バブル崩壊の兆しが長期金利で示される可能性も。日本のバブル崩壊時に長期金利は先に上昇していた
日経平均は2月15日に1990年8月以来の3万円台回復となった。日経平均の最高値は1989年の年末大納会の大引けで付けた3万8915円であった。ここがピークとなり、1990年初頭から日経平均は下落し、地価も同様に下落したことで、日本のバブルが崩壊した。
この30年前当時、私は現役の債券ディーラーだった。債券市場では1985年の銀行による国債のフルディーリングの認可とともに、1985年10月の債券先物の登場により、債券ディーリング時代を迎えていた。株式市場のバブルを生んだ要因のひとつプラザ合意も1985年の出来事であった。
債券ディーリング時代、これは債券バブルともいえるものであったが、これは1987年に当時の10年国債の指標銘柄であった89回債の利回りが公定歩合の2.5%に接近したところで崩壊した。その後、債券先物は次第に三角持ち合いを形成。プラザ合意後の円高に対して日銀は金融緩和策を続けざるを得なくなり、公定歩合は2.5%を維持し続けた。これもバブルを生んだ要因ともなり、債券の下支えとなっていたことで大きく崩れることはなかった。
1989年5月に過熱する景気に対処するため、日銀はやっと動き、公定歩合を3.25%に引き上げた。10月には3.75%に、12月には4.25%と引き上げ、完全に金融引締策へと転向したのである。
これによって、債券相場は急落した。この債券相場の下落を肌で感じていた最中に、東京株式市場が上昇を続けていたのを見て、違和感を持っていたのを覚えている。日銀は政策金利を引き上げたのに、それを無視して株は上がり続けて大丈夫なのかと漠然と思っていた。
バブルの勢いは1989年末まで続き、日経平均はその年の大納会の大引けで3万8915円を付け、これが日経平均の最高値となった。
1990年は債券安・株式安・円安のトリプル安で始まった。米国での金融緩和期待の後退、ソ連情勢の悪化、日銀による公定歩合の再引き上げ観測などが要因であった。日銀は3月20日に1.00%もの大幅な公定歩合の引き上げを実施し、5.25%とした。8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻すると原油価格が急騰し、インフレ懸念が一段と高まった。その後、原油価格は下落したものの、物価上昇を気にしてか日銀は同月30日に公定歩合をさらに0.50%引き上げ、年6.00%とした(第五次公定歩合の引き上げ)。これを受けて債券先物は急落し、9月27日に債券先物市場開設以来の安値となる87円8銭にまで下落した。株価も大きく下落し、10月1日に日経平均株価は2万円を割り込んだ。
1990年からのバブル崩壊の兆しとしては、長期金利の動きもあったと思う。ただし、このときには日銀が引き締めに転じていたのでそれに敏感に反応したといえる。
今回については日米欧の中央銀行が引き締めに転じる兆しはまったく見せていない。だからまだバブルは続くとの見方となるかもしれないが、ここにきて欧米の長期金利が上昇基調に転じつつあることにも注意したい。さらに原油先物価格も予想以上に上昇していることにも注意したい。
新型コロナウイルスはワクチン接種によって急速に感染拡大ブレーキが掛かる可能性がある。そうなると大胆な金融緩和と財政政策が、かなり過剰なものとなりかねない。上昇相場に熱狂している間はリスクはみえなくても、長期金利が景気や物価の上昇、さらには巨額の政府債務を意識して大きく上昇するようなことになると、突然、株価水準などの異常さに気がつく可能性もありうるのである。