実無根だ」と否定。両国の非難合戦になっていました。

 ところが、この9月5日、イギリス当局が捜査結果として、ロシア旅券を持つ犯人2人の「氏名(当然、偽名ですが)」、顔写真、それに確認されたイギリスでの行動ルートなどを発表し、欧州逮捕状を発行して国際手配を行いました。

 これに対し、ロシア側では国営テレビ「RT」がこの2人のインタビューを放送し、「自分たちは民間人だ」と語らせました。イギリスの発表は嘘だというわけです。

 しかし、プーチン政権の事実上の宣伝機関であるRTが放送しただけでは、実際のところはわかりません。外部から調べようとしても、本当に情報部員であれば、その身元は厳重に秘匿され、その正体を探るのは容易ではありません。

イギリスの公開情報検証サイト「べリングキャット」の快挙

 ところが、そんなミッション・インポッシブルな調査を、見事にやり遂げたのが、大手の研究機関や報道機関ではなく、イギリスの小さなサイト「べリングキャット」でした。べリングキャットは今回、ロシアのサイト「The Insider」と共同で調査し、前述したように犯人の正体を探り当てたのです。

 では、このべリングキャットというサイトは、どのようなサイトなのでしょうか?

 あまり日本ではメディア報道で紹介されることがなく、知名度はさほどないと思いますが、筆者のようなシリア問題やウクライナ問題、ロシアのフェイク情報工作などをウォッチしている記者や研究者の間では、すでにかなり有名なサイトです。

 といっても、こちらはニュースを紹介したり、その背景を解説したりする時事サイトではなく、徹底して公開情報を検証することでフェイク情報を明らかにする、いわば「検証サイト」なのです。

もともとはアマチュアのブロガー

 べリングキャットは実質的に、代表者であるイギリス人ブロガーのエリオット・ヒギンズ氏を中心に、協力者が集まって運営されています。

 とはいえ、ヒギンズ氏は、もともとジャーナリストでも研究者でもありませんでした。難民支援事業の管理・財務の仕事をしていたブロガーです。そういった意味では国際問題、とくに中東問題にもともと関心があったのでしょう。

 現在39歳のヒギンズ氏は、2012年にブラウン・モーゼスの名前で「ブラウン・モーゼス・ブログ」を始めました。同年3月22日の最初の投稿記事は、リビア紛争を現地取材したジャーナリストへのインタビュー記事でした。

シリア化学兵器使用はアサド政権によると証明

 もっとも、その時期はちょうどシリアでアサド政権が反体制運動の住民を殺戮し、それに対して平和的なデモが武装闘争にシフトしていった時期でした。それに対しヒギンズ氏は、シリア国内から発信される「画像」から、アサド政権による民間人居住地への無差別攻撃の実態や、アサド政権が使用している兵器の種類とその使用方法などを検証する記事を連投してくようになります。

 ところが2013年に入ると、彼は職場から解雇され、失業します。それからは、自宅で幼い子供の世話をしながら、ブログに専念するようになりました。

 2013年8月に、アサド政権がサリンを使用して民間人1000人以上を殺戮した際には、アサド政権やその後ろ盾であるロシアから、それを隠蔽するフェイク情報(反体制派の自作自演説など)が多く発信されましたが、ヒギンズ氏はやはり現場写真などを元にアサド側の主張を突き崩しています。

ウクライナでのマレーシア機撃墜にロシア軍関与を証明

 その手法は徹底した公開情報の検証で、非常に説得力があったため、彼の「ブラウン・モーゼス・ブログ」は注目されるようになっていきます。そこで彼は、2014年7月に仲間数人と公開情報検証の専門サイトを創設することにします。それがべリングキャットでした。名称の由来は「猫の首に鈴をつける」の元となったイソップ寓話「Belling the cat」(邦題「ネズミの相談」)で、運営資金はアメリカのクラウドファインディングで調達されました。

 同サイトには公開情報検証の手法も紹介され、同じく公開情報検証を志向する人たちにも門戸が開かれていました。しばらくは同サイトのスタッフも、ヒギンズ氏と他に数人の協力者がいただけでしたが、注目されたことで組織としても成長し、2017年からは約10人で運営しているとのことです。

 これは筆者も鮮明に記憶していますが、べリングキャットが欧米の主要メディアからも大きな注目を集めるようになったのは、まさにべリングキャットの正式発足と同時期の2014年7月に東ウクライナで発生したマレーシア機撃墜事件に対する調査です。もちろん当初から、親ロシア派による対空ミサイルの誤射説が語られていましたが、ロシア側はそれを否定。逆にウクライナ軍の戦闘機によるものだとのフェイク情報を流していました。

 この時、べリングキャットはやはり公開情報を詳細に検証し、ロシア側の主張を突き崩す調査結果を次々に発表。そしてついには2016年、 この事件に関与していたのがロシア正規軍(第53対空ミサイル旅団第2大隊)と証明します。これもべリングキャットの検証作業の大きな成果でした。

 その後もべリングキャットはさまざまなフェイク情報を公開情報で検証する作業を続けていますが、現在、世界中でフェイク情報を撒き散らしている主犯はロシアですから、どうしてもロシアの嘘を暴くことが増えています。ロシアのほうもそれを非常に脅威に感じているようで、最近はべリングキャットを名指しで非難することも増えています。

在英ロシア大使館のツイート「べリングキャットはイギリス国防省の特殊部門だと思わないか?」
在英ロシア大使館のツイート「べリングキャットはイギリス国防省の特殊部門だと思わないか?」

 このように、今回、毒殺未遂を実行したロシア情報部員の正体を暴くという世界的なスクープを成し遂げたのは、公開情報検証を地道にこつこつと重ねる数人の非「プロ記者」たちでした。

 これだけネットで情報が飛び交う時代になると、「情報」そのものは、労を惜しまず探せば、必ずしも大手の報道機関や研究機関だけでなく、個人や仲間内グループでもかなりのものが入手可能になっています。そうして集めた情報を詳細に検証する・・・これをインテリジェンス用語で「オープンソース・インテリジェンス」と呼びますが、べリングキャットはそのまさにフロントランナーと言っていいでしょう。

軍事ジャーナリスト

1963年、福島県いわき市生まれ。横浜市立大学卒業後、(株)講談社入社。週刊誌編集者を経て退職。フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材多数。専門分野はインテリジェンス、テロ、国際紛争、日本の安全保障、北朝鮮情勢、中東情勢、サイバー戦、旧軍特務機関など。著書多数。

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