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ポストコロナ時代の「働く」を考えよう(中編)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

専門性が身につかない、「ジョブローテーション」の功罪(田代 英治さん)

続いての登壇者は、株式会社田代コンサルティング 代表取締役で、社会保険労務士の田代 英治さんです。倉重・近衞・森田法律事務所のパートナー社労士かつコンサルタントでいらっしゃいます。

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<田代 英治さん プロフィール>

1961年福岡県生まれ。1985年神戸大学経営学部卒。同年川崎汽船株式会社入社。

1993年人事部へ異動。同部において人事制度改革・教育体系の抜本的改革を推進。

2005年同社を退職し、社会保険労務士田代事務所を設立。

2006年株式会社田代コンサルティングを設立し、代表取締役に就任。

人事労務分野に強く、独立後も前職の業務を請け負いつつ、各社の人事制度の構築・運用をはじめとして人材教育にも積極的に取り組んでいる。豊富な実務経験に基づき、講演、執筆活動の依頼も多く、東奔西走の毎日を送っている。

田代:皆さん、こんにちは。田代と申します。よろしくお願いします。先ほど荻野さんもおっしゃいましたけれども、自営業者が非常に少なくなっています。私どもが働き方改革として「こうすれば自営も可能だよ」というような提案ができればと思います。今、非常に自由な働き方をしていますので、私のような生き方も、参考にしていただきたいなと思っています。

 私が海運会社に入社したのは、荻野さんと同じ1985年です。この会社は非常に人事異動が多くて、2004年までの20年間に合計5部署の異動がありました。そのたびに新入社員のような気持ちで働いてきたのです。人事も2回経験して、「私の会社人生は人事部でやっていきたい」と思っていたところ、今度は営業部に異動してくれという打診がありました。「それは嫌だな。そろそろ自分でなりわいを立てたいな」と思いましたが、せっかく好きな会社で働いてきたので転職はしたくありません。どうすべきか悩んだのが40代の前半ぐらいのことです。

 ずっと長期雇用でいくのか、それとも独立して我が道をいくのか1〜2年ずっと悩み続けて、出た結論が「業務委託契約」という形です。会社の雇用契約をいったん終了して、業務委託契約に切り替えて働くことを会社に提案しました。

独立する際に一番不安なのは、実際に仕事があるのか、食べていけるのかというところです。在籍していた会社と業務委託契約があれば、半分ぐらいは食べていけます。残り半分を自分がやりたいことに回せばいいのではないかと考えて、会社の上司に相談しました。「私は会社を退職という形をとり、人事部の仕事は業務委託で請け負わせてもらって、残りの時間は自分の好きな仕事に当てたい」と自分の考えを申し出たところ、ありがたいことに認めてもらえました。

 この業務委託契約へ切り替えた2005年に大きく私の働き方、生き方が変わりました。それからもう14年ぐらいになりますが、順調にやってこられたかなと思います。前職の海運会社の業務委託契約は1年契約で、いつ終了しても不思議はない状態でしたが、何とか今日に至るまで続いています。最初はその業務委託契約の仕事がほとんどで、他の会社からの収入はありませんでしたが、今では逆に前職の委託業務以外の仕事が9割になっています。

 今、自分の会社では、人事コンサルティングや研修講師、執筆等をメインにしています。ずっと1人で業務を行っていたのですが、10年ぐらいたつと1人では回せなくなり、社員を雇っています。つい最近のことですけれども、「人事労務以外のこともやってみたい」と思って、ドキュメンタリー映画の上映会を開催して、社会課題について議論するという取り組みも始めました。

 私のサラリーマン時代はジョブローテーションがついて回り、人事異動に翻弄(ほんろう)されていました。若いときはそれで良かったのです。「自分は何に向いているか」「どんなことが好きなのか」というのは、いろいろな仕事を経験する中で分かることですから。

実は、人事部への異動を命じられたときには、「私にはできない」と思っていましたが、1年ぐらい仕事をしてみるとだんだん面白さが分かってきて、自信も芽生えました。ですから一概に否定はできないのですが、会社に入って10年以上たつと、「自分はこうしていきたい」という願望が出てきます。そういうフェーズになってもまだ人事異動があるため、だんだん会社との距離ができてきたのです。

 独立してから15年経った今、前の会社の改革のサポートをしつつ、良好な関係を続けています。人事部に行くと、部長の横に私のデスクがあるので、社外人事部長のような感じです。会社の意思決定はもちろん人事部長がやるのですが、陰で彼を支えたり、新しい制度の設計のお手伝いをしたりしています。

最近は、「業務委託契約」という働き方を認める会社も出てきています。今後一般的になるのかどうかは分かりませんが、少なくともそういう選択肢が出てきたのは非常にうれしく思っています。独立する過渡期においては、こういう働き方もいいのではないかと思っています。

■誰かに頼るのではなく、自ら考える

田代:あとは「今後の働き方に対する心構え」ということでは、少し偉そうな話になってしまいますけれども、やはり自分で決める覚悟を持つことが大切です。誰かに頼るのではなく、自ら考える。依存するのではなく、リスクを楽しむというぐらいの心構えでいてもらいたいと思います。

仕事は、「経験に裏付けられた専門性を身につける」ということです。まずは経験をどう価値につなげてお金に変えるかを考えたほうがいいのではないでしょうか。別に難しい話ではなく、組織で真面目にやってきた人であればできると思います。

他と競争しない、ブルー・オーシャン戦略を展開していけば仕事がなくて困ることはなく、活路は必ず開けてきます。あとは自分の使命をしっかり持つということ。「私は何をやる人なのか」ということがぐらつくといい方向にいかないので、やはり積み重ねが大切です。自分がやりたいことを軸にしていくのがいいと思います。

 「他人は他人、自分は自分」という意識を常に持って、「他人がどうであろうが自分はこうしたいんだ」という選択をしていくべきです。私の話が、少しでも皆様の参考になれば幸いです。

会場:(拍手)

自分の価値は自分で磨いていく時代(森本千賀子さん)

続いての登壇者は、株式会社morich代表取締役であり、オールラウンダーエージェントの森本千賀子さんです。女性の「働く」ということについて、最も語れる人です。

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<森本千賀子さん プロフィール>

1970年生まれ。獨協大学外国語学部英語学科卒業後、1993年にリクルート人材センター(現リクルートキャリア)入社。大手からベンチャーまで幅広い企業に対する人材戦略コンサルティング、採用支援、転職支援を手がける。入社1年目にして営業成績1位、全社MVPを受賞以来、受賞歴は30回超、常に高い業績を挙げ続けるスーパー営業ウーマン。現在は、主に経営幹部、管理職を対象とした採用支援、キャリア支援に取り組む。2012年、2013年、2015年とNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀~」に出演。2017年3月、株式会社morichを設立し、さらに活動領域を広げる。

森本:皆さん、こんにちは。森本千賀子と申します。よろしくお願いします。

10月、11月と登壇がすごく多くて、こういうパネルディスカッションのタイミングもあったのですが、横を見ると本当におじさんばかりです。先日の大阪の起業家フォーラムには、起業家の方300人にお集まりいただきましたが、そのうちの95%が男性でした。本当にこのままでいいのかという危機感を持っています。

先ほど荻野さんから、「高齢者はポストと仕事がない」という話がありました。私も日々転職の相談を受けていますが、残念ながら素晴らしい経験を積んでらっしゃるのにご提案する案件がないということは、現実としてあります。このままでは日本はやばいのです。そういう危機感の中で、何をすればいいのか、ヒントになるようなお話ができればと思っています。

 まず自己紹介で、キャリアの現状を皆さんと共有したいなと思っています。私は27年前にリクルートに入り、2,000人を超える方の転職のキャリアの支援をしてきました。ちょうど33歳、39歳のときに出産をして、子ども2人の母親業もやらせていただいています。

 ちょうどこのとき、日本において働くことやキャリア、人生そのものを大きく見直すターニングポイントになるようなことが起こりました。皆さんも記憶に鮮明にあると思うのですが、3・11の大震災です。あれから世間の人生観や仕事観が変わったのではないかと思っています。それをいち早くキャッチしたのが、NHKの『プロフェショナル』という番組です。

それまでは選手やアスリート、アーティストなどの有名な方が出ていたのですが、ほとんど無名の私に白羽の矢が立ちました。理由を聞いてみたら、震災以降、視聴者から受け取るメッセージが変わってきたというのです。それを受けて、「働くことにフォーカスしている方に出ていただこう」という企画を立てたそうです。

 私は番組の中で「本当に大事なこと、やりたいことは何なのか」というメッセージを伝えたつもりです。私自身もライフワークに目覚めたのがこのタイミングです。いろいろなところで講演させていただいたり、本を書いたり、メディアでメッセージを発信しました。NPOの活動にも目覚めて、いくつかの団体の理事もさせていただいています。こういう形で自分の人生観が変わった方はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

 その翌年になりますけれども、田代さんと同様に、リクルートにいながら、個人事業主として転職エージェントの仕事をスタートしました。

あるタイミングで顧客から「法人としてしっかりコミットメントしてほしい」ということを言われましたが、リクルートが大好きだったので、辞めるという選択肢は取らず、自分の会社を立ち上げたのです。それが2017年の3月3日になります。

今では自分の会社の仕事が増えたので、リクルートは卒業しました。私の会社は「株式会社morich(もりち)」という社名です。目の前の方のお悩みに全方位でお答えする「困ったときのmorich」をビジョンに、お抱えエージェントを目指しています。

 リクルートで歩んできた20数年で、このマーケットが本当に大きく変わったなと感じています。

その変化を、少し皆さんと一緒に振り返りたいなと思っているのですけれども。

もともと私が20数年前にこの業界に興味を持ったきっかけは、父です。   

「滋賀県の石原裕次郎」といわれていた大好きな父なのですけれども、ちょうど私が小学生に上がるころに脱サラして、中小企業の経営をしていました。「ヒト、モノ、カネ」に苦労をしていたのですが、その中でも特に人に苦労していました。今の中小企業の経営者の方も、随分と人で苦労されてらっしゃるのではないかと思います。

 もう1つ、シンクロした出来事がありました。ちょうど私が仕事や職業について考え始めた大学3年生のときです。今から27年ほど前なのですけれども、当時の日本は終身雇用が当たり前で、最初に入った会社で勤め上げるのが当たり前の世の中でした。

たまたま図書館で勉強していたときに一冊の本が目に入り、それを読み進めていくとアメリカのことが書いてあったのです。アメリカでは、会社を移動しながら、自分の価値を上げていくビジネスパーソンが随分増えていて、そういう人たちをサポートしていく会社も多くなっていると書いてありました。「あ、きっとこういう時代が日本にも来るに違いない」とピンときて、リクルートの親会社のほうからも内定をもらっていましたが、あえて子会社に入社することを決めたのです。

 ところが、二十数年前は転職がものすごくネガティブな時代でした。奥さんはもちろん、親もきょうだいも、お友達もみんなが、「転職なんかやめておけ」という時代でした。私の仕事は正直言って非常にアウェーだったのです。何でこの会社に入ってしまったのかと、少し後悔もしました。ところがこの20数年の間に時代ががらりと変わったことを強く実感をしています。

 ■転職エージェントはセブン-イレブンとほぼ同数

 

森本:転職エージェントは、職業紹介事業者として、厚労省の下にある労働局の認可を受けています。私が始めたときは50数社しかありませんでしたが、この20数年間で2万社を超えました。

2万社という数字は、セブン-イレブンと同じです。月間で150社、年間で2,000社が認可を受けています。コンビニは今、どんどん閉鎖が続き、どちらかというとシュリンクしているような感じです。

 この業界は、コンビニとは逆にどんどん伸びています。転職マーケットが、今や非常に注目されているのです。『引き抜き屋』という小説にもなりました。実はこの小説は、私がネタを提供したものです。雫井さんという作家が、お礼に表紙を私にしてくださいました。よろしかったらぜひ買ってください。これは面白いです。松下奈緒さん主演でドラマ化されています。この業界が、ドラマになったり映画になったり小説になるということは、20数年前には考えもしなかったことです。

 つい先日、紀伊國屋の書店でお友達が写真を撮って送ってくれました。転職コーナーが大きなスペースを取っているというのです。私が最初に本を出したのはちょうど今から10年前です。そのときは出版社の方から、「就職本はたくさんあるけれども、転職に関する本というのがほとんどない。出したら売れますよ」というふうに言われました。この10年間で、転職コーナーが大きな一角を占めるに至ったので、キャリアの考え方が変わってきていることを実感しています。

 昔は正社員が当たり前でしたが、今は個人事業主や契約社員、フリーランスというふうにワークスタイルそのものが本当に多様化しています。働く場所もそうです。首都圏限定でなく、働く場所はどこでも良くなっています。

ついこの間も、転職希望の方で「京都に住みたい。でも求められればどこにでも行く」という方がいらっしゃいました。「いや、そんなわがまま言われても」と思ったのですが、スーパーエンジニアだったので、あっという間に転職先が決まりました。「東京本社に週に1回だけ出てきてくれればいいよ」ということで、周りにワークプレイスも得られるようになりました。

 私も今、株式会社morichで転職エージェントをしながら、二十数枚の名刺を持って、いろいろな仕事をさせていただいています。選択肢が増えて、1つの仕事に縛られる必要がなくなりました。

仕事観も人生観も大きく変わろうとしています。人生100年時代に突入し、日本人の平均寿命が100歳を超えるのは2043年といわれています。残念ながらもう「60歳が定年で、その後は働かなくてもいいよ」という時代ではなくなりました。雇用を守ってくれる三種の神器も、今ではもはや過去のものとなりつつあります。

■リスクをとらないことが最大のリスクになる

森本:今からちょうど3年前、「49%ショック」という言葉がメディアをにぎわせました。これは野村総研さんというシンクタンクと、イギリスのオックスフォード大学が共同研究して出したデータになります。日本の労働人口は6,500万人ぐらいになりますが、そのうちの約半分が、早ければ10年後、遅くても20年以内にはAIなどのロボットに置き換わる可能性があるという数字です。

私のお客さまはAIの開発会社なのですけれども、つい先日、社長と話していてびっくりしたことがあります。人が200時間ぐらいかけてやる業務が、そこの会社のAIを使えば、わずか15分ぐらいでできてしまうというのです。目の前でこつこつ頑張っている業務が、ある日、「AIが片付けるからやらなくていいよ」と言われる時代がすぐそこにやってきていると感じています。

 私が就職活動のときにあった会社は、会社の名前も業態も随分と変わりました。もういろいろな業界が、IoTで、インターネットでつながっています。業界の境界線がなくなりつつあります。少し前まで価値があるといわれていたものが、ものすごい勢いで陳腐化される、もうそんな世の中です。ということは、「もう変わらなくていい」と思ってリスクを取らない選択が、逆に言うと最大のリスクになるということです。

 組織に所属しているから安泰という時代はもう過去のもので、自分の価値というのは、自分で磨いていかなくてはいけない時代になってきました。ですからどの組織に所属しているかではなくて、どういうキャリアを積んできたのかが、今、求められている大事なポイントだと思っています。

 そのためにどうするかというと、この先のヒントは、この『雇用改革のファンファーレ』の森本のページに書いてありますので、ぜひ読んでいただければと思います(笑)。

 また、いろいろなところでセミナーもしていますので、そこできちんとした解決方法を皆さんにお話をさせていただきます。

 何事も「遅過ぎる」ということはありません。とにかく思い立ったときに行動を取るか取らないかです。人間は気づくことはできるのですけれども、具体的に行動を取れる人は、たったの10.1%しかいません。その10.1%に入るか入らないかで、自分の将来、未来が変わってきます。ということは、「いつやるんだ?」「今でしょ」という決断が大事です。これから先の明るい未来のために、とにかく今すぐ行動を取っていただくということを、私からのメッセージとして示させていただきます。

 これからの議論で、働き方、生き方を見つめていただきたいと思っています。以上です。ご清聴ありがとうございます。

会場:(拍手)

AIと共存する社会で、「最後まで残る人間の仕事」とは?(澤 円さん)

続いての登壇者は、日本マイクロソフト 業務執行役員 テクノロジーセンター長の澤 円(さわ・まどか)さんです。年間数百回講演し、「プレゼンテーションの神様」と言われています。

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<澤 円さん プロフィール>

1969年千葉県生まれ。立教大学経済学部卒業後、生命保険会社のIT系子会社に入社し、文系SEとしてキャリアをスタート。97年に日本マイクロソフトに入社し、コンサルタント、プリセールスSE、クラウドプラットフォーム営業本部本部長などを経て11年より現職、18年より業務執行役員就任。年間250回以上のプレゼンをこなす「伝えるプロ」としても知られる。新著は『あたりまえを疑え。』(セブン&アイ出版)。

澤:皆さん、こんにちは。澤と申します。22年間マイクロソフトで働いています。自分の会社を立ち上げたり、琉大の客員教授をやったりと、いろいろなことをしています。

これからAIのデモンストレーションをいくつか皆さんにご紹介しましょう 

今は「スマートスピーカー」というものがありますので、しゃべっている言葉をわーっとテキストに落とすというのはもう簡単にできるのですね。

マクドナルドではAIがオーダー票を作るという取り組みも行われています。顧客がしゃべっている言葉の中から、オーダーに関わる言葉をピックアップするのです。「ケチャップは要らない」とか、「パインは抜いて」という言い直しもオーダー票に反映されます。

オーダー票ができたら、そのままロボットに渡してあげれば、商品ができるわけです。

 「AIが仕事を奪う」という表現もできますが、マクドナルドの調理場には、油や鉄板があり、決して安全ではありません。そこから人を遠ざけることができると考えたらいかがでしょうか? 決して人間が不幸になる話ではないですよね。

その分、空いた労働力をお客さんに集中すればいいのです。子どもを喜ばせたるために風船を渡すとか、駐車場にスムーズに駐車できるように人を立てるとか。そういったところに人手を割くことができます。AIに仕事が置き換わるということが、必ずしも不幸には直結しないというのが、僕の考え方ですね。

 ■AIに任せられるのは「タスク」の部分だけ

澤:では次のデモンストレーションにいきます。

 AIによる画像認識です。2つの顔写真を並べると「これは同一人物のものです」という文言が出ます。今は空港などで顔認証が自動化されていますよね。そういったところにもつながってくる技術です。写真の片方を僕の顔に変えてみましょう。こうすると当然「別人のものです」となります。では、もう片方に僕の入社時の写真に入れてみましょう。20数年もたつので、だいぶ印象が変わって、別人のようになっています。でも、見てください。AIは「同一人物」として判断できるのです。

画像を見て人間が間違える率は5%といわれています。これは人類の上限率です。もうこれ以上良くなることは難しいのです。20万年前から人間の脳というのは、おおよその限界値が決まっています。でもAIは3%を切るところまできています。画像診断はもうAIに任せたほうがいいのです。

でも、考えてみてください。人の顔を見分けることは生産性の高い仕事でしょうか? もっと別の仕事をしたほうがきっと面白いと思います。「人間がやりたくない仕事をAIにやらせてしまおう」という考え方もあるのです。僕にとっては最後まで残ってくれる友達がAIかもしれません。

 それは置いておき、もう少し別の仕事を見てみましょう。これは、ロールス・ロイスです。高級車のブランドですけれども、飛行機のエンジンも作っています。その飛行機のエンジンにはものすごい数のセンサーがついています。インターネットにつながっていて、データをばんばん流すのです。そのデータを一覧で見ている状態のデモ画像です。この中に、何か赤いものがありますね。どうやらエンジン部分に問題があるようです。詳細を見てみましょう。そうすると、より細かいエンジンに関する情報が出てきます。パフォーマンスが92%しか出ていないということが分かります。

 ちなみにこれをチェックするのはキャプテンです。メカニックではありません。それまではメカニックがテストをしては、データをレポートにまとめて、キャップに渡していました。今は飛んでいる最中にデータがばんばん送られてくるので、メカニックがチェックしなくても、この情報は一発で分かります。

これは飛行場に止まっている、駐機しているときの映像です。キャプテンが、「さあ、これから飛行だ」というときに、一覧表を見て「あれ?」となるわけです。「問題が起きているようだが、細かいことは分からないな」ということで、リクエストを送ります。そうすると、どこに問題があるかという詳細が見られます。

 本来のスケジュールよりも早く機体の調子が悪くなっていることが分かりました。これは良くない状況です。「今フランクフルトに止まっている。次の場所にはあまり機材がない」「今、ここには暇なクルーがいる」「次のフライトまで3時間45分ある」「修理は2時間半で終わる」ということを全部、AIがデータを基に自動ではじき出してくれます。

キャプテンはこれを見て、スタッフをアサインするかどうか判断します。ここがポイントになるのです。

人の仕事は何かというと、判断することです。最終的に調べるところは自動化できます。判断するというところだけは、絶対に人間がやらなくてはいけないことなのですよ。

 仕事で一番楽しいことって何ですか? 何かを決断することですよね。「よし、やるぞ」とか、「これは勇気ある撤退だ」という判断をすることが楽しいわけです。そこは皆さん、心配しないでください。AIに取られるのは、あくまでもタスクの部分です。

■これからの仕事は「Being」が重要

澤:ではスライドのほうに戻ります。これは今すごく売れている本です。『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本です。オーストラリアの看護師、介護士をしていた人にアンケートをとって、いまわの際に発した言葉をまとめたものです。5つの言葉の中で、一番多かった答えはこれです。「自分に正直な人生を生きれば良かった」。

「あんなに仕事しなければ良かった」というものもあります。

 さてハーバード・ビジネス・スクールで、学びのフレームワークのアップデートというのが行われています。もともとKnowingというのが学びでした。調べたり、勉強したり、人の話を聞いたりするのが「学ぶ」ということです。そして2番目がDoingです。これが、シリコンバレーがあそこまで伸びた一つの原因です。とにかく手を動かす。「考えるのではない、行動しろ」というわけですね。それが次々にいろいろなものが開発される土壌を生みました。

でも今は、シリコンバレーを中心に、インドや中国もBeingになっているのですよ。「どうありたいのか」を追求することが学びになっています。これからの時代は、自己実現とかいろいろな言い方はありますけれども、とにかくBeingが大事なのです。「自分はどうありたいのか」を言語化することが、働くこととイコールになってきます。やらなければいけないことはどんどんAIがやってくれるので、時間ができます。その分、「自分らしくあり続けよう」ということなのですね。

 ですので、僕はこのBeingという考えを一生懸命宣教している状態です。どうありたいのかということをとにかく伝えていきたい。これが僕のライフワークになっています。このぐらいで僕のプレゼンテーションは以上です。ありがとうございました。

会場:(拍手)

イノベーションはすべて「甘い考え」から始まっている(豊田圭一さん)

続いての登壇者は、株式会社スパイスアップ・ジャパン代表取締役の豊田圭一さんです。約10年前から日本企業の海外研修を行っており、グローバルな働き方の先駆者的な存在です。

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<豊田圭一さん プロフィール>

1969年埼玉県生まれ。幼少時の5年間をアルゼンチンで過ごす。92年、上智大学経済学部を卒業後、清水建設に入社。海外事業部での約3年間の勤務を経て、留学コンサルティング事業で起業。約17年間、留学コンサルタントとして留学・海外インターンシップ事業に従事する他、SNS開発事業や国際通信事業でも起業。2011年にスパイスアップ・ジャパンを立ち上げ、主にアジア新興国で日系企業向けのグローバル人材育成(海外研修)を行なっている。その他、グループ会社を通じて、7ヶ国(インド、シンガポール、ベトナム、カンボジア、スリランカ、タイ、スペイン)でも様々な事業を運営。18年、スペインの大学院 IEで世界最先端と呼ばれる “リーダーシップ” のエグゼクティブ修士号を取得した。

豊田:皆さん、初めまして。豊田と申します。

 僕がゼネコンの会社に入ったのは1992年です。91年にバブルに崩壊したのでその翌年ですね。大学を卒業してから、すぐにでも海外に行きたいと思って、海外駐在に行けるのはどこかと考えました。父親が商社マンだったので小さい頃はアルゼンチンで育ちました。商社であれば海外に行く前に5年、10年と修業をしなくてはいけません。「修業をしてから駐在していたのではとんでもない」と思いました。ゼネコンは当時バブルで潤っていて、中国に工場をどーんと造って、東南アジアにも仕掛けている最中でした。「海外事業部に入ったら1年目から海外に行かせてもらえる。これだ!」と思って、入社したのです。

 ところが92年の4月1日、入った瞬間に何と言われたかというと、同期が600人ぐらいいたのですけれども、「人事は採用を見誤った。君たちを多く採り過ぎた」と言うのですよ。 

そんなことを言う人事の人がいますか? 

もうびっくりしました。ゼネコンはすごく日本的なかたい会社です。そこに夢を持って入って、一生その会社で働くと思っていました。けれども、そのように初日に言われて、海外にも行けなかったのです。むしろ入社当時は海外から撤退していたタイミングでした。

「ああ、このままこの会社にいたら芽が出ない。主役になれない」と思って、2年9カ月で辞めてしまったのです。

 当時は転職活動もネットでできません。転職雑誌を買ってチェックしても、行きたい会社もないし、会社の有給取って面接に行く勇気もありませんでした。そのときに先輩が留学のコンサルティング会社を立ち上げるというのでついていったのです。その会社を17年間務めた後に、別の会社をつくり、日本の企業の方を海外に連れていって研修をするという仕事をしています。

 今、中心になっているのは、企業向けのグローバル人材育成です。いろいろな企業が、マーケットを求めて、東南アジアやインドに進出しています。ところが、「英語ができる」とか、「アメリカに留学した」という社員であっても、なかなかそういうところには行きたがりません。カリフォルニアの爽やかな風を5年間感じていた人が、いきなりカンボジアには行きたくないのです。日本の会社としては、新興国マーケットに打って出たいのだけれども、手を挙げる人がいません。「何とかしないといけない」ということで、私が彼らを海外に連れていって、マインドセットをしているのです。

来週も、ある自動車部品メーカーの2年目の社員を60名、ベトナムへ連れていきます。日本の企業向けの人材育成の仕事の中でも、すごくニッチな海外研修をして7年目です。

 それ以外に、いろいろな企業を30人の仲間と経営しています。それには理由がありまして。42歳で今の会社をつくったときに、ファミマの社長をやっている澤田さんという方がいらっしゃいますよね。澤田さんは私の大学の先輩なのですが「グローバルで活躍する人材を育成したいんです」と相談したら「ふざけるな。おまえ自身がグローバルで活躍したことないくせに何を偉そうに」と言われました。

正直腹が立ったのですけれども、一理あるなと思いました。私自身は、そこにはニーズがあるし、やりたいことだし、できることだと思ったからこそビジネスにするつもりでした。25歳で独立して一生懸命やってきましたけれども、グローバルで活躍したわけではありません。これはもう打って出るしかないと思って、人材育成をやりながら、インドで英語学校をつくったり、スリランカとベトナムではフリーペーパーを発行したり、タイではクリーニング屋をすることにしたのです。もはや何がやりたいのかよく分かりません。

 カレーが大好きだからスパイスアップという名前にしたわけでもないのですけれども、カンボジアではカレー屋を作りました。それは見事に失敗しました。その代わり、「カレー屋を復活させよう」という研修に変えたら大好評で、全国22の大学の公認プログラムになりました。

 ■暗黒時代を生き抜き、希望が見えてきた

豊田:倉重先生は私を「スター」と呼んでくださいますが、すごく大変な時期を過ごしてきたことを今から証明したいと思います。25歳で独立し、何もない状態からスタートしたのですけれども、10年間は暗黒時代でした。本当につらかったです。

今ちょうど50歳になりました。来月51歳なのですけれども、これぐらいの年になって友達と話すと、「いや、若いっていいよね」とか、「何歳ぐらいに戻りたい?」と、よく聞かれます。20代、30代には二度と戻りたくありません。本当につらかったです。25で独立してから30歳までの5年間に、飲み会は1回も行っていません。行ったのは女の子が払ってくれるときだけです。ヒモという才能はあるのではないかと思いました(笑)。

友達、先輩の結婚式も一回も出ていません。ご祝儀の3万円が払えないからです。30歳のときは、「自分は40歳のときどうなっているのだろう」と思っていました。将来の光が一片も見えませんでした。

少しずつ薄明かりが見えてきたかなと思って今に至っていますけれども、本当にそれぐらい、25歳から35歳は死んでいました。ちなみに私の弟は大手商社にいるのですけれども、いまだに彼の年収を超えたことはありません。

 父からも弟からも、「あいつ、大丈夫か」とずっと言われながらきたのですけれども、今となってはすごく良かったなと思っています。

なぜかというと、ある会社では52歳で役職定年ができました。私は来月51歳です。まだまだ頑張ってやろうと思っている中、52歳で外されるなんてとんでもありません。

よく「あなたが働く目的は何ですか」ということを聞かれますけれども、目的はサバイブ。生き残ることだけでした。生き残ることを考えて、目の前のことを一生懸命してきたから、後ろに道ができたのです。

スティーブ・ジョブズのconnecting the dotsの動画を見たときに、もう涙が出そうになりました。なぜならもうずっとつらくて、一生懸命やるしかなかったからです。

 今思っていることは、never too lateです。私は去年スペインの大学院を卒業してリーダーシップのエグゼクティブ修士号を取りました。これは私にとって夢でした。17年間ずっと留学のコンサルティングをしていましたが、自分自身がその仕事をしたかったわけではなく、ゼネコンを逃げ出したかったときに先輩から誘われたことがきっかけでした。自分自身は留学の経験がなかったのでコンプレックスがあったのかもしれません。49歳にしてようやくその夢をかなえました。

「大学の教授にならないか」と言われたのは、修士号取ったおかげです。そのときどきに「やりたい」と思ったことを一生懸命してきたことが今につながりました。先ほど行動する人は10.1%という話がありましたが、すぐやることに尽きると思います。でもいいのです。すぐやらない人がいるから僕が生きていられるのです。だから本当に皆さんには、すぐやらないでほしいです(笑)。

でも本当は、すぐやることのほうがいいでしょう。

 僕は甘い考えが大好きです。甘い考えが世界を変えると思っています。僕は「甘い考えがだめ」という大人が大嫌いです。甘い考えだと思って一歩を踏み出さなかったら何も始まりません。イノベーションはすべて甘い考えから始まっているのだと思っているから、大好きなのです。

 不規則な生活も大好きです。規則正しく生きなさいと言っていた親の時代は終わりました。規則正しくないからこそ、時代の変化に対応できます。

 私は年の半分ぐらいを海外で過ごしています。海外に行くとたった1時間の時差でも時差ぼけになる人がいます。なぜなら規則正しいからです。私は日本にいる間、夜の2時まで飲んでいることもあれば、20時に寝てしまう日があります。日本の中にいても、3時間から5時間の時差があるので、海外生活の時差は何ということはありません。今はたまたま時差の話ですけれども、生活においても気持ちにおいても同じです。

 私のお客さまというのは大企業の社員ばかりです。その人たちを海外に連れていって研修させると、みんな「不安」「英語に自信がない」「アウェーな環境でチャレンジしたことない」「外国人と仕事できるかな」と不安を口にします。絶対にできる力はあるのです。ただ、やったことがないからできないと思っているだけです。

それはすごくもったいないことなので、規則正しい環境にずっといるのではなくて、自分のホームではないところにどんどん飛び出していいかなくてはいけません。とはいえ、いくら外国人と軽妙にコミュニケーションがとれても、そもそもの力がないと何もできないですよね。「日々の仕事をがんばろう」とそれぞれが思うことが大切です。

 私は、今、「グローバルマインドセットを身に付ける」「日々鍛える」という研修をしています。最近思っているのは、「グローバルマインドセットというのは、武士道に近いのではないか」ということです。武士道というのは、いろいろありますけれども、不動心と平常心という2つが重要です。稽古でいくら鍛えても、真剣を持った敵を目の前にして手が震えてしまったら首が飛んでしまいます。いかに心の平静を保つかという点は、仕事においても同様ですね。先ほど澤さんもディシジョンメーク、判断する、決めるのが楽しいのだと言っていました。正しいディシジョンメークができないときに心をどうやって平静に保つかということで、欧米のほうではマインドフルネスが出ています。

けれども、私たちはもともと武士道というものを持っているので、今、一生懸命そういうことを調べて人に伝えています。

力を持つ。そしてその力をどこでも発揮できる平常心、不動心を身に付けることが、今後の生きる道かなと思って本を書きました。

 『人生を変える単純なスキル』という本です。これが1月に出る本ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

会場:(拍手)

【つづく】

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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