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今回のゲストは、ジョンソン・エンド・ジョンソンやアストラゼネカでHRビジネスパートナーを務め、現在ラッシュジャパンで人事統括責任者を務めておられる安田雅彦さんです。ラッシュは新鮮なフルーツや野菜などをの新鮮な原材料とハンドメイドで作られる化粧品やバス用品が人気のブランドです。ラッシュの組織運営には、倫理観を判断基準とした意思決定や、挙手による人事異動、各店舗の店長のオーナーシップ制など、さまざまな特色があります。それらの制度を通して、人を育ててビジネスも成長させる「戦略人事」の考え方を伺いました。

<ポイント>

・人事のプロフェッショナルを目指すことになった出来事

・安田さんの考える「戦略人事」とは?

・人事が変革のエージェントになる

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■会社の清算が転機となる

倉重:本日は株式会社ラッシュジャパン人事部責任者の安田雅彦さんにお越しいただいています。よろしくお願いします。

安田:安田です、よろしくお願いします。ありがとうございます。

倉重:簡単にキャリアを含めた自己紹介を、いただけますでしょうか。

安田:私は安田雅彦といいまして、今ラッシュの人事の統括責任者をしています。ラッシュはイギリスのハンドメイドのコスメティックカンパニーで、日本で78店舗、世界の49カ国で約930店舗あります。まだ創業25年ぐらいの新しい会社です。私自身はラッシュに入社して6年目になります。

 名古屋出身で、大学も名古屋で出ました。平成元年に社会人になり、西友に入社。3年ぐらい荻窪の店舗にいて、それから本社人事部に異動になりました。99年までは採用教育訓練、いわゆる人事の「エントリージョブ」と言われるような仕事を担当していたのです。

倉重:トレーナー的な役割ですか。

安田:そうです。2000年に一つ転機がありました。今ららぽーとやイオンに入っているアメリカのアウトドアブランド「LL Bean」の日本法人の前身は、実は西友の子会社エルエルビーンジャパン社だったのです。

 今はUS資本100パーセントなのですが、当時は西友と松下電器のジョイントベンチャーによるライセンスビジネスでした。その子会社の人事担当として出向していましたが、ちょうど2000年、2001年はGAPやユニクロがフリースを出した時期です。日本の衣料業界の価格構造がバッと変わるときでした。当時のエルエルビーンジャパン社はこの価格競争に上手く乗り切れず、西友と松下電器はこのビジネスから撤退する判断をしました。当時、同社には160人ぐらいの従業員がいたのですが、最終的には清算したのです。それが僕にとっては転機でした。

清算後に親会社の西友に戻ったのですが、この非常にタフな経験を経て、「今後は人事のプロフェッショナルとして生きたい」と思い、2001年に外資系であるグッチグループジャパン(現ケリングジャパン)に転職をしました。

 その当時、グッチでは新しい人事制度の方針は打ち出したものの、具体的な設計と運用はまだこれから、という状況だったのです。。当時のグッチグループは、7つぐらいのブランドがある、いわゆるマルチブランドカンパニーでした。歴史も違えばビジネスの規模も全然違う複数ブランドの人事制度を統一しようとしていたのです。その推進役として小売業経験のある若い人事担当が欲しいというニーズと、私のキャリアがぴったり合いました。

倉重:確かにそうですね。

安田:ファッションが好きだったこともあってそこに飛び込んで、それぞれ独立した利益責任を持ついくつかのブランドと付き合っていく経験しました。それは私にとっても良いことでした。

 グッチにいたころはハッピーだったのですが、さらに外資系人事のプロフェッショナルとして経験を積むためには、リテール以外のこともやらなければならないと思っていたのです。そうしたら、ジョンソン・エンド・ジョンソンのポジションの話が舞い込んできました。ずっと小売業で生きてきたので、ヘルスケアは「えーっ」という感じで戸惑いもあったのです。

しかし、当時人事戦略などを勉強していたので、Our Credo(我が信条)という経営理念に則った人事ポリシーを持つ会社として、ジョンソン・エンド・ジョンソンのことは知っていました。それを思い出して、「JJにはクレドがあったな。よし! 行ってみよう!とチャレンジすることにしたのです。2008年に、JJのHRビジネスパートナーのマネジャーとして転職しました。

 それから6年ぐらいは、ジョンソン・エンド・ジョンソンのメディカルカンパニーという世界最大の総合医療機器会社で人事経験を積みました。6年ぐらい勤めたラストイヤーに、大きなM&Aがあったのです。

 M&Aやカルチャーインテグレーション、外資系企業の政治などをいろいろ経験して燃え尽き症候群になっていたころ、最近COVID-19のワクチンで有名になったアストラゼネカからオファーがありました。

 これは余談なのですが、オファーをパッと見たら、「勤務地・大阪」と書いてありました。外資系の人事では、勤務地は東京かシンガポールなどのアジアの拠点等が多いのです。大阪という文字を見た瞬間に「家族は関東在住ですが、大阪ではどうすればいいですか」と聞いたら「社宅としてマンションを借りて頂き、単身赴任になります」と言われました。そんな機会はないと思ったので、「では、行きます!」とサインしたのです。

 アストラゼネカで2年ぐらい働いた後で、「最後はどうしても人事部長をやりたい」と思いました。社内に「人事」というタイトルが付く上司が絶対にいないところでやりたいと思っていたのです。ラッシュのお話をいただいた2015年に転職して現在に至ります。

倉重:素晴らしいです。すごいスピードで人生を振り返っていただいて、ありがとうございます。

安田:要約するとそのような感じです。

倉重:西友で人を育てるのは面白かったですか?

安田:はい。新入社員研修の企画・運営をしていたころのことは、とても印象に残っています。

当時西友は全国220店舗あり、「チェッカー」と言われるレジ担当者の過半数は社員だったのです。その要員を地方から採用して日本全国に配属していました。高卒採用で入社してくるのは、ほとんど地方の女子高生です。県外就職が多いと言われている鹿児島や、九州の南部や東北の方が多数いました。そのような方をワーッと200人ぐらい連れてきて、品川プリンスで一気に研修をするのです。

 僕は一人で、約250人の研修の面倒を見ていました。そのとき僕は28歳ぐらいです。本当に右も左も分からないような、「生まれて初めてエスカレーターに乗りました」というような女子高生を相手に、社会人訓練をしていったのです。その過程は大変でしたが、アンケートのフィードバックで、「安田さんの話が分かりやすかった」と書いてあったり、その後にショップに行って頑張っている姿を見たりすると、すごくやりがいを感じました。

倉重:ご実家も女性が多いので、女性と話すのに慣れているというお話を伺いました。

安田:姉と妹、祖母、祖母の妹さんと一緒に住んでいました。僕の幼少期の原風景は、父が仕事でいないときに、女性5人に囲まれて、僕の話にみんなドッカンドッカン笑っているか、半分世話を焼いている感じです。今の職場の風景とあまり変わりません。

倉重:本当です。何がどこで生きるか分からないものですね。

安田:おっしゃるとおりです。

倉重:人を育てるのはいいなと何となく思い始めたところから、M&Aや会社の清算で「プロフェッショナルでなければならない」と思われたわけですか。

安田:そうです。僕が人事という仕事に対して、「ある種の哲学を持った人事とはどういうものなのか」とシリアスに考え出したのは、先ほど言ったように2001年のLL Beanという子会社清算、そしてそれに伴う労働契約の解除でした。

 

倉重:グループ会社に転出する人もいれば、合意解約で辞めてもらう人もいますよね。

安田:そこで「本来キャリアとはどうあるべきなのか」「会社は社員にとってどうあるべきなのか」を考えたのです。逆の立場でも、人はどのような距離感で会社と付き合うべきかを、すごく真剣に考えるきっかけになりました。

倉重:真面目に働いていたのに、いきなり「もう来月からこの職場はない」という話になるわけですよね。

安田:全くそのとおりです。社員からしたら晴天の霹靂です。日ごろからどのようなコミュニケーションをするべきだったのか考えました。その後ジョンソン・エンド・ジョンソンで、問題社員対応の研修もしたのです。その頃から結局優しい上司の定義とは何なのか?社員にとってどうあるのが、良い会社なの、か?ということを考えるようになりました。

僕は「JJはいい会社ですか」、「ラッシュはいい会社ですか」という質問に対しては、「いや、いいかどうかは分かりません」といつも答えます。どうあるべきかはすごく今でも考えます。

倉重:最初のころに社員に社外の機会を紹介したり、転籍をお願いしたりというという経験を経て、プロフェッショナルになられた安田さんですが、同じような事象があっても今だったら捉え方は全然違いますか?

安田:違うでしょうね。今は経営陣なので、「そもそも経営層として、どのように考えていくのか」というアプローチも入ってきます。当時は僕なりに考えて、雇用について厳しい話をしているときも、担当者としてロジックを組んでいました。今の時点ではそもそもそれをやるか、やらないかという経営判断のところから入っていかなければなりません。

倉重:昔はあくまで言われたことを、人事としてやっていましたと。

安田:変な話ですが、担当者でいる限り、例えば「●月までに会社がなくなるから、それまでに120人に対してきちんと合理的な説明をして、納得させてください」と言われるのです。決定事項として言われる。

倉重:ゴールも決められてしまっているわけですね。

安田:人事責任者であればやるか、やらないかの経営的判断のポイントにいます。

倉重:まさに、ビジネスの意思決定からされているとうことですね。確かに自分の中での納得感も違いますよね。

安田:それでも最終決定は会社の代表者が下すのですが、そこに至るまでにはいろいろ考えます。その決定で、組織全体にどんな影響があるのか、未来はどうなるのかも全然違いますから。

倉重:いいですね。やはり人事と言うと、いまだに手続きや給与計算、社会保険などの管理部門だと思われています。コストの部門だという認識の会社は、まだまだ意外と多いのですが。安田さんがおっしゃっているのは、人事で人を育ててビジネスを成長させることなのですね。

安田:そうです。「戦略人事」という言葉があって、いろいろな角度からアプローチされています。僕の言う戦略人事は、1年から3年ぐらいの中長期でビジネスのゴールを設定し、それをやり遂げるために何が必要か考えることです。今の組織を見たら、当然足りないものがあるわけです。

 例えば、「3年後にアジアしか出していない商品を北米にも出したい」「今B to BしかしていないのでB to Cにも行きたい」「化学領域にも行きたい」などいろいろあります。そのゴールと、今の手元を見比べたときに、「これはあるけれども、あれはない」ということが出てきます。

 僕はいつも「Capability」と英語で言ってしまうのですが、能力や知識をどう埋めていくのかを考えます。外から採るのか、今いる人を育てるのかということです。

倉重:確かにそれしかありませんね。

安田:僕が言う人事戦略は、中長期的で行きたい場所を決めて、今の組織に足りていないところは、外部から獲得するか、もしくは内部の成長でドライブさせていくことです。マーケットを見ながら、戦略的にしていきます。

 その進捗を常にトラッキングできているか。できていないのなら「なぜか」と追っかけていくのが、戦略人事なのかなと僕は思います。

倉重:これは経営そのものですね。

安田:戦略人事はまさに経営そのものです。結局ひもとくと、人が大事という話になります。

倉重:「人はお金」と言うわけですから、やはり大事しないといけないと思います。大体COOやCFOは経営会議の重要ポジションにいます。財務担当もいいポジションにいることが多いですが、人事担当はポジションが低いケースが結構多いのです。

安田:多いです。これからはまた違うと思いますが、確かに仰ってることは分かります。

倉重:安田さんのように、「このような人事の在り方があるのだ」ということを、もっと広げていくのはすごく大事だと思っています。従業員管理や人事管理は、そもそも労務管理とも言われますが、管理することが主眼だった昭和の時代とは、全く違います。

安田:外資系の人事について、ウルリッチというイギリスの学者の先生がこう言っています。「ビジネスパートナーの定義は、昔は従業員の管理のエキスパートだったが、これからは事業部長の片腕となっていくだろう」と。もう少し言うと、変革のエージェントというか、企業文化も変えていくような役割にシフトしていくのが今の潮流です。

倉重:コロナで働き方であったり、そもそもの事業の在り方が変わったりしている会社も多いです。そういう意味では、チェンジエージェントとしての人事は非常に大事ですね。

安田:やはり変革をどう起こしていくかは、組織文化や価値観に非常に関係するところがあります。組織文化や価値観をどのように浸透させるのか、その装置は何かと言うとやはり人事制度だったりします。

 僕はいつも言うのですが、人事制度や人事異動、組織構成は「この会社は何を大事にしていて、どこに向かっていて、どのようなところに行きたいのか」を示すメッセージです。どう働いてほしいのだと伝えるのが、制度なのです。

倉重:全ての人事処分や配置、評価にも統一したメッセージがあるのですね。

安田:そうです。そこにいかに散りばめていくかです。

(つづく)

安田 雅彦(やすだ まさひこ)

ラッシュジャパンのPeople(人事)部門の責任者。1989年に南山大学卒業後、西友にて人事採用・教育訓練を担当、子会社出向の後に同社を退社し、2001年よりグッチグループジャパン(現ケリングジャパン)にて人事企画・能力開発・事業部担当人事など人事部門全般を経験。2008年からはジョンソン・エンド・ジョンソンにてHR Business Partnerを務め、組織人事やTalent Managementのフレーム運用、M&Aなどをリードした。2013年にアストラゼネカへ転じた後に、2015年よりラッシュジャパンにて現職。