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日本型雇用の課題とこれからの雇用社会③~人事と“市場”の接続へ向けて~

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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「日本型雇用の課題とこれからの雇用社会 ~昭和的働き方から脱却せよ」のイベントレポート第3回。第3部は白石紘一弁護士が登壇し、「人事と“市場”の接続へ向けて」について講演しました。最近では、労働市場はもちろんのこと、資本市場においても、雇用・労働に対する外部からの注目が高まっています。人事としても、外部への情報発信を一層心掛ける必要が出てきました。昨今、具体的にどのような制度が設けられているのかなどを紹介します。

<ポイント>

・企業として「何を与えることができるのか」を発信する必要が高まっている

・コーポレートガバナンス・コードの改定の中身とは?

・人的資本開示の流れは世界中で広がっている

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■人事と“市場”の接続に向けて

白石:どうも皆さまこんにちは、弁護士の白石と申します。自己紹介としては、私は2016年から2018年まで経済産業省の産業人材政策室にいました。安倍内閣で2016年の9月から働き方改革実現会議というものが走っていた時期です。私は経済産業省という立場で、経済産業政策という観点から人材政策を担当していたのです。時間外労働の上限や同一労賃や、兼業・副業、HRテクノロジーの普及促進もしていました。

 私のタイトルは、「人事と“市場”の接続に向けて」です。

 ここに書いてある「市場」というのは、少し資本市場寄りのお話です。そこから人事の方にも得られる示唆があればと思っています。

まずは日本型雇用システムの特徴を、かなり戯画的なものになるのですがお話をさせていただきます。

 特徴や典型的なものとしては、職務範囲が無限定であったり、長時間労働であったり、年功序列、終身雇用というものが言われています。企業主導のキャリア、企業でのみ生きるスキル、OJTでの人材育成への依存が、いわゆる日本型雇用システムや昭和的な働き方としてあげられています。

 

 かつての企業と働き手の関係性を図にしました。

 働き手のほうが企業に何を提供していたかというと、滅私奉公です。命じられれば何でもやり、どこへでも行き、この会社でのみ通用するスキルを育てました。

会社のほうが働き手に何を提供していたかというと、終身的な雇用保障であり生活保障です。会社のために十分尽くす代わりに、「家族をひっくるめて生活を見てやる」という時代でした。

 このメンバーシップは強い信頼関係で結ばれ、外国から褒め称えられた時期もあったわけです。ただし非常に内側に閉じた信頼関係でした。新卒の一括採用ということも相まって、途中の出入りが少なかったのです。企業にとっても、外部からなかなか人を採ってこられない仕組であり、お互いに選択肢の乏しい関係でした。

 今後この関係が維持できるのかという疑問があるわけです。会社の寿命も非常に短くなっています。確か平均で20数年ぐらいであり、働き手の人生を一生保障するだけの会社の寿命がそもそも存在しないわけです。

 相互に差し出していくことを想定した信頼関係が十分に保てない中で、会社は働き手に何を提供できて、働き手は会社に何を提供できるのかを、もう一回定義し直さなくてはいけません。かつそれをお互いに伝え合わなくてはいけないと思います。

 昭和時代に当然であった「暗黙の了解」は、もはや当然ではないわけです。

 では、どのように発信していけばいいのでしょうか? おそらく人事の皆さまが意識したことがないフィールドの中で、今人的資本に関する発信のルールができてきています。その話をここからさせていただきます。

■コーポレートガバナンス・コードとは

 コーポレートガバナンス・コードが今年になって改訂されて、人的資本に関する発信のルールが追記されました。

 そもそもコーポレートガバナンス・コードとは何かというと、株主だけではなくて、ステークホルダーとの望ましい関係性や、取締役会のあるべき姿について定めた企業統治の指針です。

 金融庁と東京証券取引所のほうで定めたもので、基本的には東証の上場企業が適用対象ということになっています。具体的に守らなければいけない原則と、コミットしなければいけない原則が書かれています。

 例えば、この原則の1の1は、株主の権利の確保というタイトルです。「上場会社はこういうことをしなくてはいけない」という大原則があります。取締役会では相当数の反対票が投じられた株主総会の議案があった場合には、反対の理由等を分析して検討すべきであるという補充の原則なども付いてきています。

東証の上場会社においてはルールを意識しなくてはいけません。「もともとが企業価値を向上させていくために中長期的に何をすべきか」という話ですので、守りだけではなく攻めのガバナンスという話も入ってきます。

 この原則は、「コンプライ・オア・エクスプレイン(comply or explain)」というルールになっています。この原則を守らなくてもいいのですが、その場合には理由を説明することが必要とされています。

このコーポレートガバナンス・コードが改訂されて、人的資本、Human Capitalの

開示に関する追記がなされました。

 主な追記事項が4つある中でも、「自主的かつ測定可能な目標の開示」、要はKPIの設定が出ているというのが、なかなか新しいところかと思います。

 改訂がされた背景として、昨年「人材版伊藤レポート」というものが経産省から出されました。

 伊藤邦雄特任教授は、2015年にコーポレートガバナンス・コードを作るための背景になった報告書、「伊藤レポート」を出した方です。彼が人的資本に注目をした報告書「人材版伊藤レポート」を経産省で出しました。今回の開示のルールに関する部分だけ、抜粋してお伝えをします。

 人材マネジメントの方法について「人的資源の管理から資本・価値創造の発想になるべきだ」ということが書いてあります。

 人材は、これまでHuman Resource でした。この言葉には「既にあるものを消費する」「消費財」と含意されてています。それに関しては「管理する」という発想になります。

 「人材は日々成長して価値創造ができる」という発想に変えていく必要があるということが冒頭でうたわれているわけです。ただ、人的資本(Human Capital)として捉えた上で、状況に応じて必要な人的資本を確保するというある意味ドライな発想も書かれています。

 今回私のほうでお話しすることとも関連してきますが、「内向きから積極的対話をする」「人材あるいは人材戦略というものについて、社内外に向けて発信する」「従業員に向けても発信して対話していく」という必要性が書かれています。

 さらにもう1つ。採用した人を囲い込むという形から、ある種オープンな形を作った上で、その人材に選ばれる関係をつくっていくべきというところも注目です。

 囲い込むのではなく人材にとっての自社の価値を高め、さらにその価値を伝えていくという関係性を通じて、「選ばれる会社になるためにどうすべきか」ということを考えていきます。図で表すとこのようになります。

 この人材版伊藤レポートを踏まえて、コーポレートガバナンス・コードの改訂がなされました。コーポレートガバナンス・コードと聞くと、IR部門や広報、法務の仕事であると思われるかもしれません。

 しかし、人事や経営陣によるコミットの必要性が今かなり強まってきていると思います。

 追記事項としては、「中核人材、多様性確保についての考え方」と、「自主的かつ測定可能な目標の開示・測定をしなくてはいけない」と記載されています。要は多様性の確保と、KPIを設定するということです。

 人材育成の方針の開示等も今回追記されました。女性、外国人、中途採用等の管理職への登用等に関する考え方と、自主的かつ測定可能な目標を示すべきであるということです。

 この人材戦略が企業価値の向上に向けて重要であることを踏まえて、経営戦略に基づいて考えなくてはいけません。

 5年後、10年後に向けてどういう目標を持っていて、どういう人材を採り、育成していくかという話が出てくるわけです。人材戦略とはその重要性に鑑みた人材育成の方針や、あるいは社内環境の整備方針と実施状況と併せて考えます。

要は目標を立てるだけではなくて、今どれぐらいコミットできているのかということと併せて開示すべきなのです。

 さらにサステナビリティーについての取り組み開示というものがあります。人的資本への投資についても、経営戦略との整合性を意識しつつ情報開示をすべきであると書かれています。

投資家が着目している「人材が企業の成長のドライバーになる」ということを受け止めた上で、どう考えるべきかを深堀りしていきたいと思います。

 「人的資本への投資を含む経営資源の配分に関してどう実行していくのかを明確な説明を行うべきである」ということも追記されています。

ちなみに、これは今年のコーポレートガバナンス・コードで入ったものです。この人的資本の開示の流れは日本だけのものではありません。海外ではむしろ先行している話です。

■海外でもさまざまな団体が開示について新しいルールを出している

例えば欧米では、人的資本の項目開示についての新しいルールというものが出ています。

 アメリカの証券取引委員会に、Regulation S-Kというものがあるのですけれども、ここでも人的資本に関する開示のルールが新しく設けられています。さらに下のほうにある、非財務情報の開示に関するNGOのような団体等がこういったルールを作っています。

 アメリカでは、この米国の証券取引委員会というところが人的資本に関する開示を年次報告書の中で義務付けました。

 新しいルールの中で、「企業のビジネスを理解するために重要な範囲で、雇用する人数を含む人的資本の説明。重視する人的資本の施策または目的。さらに人材の育成、確保に関する施策について説明してください」と書いてあります。

 今年の6月に下院を通過した法案の中では、いろいろな情報を開示に関するルールが加わっています。エンゲージメント&プロダクティビティーに関する開示の義務付けや、エンゲージメントと生産性の開示なども義務付けられています。

海外でもどんどんこの流れは出てきています。

■重要なのは、自社におけるストーリー

 日本でも先ほどコーポレートガバナンス・コードの改訂というところで一回アウトプットが出たわけなのですけれども、さらに検討が進められています。

経産省でも研究会や検討会が開かれています。「人的資本に関する情報開示をさらに進めていくべきではないか」という中で、KPIの開示についても言われています。

 つまり「経営戦略から一気通貫したストーリーづくりができているのか」が問われているわけです。

 これは研究会の中で出てきていたもので、「価値向上のための開示」という観点と「リスクマネジメントのための開示」という観点があります。

この図だけ見ると、労働慣行や労使慣行は、どちらかというとリスクマネジメントの観点が大きいようにも見えます。

 しかし、基本的には全部一体のものです。もちろん情報開示、発信するに当たってはそれぞれの項目に分けてということになるかもしれません。この項目はリスクマネジメントのみの観点であるということ。この項目は価値向上の観点だけではなく、経営戦略から下りてくる中でどのように開示していくのかを考えていく必要があります。

 いわゆる人材に関する指標や、人事に関する仕組みなどは、会社の中で非常にいろいろなものがあるわけです。その中で何を開示するのか、あるいは何を開示しないのかを考えていく必要があります。

 以前投資家の方が「結局、ストーリーとなっていることが大切なのだ」とおっしゃっていました。例えば会社によってはパーパス、その会社の存在意義を定めているところもあります。

 その会社が何のために存在していて、実現のために今後どういう経営戦略を考えているのかというストーリーから、当社においてはどういう人材戦略で考えていくべきなのかという一気通貫したストーリーが必要です。

当然経営戦略との連動ができているのかについても注目しながら考えなくてはいけません。

 女性活躍の観点、女性の管理職比率などという数値を開示している会社などは結構多いのですけれども、結局何を開示して何を伝えていくべきなのかは、会社によって違う話だと思うのです。

 「業種、業態、規模、経営環境等」と書いていますが、例えば研究開発が非常に大事な会社であれば、研究者に対してどれぐらいの投資ができているか、研究者が働きやすい環境になっているかが大事です。そこで、年ごとの研究論文の数を開示したりしています。

 よく「うちの会社はデータを取っていない」という話も聞きます。人的資本ということに関しては、企業の成長性の観点では非常に多くの投資家が関心を持っています。

 他方で、この3つ目の丸のところが特に重要なのですが、情報あるいは価値の分析、企業価値にどう影響しているかという判断は、どちらかというと投資家の役割です。そこまで網羅的に数値化してほしいということではありません。

 企業価値向上のために人材投資ができているか。その開示を求めるのが資本市場のルールです。それは当然優秀な人材の獲得あるいは定着のためのアピールにもなるわけです。今後求職者が報告書、人的資本に関する開示に注目するようになっていくかもしれません。人事や経営陣のコミットが、この分野においてますます大事になっていく時代が近いのではないかと思います。

 これはフィデリティ投信の井川さまという方が作成した資料です。

「労働市場が流動化したら人材投資が落ち込むのではないか」という話もありますが、井川さまの研究で測定した結果だと、活発な労働市場は労働生産性の向上につながります。むしろ活発な労働市場は、人材投資を誘発する傾向にあるということをおっしゃっていました。

 例えばアディダスは開示のためのいろいろなプログラムを提供し、インターンの人にも多様な業務を経験してもらっています。ダノンは学習プラットフォームを受講している人数あるいは受講時間がどれぐらいあるかという開示をしています。

グラクソ・スミスクラインは、「工場で事故を起こさずに運営できているか」というところは非常に重要なKPIになってきます。エンゲージメントの調査を出しているところなどもあります。

 経営戦略と連動する形で人事がどういう発信をしていくか。非常に内に閉じた関係をどう切り開いていくのかということは、これからの人事に求められていることではないかと思います。

(つづく)

2021年11月29日開催

「日本型雇用の課題とこれからの雇用社会~昭和的働き方から脱却せよ~」

より抜粋編集の上掲載。

【登壇者】

■倉重 公太朗(KKM法律事務所)

■白石 紘一(東京八丁堀法律事務所)

■濱口 桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構)

■芦原 一郎(弁護士法人キャストグローバル)

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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